6.シマヌシとのコミュニケーション2
半二階建ての小屋の一階、入ってすぐの応接室には大きなソファーと木製テーブルがあり、その端で俺は自分の右腕の傷を診ていた。
少女が渡してきた救急セットには清潔なガーゼや消毒薬が入っており、とりあえずの処置として消毒してガーゼを当て包帯を巻き、コートを羽織り直す。
針と糸で傷口を縫う度胸は無い。
少女もソファーの反対側に座り、黙々と自分の傷を消毒している。
流石に少女の顔色は悪い。
手伝おうと申し出たがあえなく却下され、矢を抜く手伝いをするに留まった。
チラリと見えた白い肌と赤い血のコントラストが痛々しい。
黙って腹に包帯を巻いていた少女の動きが止まった。
何となく『何見てんのよ』という意思を感じ、慌てて部屋の中に視線を彷徨わせる。
応接室は倉庫に比べ、比較的生活感のある空間だった。
照明は壁のフックに掛けられたランプだが、床には何かの毛織物らしきカーペット、壁には木枠に窓ガラスのはまった大窓と、見慣れない文字が印刷されている大判の地図が何枚か掛かっている。
地図は殆どの部分が水色(おそらく空を示している)に塗られており、その中にポツポツと島らしきものが描かれ、島同士の距離間が記されている。
ざっと見た程度でも最小の島は針の先程度、一番大きな島(おそらく『大陸』)はこぶし大だろうか。
近寄って眺めても縮尺は読めないので実際のサイズは分からない。
地図によって同じ文字が書き込まれた島でも違う形をしているのは、空中に浮かぶ島であり見ている角度が違うからだろうか。
そこまで考えた辺りで体が寒さに耐えきれなくなり、大きなくしゃみが漏れた。
そう、この部屋には何故か暖房設備が無いのである。
外は雪が降っており、衣類はコーラを被り、汗まみれで取っ組み合いをした後である。
流石にこのままでは凍えてしまうし、話し合うべき事柄も幾つもある。
再び少女の方に目線を向けるも、少女には寒さが応えた様子はない。
そして腹を何周も巻いた包帯が緩んでグサグサになっている。
何度も巻きなおしているようだ。
眺めているとまた少女の動きが止まる。
「俺が巻くよ」
「いらない」
「見ていてまどろっこしい」
「いらない」
「あまり動いてると傷口開くぞ」
「……ヘンな事しない?」
「流石にこの状況ではしない」
「流石に、じゃなくて最初からするな」
大人しく背中を向け、上着の裾を少し捲り上げた少女の胴体に包帯を巻き直す。
その黒子一つない小さく滑らかな白い背すじから、どのように先程の人間離れした筋力が生み出されるのかは見当がつかない。
「包帯止めたぞ。きつくないか」
「大丈夫」
立ち上がり包帯の具合を確認していた少女が、再び同じ言葉を発した。
「あなたは、ヘンな事はしない?」
「……ヘンな事ってどんな事だよ」
「空賊に寝返ったり、食べ物に何か仕込んだり」
灰色の目がこちらをじっと見据えている。
「しないなら提案があるんだけど、私があなたを『酒造池』……、今回の積み荷の届け先の大陸まで送っていくから、代わりに食料を分けてもらえないかしら」
元々、判らないことだらけなのだ。
元の世界にどうやって帰ったらいいのかもわからない。
それに、***********************。
「しない。寝返りはしないし、毒なんて持ってない」
目を合わせて答えると、少女は頷き、手を差し出した。
「契約成立ね。」
「ああ、俺は永洞 大地」
「そう、よろしくね! タイチでいいかな」
そういいながら少女はニコニコと手を握り返してくる。
そしてずっと手を握ったまま。
「……なあ」
「うん?何か疑問があったら何でも聞いて?」
「いや、おま、……君の名前は?」
「さっきアッシュと言ったけど」
「それは島の名前だろ? 君の名前は?」
少女は小首をかしげて返答した。
「私が、島で、Æだよ?」
俺がこの世界の『常識』を理解するのはまだまだ先になりそうだ。
***
「契約成立ね。……では早速、私は実はおなかがすいてるんだけど」
「知ってる。倉庫から持ってくる。……あと寒い」
「ああ、シマヌシになると寒さとか感じ難くなるのよ。茶葉なら残ってるし、何か温かいものでも淹れておくわ」
ランタンを一つ借りて外に出る。
外は、もうすっかり暗くなっていた。
真冬の東京より透き通った空気。
いつの間にか頭上は晴れ、満天の見知らぬ星空が広がっていた。
手元の明かりだけを頼りにザクリザクリと薄く雪の積もった小道を進み、屋根に穴の開いた倉庫へと辿り着く。
倉庫の壁に未だに張り付けられている哀れな空賊の死体からは目を逸らしつつ、自分の荷物を回収してふと考える。
今頃、家族は自分が帰ってこないことに気づいて大騒ぎをしてしまっているだろうか。
それとも、自分が気付いてないだけで日本ではもう何日も過ぎているとか。
異世界で時間の流れが違うなんてのは、フィクションでありがちな設定である。
それとももう何年も、何百年も。浦島太郎のように。
頭を振って妄想を追い払う。
何にしろこのままでは連絡を取る方法も、返る手段も無いのだ。
この世界の事やあの少女の事、興味のあることはたくさんあるが、しばらくはこの世界で生きていくことを第一に考えなければならない。
この島にある食料はおそらく俺の荷物にある分だけ。
保存食の加熱式の白米や乾パスタ、レトルトのカレー程度ならあるが、菓子類を加えても二人では精々一週間分の食事だろうか。
俺はこの世界の事は何も知らないが、今のうちに出来るだけ学ぶ必要があるだろう。
少女の言っていた『酒造池』という『大陸』に行ったあとどうなるかもわからないが、空賊達の言葉が時々理解できなかったことも気にかかっている。
それに、未知の世界に来てワクワクしているのも事実だった。
「とにかく会話と情報交換だ、と」
自分に言い聞かせるように声に出し、ダンボール箱を抱えた。
これが俺が異世界、『白環』に来た日の出来事だった。