3.シマヌシとのコミュニケーション1
非常にどうでもいいことだが、近代の組み技系格闘技において身長差は重要な要素らしい。
一方が他方を組み敷いた、いわゆるマウント状態の攻防に置いて、組み敷かれた側が繰り出すパンチが組み敷いた側の顔面に届かなければ安全は確保される。
後は無理やり筋力でひっくり返されたりしない限りは制圧完了、落ち着いて話ができる、筈なのだが――
「だから、落ち着いて話をさせっ」
ぐらりと視界が揺れる。
ほぼ完全に馬乗りで抑え込んだ状態から腹筋だけで振り落とされる。
「っクソ!」
とっさに距離をとり起き上がるが、その時目の前にあったのは小さな拳だった。
紙一重で躱したその拳は小屋の壁に綺麗な穴をあけた。
一瞬金属質な金色に輝いていたのは何かの間違いだと信じたい。
「動くなっ! とにかく一発殴らせろっ、そして死ね!!」
無茶苦茶な事を言う少女から距離をとる。
異様な腕力と、先程の空腹の様子が嘘のような運動量を誇る少女。
手足の長さと身長差を活かして拳を躱し、抑え込んで制圧しようとする俺。
上手くマウントをとれば少女の拳は俺の顔に届かないが、この小さな珍獣の筋力たるや凄まじく、気を抜くと即座に振り落とされる。
双方既に汗だくである。
そして何度目かのマウントを返された後、互いに息をつき、睨み合いながら、どちらともなく部屋の両端に腰を下ろした。
既に小屋の壁は穴だらけで冷たい風が吹き込んでくるが、火照った体には逆に気持ちが良かった。
「おい」
「……、……なに」
半眼で睨み返されながらも、ようやくまともな返事を得る。
聞きたいことは山ほどあるが、まずは話をする雰囲気に入ることが重要だ。
「コップ、あるか?」
「アンタに潰されてなければ、そこの瓦礫の下にあるわよ」
言われて周囲の瓦礫に目を向ける。
一際大きな屋根の破片をひっくり返すと、そこには塵に塗れた木のコップと椀があった。
床に描かれた魔法陣のような白線の上に乗っていたようだが、既に書かれていた模様は瓦礫と乱闘のせいで殆ど消えていた。
埃を払い、コップを少女の方に転がしてやってから、荷物から2本目のコーラのボトルを引っ張り出して手元の椀に注ぐ。
続いてボトルも転がしてやり、相手も飲み始めたのを確認してから、まず一番に聞きたいことを切り出した。
「ここは……この島は、何処だ?」
「……航路としては『中羊頭』-『酒造池』間の航路を北上に大きく外れたところ」
『北上』という方角に一瞬戸惑ったが、空中に浮いた島であることを思い出して黙って聞く。
だが、続く言葉は難解だった。
「島としてはシマヌシ組合『エイタズ』の31番島、『アッシュ』よ」
「シマヌシ組合? 何だそれ」
「知らないの? 結構宣伝うってるのに、これだから大陸民は……。アンタらは一生利用することは無いかもしれないけど、『大陸』の人々の暮らしを支えているのは私達みたいな『シマヌシ』なんだから、少しくらい常識として知っておきなさいよ」
15年ほど生きてきて、地球では一度も聞いたことのない『常識』である。
「ああ、とりあえず俺の知らない世界であるらしいことは分かったよ」
「そう、一つ賢くなって良かったじゃない」
答えながらもコーラをどんどんおかわりする少女。
先程の噴水の分を取り戻すつもりなのは明らかである。
「もう一つ聞いてもいいか、俺はどうしてこんなところにいる?」
「さあ、それこそこっちが聞きたいよ」
「この床の魔法陣、これのせいか?」
「……私はただ、『食料を得る魔術』を実行してみただけよ」
「何だそりゃ。俺は食料なのか」
「私もてっきりそう思ったけどね。多分アンタの荷物が反応して引き寄せられただけでしょ」
「荷物って、こんなモノのために俺はうちの近所からこの島に飛ばされたのか!?」
「アンタの家は知らないわよ。私も初めて使ったけど、周囲の獣や食料を引き寄せるだけのハズだもの。周囲に小島一つないのにアンタがこの空域にいた理由は知らないわ」
なんだそれは、とため息が漏れた。
ここがどこか、も何故ここにいるのか、もどちらもはっきりしない。
わかったのはここが自分の知らない世界であることだけだ。
「とにかく、久しぶりにものを食べられて落ち着いたわ」
ふと気が付くと2本目のボトルも空になっていた。
少女は埃を払って腰を上げたが、その様子に先程までの殺気は無い。
モノを食わせて落ち着かせる作戦は効果があったようである。
「さっきは殴ろうとしてゴメン。もしも無事に大陸につけたらお菓子は弁償する」
なに、気にするな。こっちも寄付するつもりで出したんだそれよりもその、
「……もしも無事に?」
「今、空賊に追われてるの。でなければこんな航路を外れたところで飢えてないよ」
立ち上がり、外に出ていく少女。
そしてその先には――
小屋を出た先、先程までは雪の降る一面の灰色の空だったそこには、視界一杯に巨大な岩石が浮かんでいた。
――いや、それはよく見れば、岩には草木が生えており、上部には建物と人がおり、それらは薄汚れ、くたびれた衣類を纏い刃物をもっており。
つまりは、空賊の島がそこに出現していた。
「それと、一応言っておく。巻き込んでゴメン。お菓子ごちそうさま」
二つの島がゆっくりと接触する。
地面が揺れて、まともに立っていることもできない。
見ればこちらの島の縁が斜め上方から押しつぶされるように、接触面から見る見る削れ落ちている。
空賊共は既にロープを垂らして降下、ノイズのかかったような意味不明な歓声を上げながら着地した。
降下した人数は7。いずれも曲刀を携えている。
略奪の意図は明らかであり、無事に見逃してくれそうな気配は一切ない。
対する少女の手には、1m超の棍棒のような黄金の塊がいつの間にか出現していた。
降下の完了とともに二つの島が離れ、揺れが収まると同時に『シマヌシ』と空賊との戦闘が始まった。