夢の女を殺せ
「殺してやる」
私の夫の心を奪おうとする、ミサキという女。絶対に許さないわ。見つけたらズタズタにして、近づいた事を後悔させてやるんだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
私の夫は誠実で真面目で、ちょっと気が弱いところもあるけど一生懸命な人で……心から愛しいと思える人。プロポーズの時、緊張で言葉を噛みながら指輪を渡してくれたことは、私の人生で一番の思い出。
まだ子供はいないけれど、それなりに夜の営みにも励んでいる。連休は一緒に旅行に行くこともあるし、仕事の休憩中にも毎日メールをくれたりする。朝帰りなんてしたこともない。
それなのに。
今日からちょうど十日前、深夜二時三十一分。
私はなかなか寝付けず、隣で眠っている夫の顔を覗いた。薄地のカーテンから月明かりが漏れ、私の夫の顔が照らされる。
「愛してるわ……ふふ」
私は夫の唇に自分の唇を重ねた。
すると夫は、寝言で名前を呼んだ。
「んん……駄目だよミサキちゃん……」
「……ミサキ?」
私はその時、どんな顔をしていたか想像ができない。
私の名前は、『ミサキ』ではない。一文字もかすっていない。学生時代から彼のことは知っているが、付き合ったのは私が初めてのはずだし、そんな女の名前聞いたことが無い。
まさか。
まさか私に隠れて、別の女……ミサキと、浮気をしている?
信じられなかった。そんなことはありえない。
「……っ!」
その女、ミサキが恨めしい。
どんな女か。どのような関係か。どうやって近づいたか。何が目的か。きっちり調べ、落とし前をつけて貰わなくては。
次の日から、私は浮気調査の探偵を三人雇った。卒業文集も漁り、会社の社員名簿も目を通した。
しかし、探偵からの結果も自分が調べた結果も同じだった。ミサキという女は、夫のまわりに存在しない。また、私以外の女の姿はほとんどないという。
夫と一緒にいない時、私は連絡をする回数を増やした。メールもするし、電話する時は顔が見たいと言ってビデオ通話にしてもらった。特に、怪しい場所には行っていないようだった。
いっそ結果が出てきた方が、何かしら行動ができたかもしれない。けれど、私は我慢することができなかった。
「ねえ、あなた」
「なんだい? そんなに怖い顔をして」
「ミサキって女、誰?」
「……どうしてそれを?」
直前と比べ、瞬きの回数が増えている。夫は何か隠し事をしている時、いつも瞬きの回数が増えるのだ。
「私の事を愛しているなら、答えて!」
「……ミサキちゃんは、夢の中で出てくる女の子なんだ」
夢?
「続けて」
「可愛い子だよ。年下なんだけど、大人しくて、髪が長くて、いつも長いスカートを履いてて…………」
なるほど。道理で現実の世界で見つけられないわけだった。
「私、あなたがずっと浮気していると思ってたわ」
「そんなことがあるものか! 僕は、今もずっと君のことを愛してる」
「……わかったわ。疲れたから、私は先に寝るわね」
そして、私は寝室のベッドで泣いた。
夫のいきいきしている姿は、久しぶりに見たかもしれない。
「……許さない」
私の夫を惑わす人物は、すぐに排除しなければ。
その晩、私は夫の夢の中へ飛び込んだ。
田舎のような風景に、ぼろぼろのバス停。
そこに女が一人、何かを待つように立っていた。長い髪、ロングスカート。特徴は一致している。
私は近づいて、話しかけた。
「あなたがミサキね」
きょとんとした顔でこちらを見る、顔だけはいい女。こいつだ。
「そうですけど、あなたは……きゃあっ!」
「死ね!」
私は背中に隠しておいた包丁を一気に胸に向かって突き刺す。
ミサキの胸からは血が噴水のように溢れ、地面に倒れのたうちまわっている。
「夢の中で痛みを感じない、というのは嘘なのかしら?」
「やめて……やめ……」
私はミサキに馬乗りになった。
「この泥棒猫! 人の夫を寝取ろうとしたのか! 淫売!」
「浩之さんとはそんなのじゃ……あ、ああぁっ……」
「私の夫の名前を呼ぶなぁっ!」
包丁でメッタ刺しにしていく。口からも血を吐きだし、既にうつろな目になっている。
まだ足りない。
「許さない、許さない、許さないっ!」
しばらくすると、ミサキはぴくりとも動かなくなった。
私は唯一傷を付けなかったミサキの顔の皮を丁寧に剥ぐ。ミサキの身体は内臓が露出していて、皮を剥いだ顔も先程とは打って変わって醜い姿になっていた。私はミサキだったものを林の方へ蹴り飛ばした。
ミサキの皮を頭にかぶり、私がミサキになった。そこら中に飛び散った血には砂をかけバスが来るのを待った。
そしてどこからかバスが来て、想像通り、夫だけが降りてきた。
「待っていたわ、浩之さん」
「こんにちは、ミサキちゃん」
私は自分より少し背が高い夫を見上げるようにして見つめた。夢の中でも、彼はとても素敵な人だ。
あとは、ミサキの姿になった私をこの世界でも、夢の世界でも愛せばいい。邪魔だった本来のミサキは、もういない。
さあ、私を愛して!
「ミサキちゃん。今日は、君に大切な話があるんだ」
「まあ、大切なお話?」
夫の顔は、いつも以上に真剣な、何かを心に決めた表情だった。きっとこれから愛の告白するのでしょう。あの日のように。少しだけ悲しくなったけれど、私はそれでもいい。
ミサキになった私が、この世界での夫の愛を受け入れればいいだけの話なのだから。
「ミサキちゃん」
「なあに?」
「これから僕は、君と会わない」
「……え?」
わけが、わからない。
「前に、僕には現実の世界で妻がいることは言ったよね。それでも君は、僕と仲良くしたいと言ってくれた。年下の友達ができたみたいで嬉しかったし、妻へのプレゼントの相談に乗ってくれたこともすごく助かった。でも……やっぱり、僕は妻だけを見るべきなのかもしれない」
「そ、そんなことないわ! これから、そうよ、これからも夢で一緒にいましょうよ!」
景色がガラスのようにひび割れていく。
「明日は……年目の結婚記念日で……プレゼントを……と……っていて……」
「待って! お願い! 行かないで!」
夫の声が遠くなっていく。
夢の世界はぐにゃりと曲がり、空間は歪み、夫だけがただ、綺麗なままそこに立っている。
「僕は……だけを……している」
私がいた場所が音を立てて砕け散り、一番聞きたかったところは聞き取ることができなかった。
「あなた……」
私は奈落へと堕ちていく。
「……あなた」
暗闇の中、私は一人になった。
「あなたぁっ!」
夫の声は、返ってこなかった。
END
妻がどうなったかはご想像にお任せ致します。