5.空賊2
直径2㎝程の、銛と言ってもいいほどのサイズの黄金の矢は、空賊の胴体に大穴を開け、少女の腹部に吸い込まれるように突き立った。
俺よりも頭一つ分近く小さい身体が、弾かれたようにくるくるとまわって倒れ伏す。
雪上に赤い飛沫が散った。
「おいっ、大丈夫か! 返事しろ!」
とっさに駆け寄ってかけた言葉は間抜けだった。
少女自身の体重と比べてもどちらが重いか判らない程のサイズの矢を撃ち込まれて無事なはずがない。
頭を打ったのか、矢のダメージかは分からないが、意識が飛んでいるようだ。
元より餓死寸前でロクに食事もとれてなかった身体から、だらりと赤い滴が垂れた。
コーラは噴くのに血液は噴き上がらないんだな、と妙に冷静な感想を持ちつつも必死に対応策を考える。
確か、何かが体に深く刺さった時は無理に抜くと失血死するのだったか。
とにかく出血を止めようと傷口にハンカチを当てたところで、後ろから声がかかった。
「おい」
「……えっ?」
ノイズは無かった。
「退け、殺すぞ」
先程まで伏せていた空賊の最後の一人が、背後に立っていた。
土と垢に塗れて汚れた衣類。
手入れのされてない、ぼうぼうに伸びた顎鬚。
落ち窪んだ目は爛々と輝き、とても愉しそうに刃物を握りしめている。
つい先ほどまで震え伏せて命乞いのポーズをとっていたとは思えないほどに。
いや、だからこそ、なのだろうか。
頭上に曲刀が煌めき、
「ああ、もういいや。お前から死ねぇ!」
とっさに顔を庇った右手に、焼けるような痛みが走った。
二の腕に浅く赤い線が刻まれる。
のけぞって地面に突いた左手に、冷たい金属の塊が触れた。
「*** ****!」
怒号とともに続いた第二撃を、とっさに掴んだ黄金の棍棒を掲げて受け、弾く。
棍棒がこの場での唯一の武器で、俺が唯一の戦える人間だった。
棍棒を片手に立ち上がり、力の入らない右手を添えながらも無茶苦茶に振りまわして応戦する。
腰も入っていない、全くの素人が棍棒を無茶苦茶に振りまわすだけの応酬だが、相手は驚いたようで、何歩か距離をとってくれた。
「*** ****** *********」
「**************** * ********* *************」
「悪いが、何を言ってるのか全然わからねえよ!」
意味不明なノイズ交じりの言葉に対し、必死で強い言葉を叩き付ける。
よく見れば、こちらの空賊も相当にやせ細って枯れ木のようだ。
俺よりも背は頭一つ高いが、体重で負ける気はしない。
足元はふらついており明らかに栄養不足である。
当然か。獲物を飢えるまで追いかけることができるなら――
「追う側だってメシを食えてるとは限らない、よな」
棍棒を空賊に突き付けて言い放つ。
こちらの言葉も理解されてないようだが、殴る分には問題ない。
元より空賊なんぞに殺されてやる義理は無いし、相手は先程真っ先に伏せた根性無し。
何より手を切りつけられた分の仕返しはしたい。
弱い者いじめは好きではないが、
「ボコボコになるまでブン殴らせてもら……」
瞬間、相手空賊の胴体を貫通した黄金の矢を紙一重で躱して俺は雪上に突っ伏した。
先程同様、あの仮面の男が狙撃してきたのだろう。
直前まで向かい合ってた哀れな空賊は、伏せた俺の頭上を見事に飛び越え小屋の壁に貼り付けられて絶命した。
続いて響く大音量の音声。
「**** ***** ****** ************ * ************* * *********** * *******!」
スピーカー越しの割れた音声だが、あいにくと理解不能である。
同じ文句を3回繰り返した後、音声は止まり、辺りは静寂に包まれた。
「……ボコボコになるまで、なんだって?」
暫くたった後、少女がぼそりと呟き起き上がった。
無論、腹に黄金の矢が刺さったままであるが、既に出血はほとんど止まっている。
まるで矢ガモのような格好である。
「忘れてくれ。あと動けるのか」
「当然よ。シマヌシだもの」
「……もうお前が急に空飛んでも驚かねえよ」
「シマヌシが島から足を離せるわけないじゃない。常識を考えなさいよ」
「……ところで起き上がっても危なくないのか」
「大丈夫、あちらはもう逃げていくところよ。手下が切れたんでしょう」
突っ立っている矢ガモの言葉に顔を上げて周囲を伺うと、既に周囲に空賊の島は影も形も存在しなかった。
「下方に逃げられたわ。大きさのわりに結構早い島ね」
「見もしないでよく分かるな」
崖べりに立って下を伺うと、空賊の島は既に相当遠くに離れており、小指大の影が見える程度だった。二つの島がそれぞれどのように動いてるか判らないが、速度は車か大型の船舶程度だろうか。島の影はやがて米粒大になって雲海に消えた。
「空賊は死角から襲ってきて死角に逃げるもの。シマヌシ同士なら付近の島の気配が分かるけど、大陸民が気付くのは不可能よ」
なるほど、先程も会話の途中で突然小屋から出て行ったのだっけ。
仕組みはサッパリ判らないが、島を動かす能力といい、身体能力といい、シマヌシは常人がまともな条件で勝てる生物ではなさそうだ。
「ところでその怪我は勝手に塞がるのか」
「塞がるわけないじゃない。常識で考えなさいよ」
小憎らしい軽口と共に、突っ立っていた矢ガモがふらふらと揺れ始める。
やはり限界なのだと気づき咄嗟に支えようと右手を差し出したが、自分の右手も切り裂かれていた事を思い出したのは、情けなくも激痛に叫んでからだった。