七転び八起き一落ち
受験なんてクソだと思う。
受験なんてシステムはこの国の害悪の象徴だと、俺は思っている。
そもそも勉強なんて言うものは運動と同じで才能が必要なもので、どうしても出来る者と出来ない者の差が出てくるものだ。
そりゃあやったらやった分だけ伸びはするだろうが、どうしても出来ない奴と言うのは出てくるものだ。
だのにこの国は受験などというシステムで勉強の才能のある者達のみを優遇してきた。
その結果、国民は自らの子らに受験を乗り越えさせる為、勉強の才能の有無に関わらず勉強をすることを強要し、子らが持っているそれぞれの才能の芽を潰してしまっているのだということに気付いていない。
もしかしたら気付いた上で、面倒くさがってこのシステムを放置しているのかもしれないが、そんなことはどうでもいい!
勉強など、したい奴や必要な奴らが、したいだけ、必要なだけを学べばいいのであって、義務教育なんてものを課してまで無理にやらせる必要はないのだ。
そして、国民はそれぞれ自分が本当にやりたいことができるような環境作りというものを国が用意するべきだと思うのだ。
「そうか。で、結局お前は何が言いたいんだ蘭堂?」
大学なんて俺には必要ないからとっとと帰せ。
「最初からそう言えクソガキ」
「毎度毎度同じことで呼び出されてるからな、偶には新しい切り口で始めてみようかと」
「おじさんもなー、別に好きで毎日毎日おめえを呼び出してるんじゃねーっつの。校長教頭学年主任から半ば脅迫されておめーの説得なんてやってるんだよ。いい加減素直に『うん』と頷こうぜ蘭堂」
「なんだよ先生。らしくねーじゃねーか?上の人間に脅されたくらいで―――」
「お前の説得に成功したらおじさんボーナス確定で倍倍チャンスなんだよ」
「何言ってるかよく分からないけど、何を言いたいかは理解したよクズめ」
目の前で気だるげに溜息をついているこの男は俺の反面教師、枦山
口は悪く、目つきはいつ見ても死んでおり、授業も適当極まりない。
死ぬまで楽に生きたいと願っているダメ人間だ。
この前なんか休日にもかかわらず、携帯に電話がかかってきて―――
「あー、蘭堂お願いなんだが駅前のパチンコ屋に今すぐ来られるか?」
「なんでだよ? つーか、一応成人してるけどまだ高校生だぞ俺」
「ちょっと入場の抽選一緒に受けて欲しいだけだから大丈夫だよきっと」
「入場抽選?」
「そう、この抽選で今日の新台が打てるかどうかかかってるんだけど、こんな所で運を使いたくないから今人海戦術で人を集めてるんだよ。で、少しでもいい番号を引いたら俺にその抽選券を―――」
なんてどうしようもない事をぬかしやがったので、校長に匿名で通報してやった。
そしたら後日、半年の減給を言い渡されたから金を貸してくれと泣きながら迫られた。
クズめ。
「お前が嫌がり続けるから、あちらさんどんどん条件を上乗せしてるんだぞー。うっはうはなんだぞー?推薦入学だから受験はもちろん在学中の学費、それどころか講義すらも免除。その上生活費に加えてお小遣いの支給、更に卒業後には就職先の斡旋までしてくれるんだぞー?官僚だぞ、官僚?あーあ、おじさんと人生代わってくれよー」
「またロクでもないことを……つか、色々とおかしなものが混ざってんじゃねーか。なんだよお小遣いって?」
「月々5万円お小遣いが支給されるんだと。もはやお年玉レベルだぞ?毎月お年玉貰えるんだぞ?チキショー羨ましいなおじさんに月々1万程カンパしてくれよー」
「生徒にたかってんじゃねーよこの野郎。つーか1万貰って何するつもりだ?」
「パチンコ」
なるほど、これが羞恥心すらも失ってしまった末期のダメ人間か。
本当にロクでもねーな。
そんなんだから誕生日にプレゼントとして、ケーキの具材を生徒たちから投げつけられるんだよ。
「いい加減にしようぜ先生。にかく俺は、大学なんかに行く気は無いんだよ。誰が何度来ても同じことを言うぞ俺は」
「そうかよ。こんなにいい待遇二度とないぞ?何でそんなに嫌がるかねー」
「……やる気がねーんだよ。つか、一生徒にここまで干渉する方がどうかしてると思うぜ?」
そう言って俺はは立ち上がり、スカスカのバッグを片手に進路指導室を背にした。
「まあ言いたくなきゃそれでもいいけどよ、その代りちゃんと自分がどれだけ抱えられるか判断しろよー?抱え過ぎて潰されちゃった、なんてことにならないようになー?」
こういう所があるから、足蹴にしながらも生徒たちは彼を慕っているのだろうな。
「……分かってるよ、先生」
背中越しに返事をすると、嵐は静に進路指導室から退出した。
俺こと蘭堂嵐は受験を間近に控えた高校3年生(21歳)である。
年齢と学年が合致しないのは理由がある。
金が無かったからだ。
中学を卒業する直前に両親が交通事故で他界した。
両親の遺した貯金と保険金があったので当面の生活費等は問題なかったが、妹二人の学費や不自由をさせないだけの金額と考えると、それらだけではとても楽観できず、その工面の為に俺はすでに特待生での入学が決まっていた高校を辞退した。
その後アルバイトをいくつも掛け持ちしたり、危ない橋をいくつも渡ったりしてなんとか学費を稼いだ。
裏世界にも足を突っ込んで人間の醜い部分を嫌と言うほど味わったりもしたけど、家族を想うとなんとか我慢できた。
3年間死ぬ思いで働き続けた結果、どうにか妹たちの大学までの学費に目処が立った頃、妹二人が俺にプレゼントをくれた。
それは、かなりまとまった金額の入った通帳だった。
聞いてみると、二人して様々なコンクール(漫画大賞やらCM作成コンクールやら小説賞等)に応募して稼いだ賞金だという。
妹たちは思った以上に逞しかったようだ。
「いつも私たちを守ってくれているおにいへの、私達からのプレゼントよ。これでおにいも学校へ行きましょうよ!」
「美咲ねえよりは下の学年になっちゃうけど、アタシとは同学年なんだぜアンちゃん!」
この日俺は号泣した。
妹たちが俺の為に頑張ってくれていたこと、俺が考えているよりも二人が大人になっていたこと、二人が俺を心から愛してくれていると知ったこと。それらが一緒くたになって、一言では言い表せない感情が両目を通して零れたんだ。
そこからの2年間は、俺が過ごした地獄のような3年間を塗りつぶすほどに幸せな期間だった。
勉強に励み、部活動に精を出し、休みには家族や友人と遊ぶ。
ただこれだけのことがどんなに幸せなことなのかが、俺はようやく理解できた。
思う存分に捨てたはずの青春を謳歌できた俺は、この幸せは不変のものであると勝手に思いこんでいた。
しかし、梅の花がそろそろ満開になろうかという時期に、なんの前触れもなくその日は訪れた。
朝いつも通りに起きたのは覚えている。
いつも通りに登校し、いつも通りに下校したのも覚えている。
そして火曜日だったから、いつも通りレストランでアルバイトをしたのも覚えている。
だがその後のことはよく覚えていない。
いや、正しくはアルバイト先のトラブルが原因で帰宅が遅くなったのは覚えている。
ただその後のことはよく覚えていない。
しかし、紅蓮の炎に包みこまれ、どす黒い煙を吹き出している我が家の光景だけは、写真で取ったように鮮明に頭の中に残っている。
妹たちは死んだらしい。
火事に巻き込まれて。
警察は放火がどうのと言っていたが、俺は右から左へと聞き流した。
もう、何もかもがどうでもよくなった。
それから約一年。
俺はとことん無気力になってしまった。
どうやら大量の涙と共に、気力みたいなものも一緒に流してしまったようだ。
俺は決っていた大学の推薦入学を辞退し、勉強もせず、バイトも辞め、毎日を無為に過ごした。
学校側はどうしても俺に大学に進んで欲しいのか、何度も何度も考え直せと言ってくるのが鬱陶しかった。
ただ、妹二人が費用を出してくれた高校だけは、ちゃんと卒業しようと思ったので、鬱陶しいのを我慢して登校し続けている。
それもあとわずかで終わる。
そうしたらどうしよう。
俺にはなにも残っていない。
生きる気力は無い。
かと言って『死ぬ』と言う選択肢も出てこない。
生きるか死ぬかどうしようか、などと考えているうちにいつの間にか正面玄関にたどり着いた。
このままあのぼろアパートに帰ってもやることが無い。
部屋にあるのは布団だけで娯楽は何も無し。
かつて友人だった者達はすでに俺から離れているし、何より受験勉強で忙しい事だろう。
本当に何もすることが無いな。
ああ、このままあっという間に時が流れていけばいいのに。
上靴から外履きへ履き替え、そのまま校舎から出ようとして、ガラス戸に張られているポスターが目に映った。
数か月前から張られていて既に色褪せはじめたそのポスターを、いつもはぼーっと通り過ぎていたが、この日は何となくじっくり見てみる気になった。
『君の世界は、もっと広いはずだ!』
なんてよくあるようなキャッチフレーズが大きく占めた、背景に世界各地の写真が貼られている留学キャンペーンのポスターだ。
その背景の写真の中では、世界のあらゆる人種の人々が、溢れんばかりの笑顔でこちらを見ていた。
それが生前の妹たちの笑顔と重ねて見えて、俺の中の何かがすとんと落ちた気がした。
いつもなら一瞥しただけで通り過ぎてしまっていたそのポスターは、その日はなぜか強烈に俺の心を惹きつけたんだ。
もし世界を巡ってこんな笑顔に出会えるのなら―――
「世界を回ってみようか……」
自然に出たその言葉は、俺の卒業後の進路に決まっていた。
そうだ卒業したら、取り敢えず世界を巡ってみよう。
世界の知識はいろいろと知っているけれども、実際にそれらを五感で感じたことはまだ無い。
どうせもう何も残っていない空っぽなんだ。
だったら、せめて死ぬまでに俺を満たす何かを探しに行くのもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、自然に口角が上がっていた。
俺はようやく、前に進もうと自然に思えた。
まずはどの国から行こうか、アジアかヨーロッパかアフリカか、なんて考えながら校舎を出た瞬間―――
俺は地球上からいなくなった。