停滞はしない
シルフィードは目の前にいる女性を嬉しげに眺めていた。
場所はエゼギア・ラボの応接間。
黒いテーブルとソファ、壁や絨毯は人が安心できる暖かな色調にそろえられている。
レンガ造りの暖炉の上には銀器が飾られ、部屋を照らす照明は淡いオレンジ。
そんな部屋で彼女は待っていた。
彼女の名は京島かなし。
エゼギア・ラボの責任者の妹と説明を受けた。
エムとは顔馴染みらしく、シルフィードには理解できない専門用語で会話をしている。
聞き取れた内容をまとめると、ラボのガーディアン、そこでお茶をいれてくれてる茶色い女性型アート。が、状況判断のため、彼女をコールドスリープから起こしたということらしい。
だからなのか、彼女の髪はうっすら湿り気味。シャツの方は上みっつほどボタンを留めていないという乱れた格好。
そのように楽しく観賞しているシルフィードの足をピアが思いっきり踏んだ。
「いってー!!」
ピアはぷいっとシルフィードから顔をそむけ、バーナヤーガと名乗ったアートの方を向いて微笑んだ。
「ねぇ、バーナヤーガ、私に合うような動きやすい服、ここにない?」
「あるわ。……でも、ねぇ、ピア、あまり人を傷つけるような真似はしてはいけない」
茶色尽くしの布を身にまとったバーナヤーガはピアに手を伸ばしながらそうたしなめた。
ピアは文句を言いたそうなシルフィードをちらりと見やってから不思議そうにバーナヤーガを見上げた。
「……どうして?」
ぴたりと伸ばした手を止めるバーナヤーガ。周囲が瞬間的な沈黙に支配される。
二体のアートによる二種の価値観。
『アートこそ最上』『人のためにある存在たるアート』
相容れることのできない二つの意識。
ピアは『親』以外の上位者を認識せず、バーナヤーガは『人』を自らの上位者と定める。
気に入らなければ打ち捨てることに躊躇いはなく、正当な理由なければ『人』を傷つけることは許されない。
双方が相手の思考を理解しがたい。
「……面白い子だわ。ドクター。ドクターがプログラミングしたの?」
かなしが興味深げにピアを見つめる。そのまなざしは研究者のそれ。
エムは軽く首を傾け、呟いた。彼もまたこの状況を興味深げに観察している。
「ほんの一部分にだけ介入している。基本は優樹一だ」
ピアは心配そうな表情でエムを見上げた。その瞳は泣きそうに潤んでいるようにすら見えた。
「お母様、私、何か変なこと言った?」
首を横に振るエムのその横でかなしが少しの沈黙の後、笑いを堪えて震えているのをシルフィードは目撃した。
「さぁ、ピア、こっちへ」
バーナヤーガがあらためて手を差しのべ促がす。
不安そうな表情のままピアはバーナヤーガの手を取った。
対するバーナヤーガの表情の方は布のせいでわからない。
二人が歩み去るのを見届けるとかなしはじっとエムを見つめた。
「……ドクター、どうして『お母様』なの? 普通はお父様でしょ? ドクターは男性なんだからヘンよ」
エムはかなしの言葉に困ったような咳払いを一つした。
「ピアにとってのお父様は優樹一だからね。あの子を混乱させたくなかった」
「おかげでこっちは混乱すっけどな」
まじめげな会話をしてる二人をシルフィードが楽しそうにまぜっかえす。
かなしはゆっくりとシルフィードの方へ顔を向ける。
それは彼らがこの部屋に入ってから初めてのことだった。
「お、ようやくこっち見たね。ここの連中って人のこと無視する奴ばっかだなぁって思い始めてたトコだったんだぜ」
からかうようなシルフィードの言葉にかなしは困惑気味にエムを見、そしてもう一度シルフィードを見た。
反応に困って救いを求めるようなまなざしにエムは苦笑をこぼす。
「紹介しただろう? 外界からの遭難者で、シルフィード・ティアーズ。……かなし、このエゼギア・ラボには宇宙船はないかい?」
子供に語るようなエムの言葉にかなしは気分を害した様子はなかった。
「宇宙船?」
かなしはシルフィードを吟味するかのように見据えつつ、エムの言葉に対する解答を記憶の中から探し始めた。
元来このエマルディアにおいて、ある一定のレベルを誇るラボでは宇宙船も所持、開発していた。
かなしの兄が所属するこのエゼギア・ラボもある一定のレベルを満たしているラボだった。
政情不安定ゆえの有技術者・有知識者の脱出計画。
もともとこのラボの職員ではないかなしはあまりよく知りはしない。
しかし、使ったとも壊れたとも聞いていなかった。
かなしが黙っている間、シルフィードは大人しく観察対象になりながら自らも、エムの様子をうかがっていた。 彼の言葉の裏の裏まで読み取ろうという心理から。
かなしはそっとシルフィードから視線をはずし、頷いた。
「あるわ。月行船。月へ行くための調査船があったはずよ。整備はバーナヤーガ達がしているはずだから問題ないはず。どうせ、かなしは兄さんの側から離れる気はないし、ドクターはどうせ優樹一のトコ戻るのでしょ? 彼を月まで出してあげることぐらいなら可能よ。月からなら外部へ向けての通信もできるでしょうし……」
かなしは無感動にそう言葉を紡いだ。
記録を読み出すマシンボイスのようだ。と、思っているシルフィードをきれいに無視してエムに首を傾げて見せる。
「ドクターは優樹一を見捨てたりしないんでしょ? それとも、その、えと、そう、シルフィードにのりかえるの?」
同じ調子で、それでも歯切れ悪く言葉を続けたかなしの発言内容に2人は凍りついた。
「…………かなし……?」
「ちょぉおおっと、まていっ!!」
呆然とかなしの顔を見るエムと中指を立てそうに怒っているシルフィード。
交互に二人の表情を見比べて、かなしはエムの肩をぽんと叩いた。
あきらかな誤解。
「大丈夫。かなし、そういうことに偏見ないから」
軽く認めるような口調。応援するかのようにぐっと握られた拳。
しかし、表情も口調もあまり変わってはいない。事実、気にしないのだろう。
だが、二人は気にしたようだった。
「俺が気にするわぁああ! それなら、俺はよっぽど、かなしちゃんを口説くぞ!」
かなしは怒鳴りつけるように言ったシルフィードをうるさそうに一瞥し、首を横に振った。
「ダメ。かなしは兄さん一筋なんだから」
そう言ってかなしは物憂げなしぐさで乾いてきた髪を指ではじいた。
パタッと、かなしを指さしていたシルフィードの手が襲ってきた無力感に下に落ちる。
「かなし、そういう言い方は外部の者の前ではするべきではないと思うよ。それと、偏見はないが我が身に降りかかるとなると私も……嫌なんだが、かなし、のりかえるって?」
力なくかなしの肩に触れ、エムは明らかにいやいや、かなしに尋ねた。
かなしはじっとエムを見つめ、目を細めて頷いた。
「だから、所有欲で束縛されるのが嫌だから自分と似たとこのありそうな、つまり安心できる彼に乗り換えるんでしょ? 言い方、変?」
小さく『難しい』と呟きをこぼすかなし。
シルフィードはまともな会話をすることは諦め、ソファに体を沈めた。ついでにいそいそとテーブルの上のお茶を飲み、お茶菓子に手を伸ばす。疲れた気分ではお茶菓子をふたつに割った。
「似た、トコねぇ……」
小声で呟いたシルフィードの言葉に反応するものは誰もいなかった。
「え?」
ピアはシルフィードとエムを見比べた。
戻ってきてはじめて聞いた内容が少し理解できなかったからだ。
「お前はシルフィードと行くんだよ」
エムは静かにピアにそう言った。問いかける疑問系ではなく決定事項の報告だ。
「お母様は?」
ピアの言葉にエムは静かに頭を左右に振った。
そして同じ言葉を繰り返す。
「ピア、私は残る。かなし達を危険にさらすわけにもいかないしね。もちろん、シルフィードを危険なめにこれ以上さらすわけにはいかないしね」
シルフィードはエムの言葉に『危険はごめんだ』とばかりに軽く頷いた。
そんな様子にかなしが冷たい視線を向ける。
「かなしも兄さんも気にしないわ。移動するだけだし、最初っからドクターを当てにしたことなんかないもの」
「ピア、俺についてくんのやめる?」
悩んでいる様子のピアを見かねて、シルフィードは助け舟のつもりでつげた。
ピアは少し、下を向き、手を握り締めた。
「ついて、ついていくわよ!」
泣きそうな表情でピアは怒鳴った。
「ただ……ねぇ、お母様、どうして……?」
こぼれる涙を拭い、ピアはエムを見つめた。
エムは黙ってピアの涙を拭った。
「すまないね。ピア、私は優樹一を放っておけない。小さな頃から慕ってくれていたのに今更、見捨てられないからね」
シルフィードはその言葉に少し首を傾げ、エムを見た。
かなしがつまらなそうにエムを見据えた。
「昔っから歪んだとこがあるのは分かってたんだから、さっさと見切ればあいつも諦めがついてたかもね。ドクターがみんなにじゃなくて自分にだけ優しいという錯覚せずに」
かなしは今度はシルフィードを一瞥し、吐き出した。
「似たタイプだと思ったのよ。二人とも。親切で優しいけどすべてに無関心。だから、自分だけは特別じゃないかって思わせるその人柄! ドクター、絶対優樹一のことなんか見捨てるべきよ」
かなしの糾弾にエムはひとつ息を吐いた。
だからシルフィードは開きかけた口を閉ざした。
「それで、どうするんだい? かなし、その後、この星はどうなる? あっさり切り捨てられるものなら切り捨てている」
黙ることになったシルフィードはテーブルの上のクッキーに再度手を伸ばしピアに軽く手を振る。
「さりげなくシビアだよな。エムって」
ピアは不可解げな表情のまま頷く。
「シーファはお母様、助けてくれないの?」
「望んでないだろ? エムの奴は救われることを望んでないだろ? 第一、準備不足にもほどがあるし、……少しシビアなことを言うならば、理由がない」
はっきり告げられた言葉。
筋は通っている気がしてピアは小さく頷いた。
泣きそうな表情で……。
銃がピアの手に握られていた。
銃口はシルフィードに向けられている。
「お父様がね。いらないものは排除しなさいっておっしゃったのよ」
かわいらしくピアはそう言い、微笑んだ。
「お父様がね、シーファは要らない物だから排除なさいって」
「ピア?」
「なぁに? シーファ」
信じがたい声がシルフィードから漏れたのが嬉しいかのようにピアはかわいらしく微笑んだ。
バチィイ!
……カララ
閃光と耳障りな音にシルフィードは腕で視界を遮った。
「ガラクタのクセにじゃましないでよ!」
怒りの篭ったピアの声が響く。
そっとシルフィードは腕をずらした。
どこから出現したのか、青い髪の鞭を持った少年がピアを睨んでいた。
「お前、誰だ? もし、お前がピアだというんならバーナヤーガはどうした?!」
怒鳴る少年にピアはうるさそうに髪をかき上げた。
「うるさいわね。不要なものは処分するに決まってるでしょ。もちろん、あんたもだし、あの女もよ。お父様のこと悪く言ったんだから当然よね。それに私はピア、よ」
ピアは得意げにそう言うと両手を広げてみせた。
『ほら、見て』と言わんばかりに。
シルフィードは目を細め、二人を見る。
ピアの背後の扉から急に飛び出してきた少年。少年は今、ピアとシルフィードの間にいる。
鞭ではじかれた手の甲を軽く撫でながら転がった銃を目で追うピア。
シルフィードは袖口のナイフをそっと確認する。
「動かないでよ。シーファ。私はマイケルとは違うんですからね」
その途端ピアの声が飛んできた。
シルフィードは動きを止め、ピアと少年を見つめた。
青い髪の少年だ。
向かい合うようにいるのはかわいらしくこちらを見ているピア。
その背後から光線が走り、シルフィードの髪の端を掠め焼いていった。
「な!」
シルフィードは軽やかなターンを見せたピアとその奥の人物を見比べた。
桃色の髪をポニーティルにし、ダーク色のひざ上10センチのタイトスカート。そこから伸びるダークグリーンのタイツに包まれたしなやかな足。
その先は濃い青のブーツ。折り返しの白がポイント。
彼女は片手の銃を下に下ろした。
「シーファ、その子を私だなんて思ったなんて言わないでよね」
そこにいたのはもう一人の色違いピア。装いも違う。
シルフィードは軽く肩をすくめた。
「いや、違うのはすぐわかったけど、アオちゃんの言葉で悩んだかな」
「あら……」
銀髪のピアは首を傾げ、三人を見た。
三人とも銀髪のピアを見ていない様でその行動を観察している。
銀髪のピアは嬉しげに笑った。
「ちょうどいいわ。姉さんもいるのならお父様のお言いつけをまとめて片付けられるもの」
「おいいつけ?」
桃髪のピアは銀髪のピアの言葉に彼女を見た。
銀髪のピアはにこにこと笑っている。
上機嫌に。
「失敗作は処分なさい。ですって」
ぴたりとピアは動きと表情を止め、銀髪のピアを見た。
「だから、今は私がピアなの。失敗作さん。あなたを壊して私がお父様のただ一人の娘になるの」
銀髪のピアが歌うように言う。
もう一人のピアの反応を確認し、満足そうに。
ピアは凍りついたような表情のまま、銀髪の髪のピアに静かに告げ始めた。
「お父様は同じ者なんかいくらでも作れるわ。私は七体め。あなたは八体め? お父様が気に入らないと判断なされたら廃棄されるのよ。私は自由になるの。だれの意思にも縛られない。私は、私の意思で生きるの。あなたがお父様ただ一人の娘になるといいわ。だから、……お帰りなさい」
銀髪のピアはその冷めた物言いに対し、不満そうに鼻を鳴らした。
「そして私はあなたが戻ってくるかもと言う不安を抱いたまま過ごすの? 冗談じゃないわ!」
振られる腕。跳ねる銀髪。かかとが床を打つ音。
大きな身振り。
それが彼女の個性なのだろうか、幾度となくその動きをシルフィードは意識した。
銀髪のピアがシルフィードの方をむき、微笑んだ。
「ねぇ、シーファ」
銀髪のピアがシルフィードに鋭い声を投げつける。
微笑を貼り付けたまま。
「いつ、いつから私が姉さんじゃないと気がついたの? 私のコピーは完璧だったはずだわ」
シルフィードは、何気なく頭をかきながら天井を仰いだ。
「エムのことシビアだって言った時うなずいたろ?」
「なんっですってぇ! お母様はおやさしいのよ! シビアですって! シーファ……いえ、シルフィード・ティアーズ、それこそあなたが冷淡で最低だからそう思うんじゃなくて?」
桃色のポニーティルを激しく揺すって横で聞いていたピアはシルフィードにまくしたてた。
「な。ピアならこうくるんだよ」
軽く笑ってさえいるシルフィードの冷静さにピアはふて腐れ、妹、後継機であるもう一人のピアを睨みつけた。
「完璧なコピー、ね。コピーはコピーだわ。ただの、ね」
ピアは銀の髪を苛立ちの隠せないしぐさで払った。
「……かんけい……関係ないわ……私は言いつけに従うだけですもの。お父様の望みを叶えるだけですもの。あなた達を破壊して、お父様が望むようにナカガミ・アキラを連れ帰る。それだけ、だわ!」
「にんげん、らしいよな」
シルフィードは跳躍した銀髪のピアを見て呟いた。
同じ顔の少女達がもつれ合うような形で床に叩きつけられる。
「でも、ぼく等を作ったのが人間さ」
青い髪の少年は陰鬱げにそう呟き、二人の少女に鞭を向けた。
「機能停止、してもらうよ」
少年が振るった鞭は手荒く少女達を打ち据えた。機能停止させうるだけの鞭の一打ち。
シルフィードはその様子に軽く目を閉じた。
「運ぶから手伝ってよ。人間」
青い髪の少年はそう言いながらシルフィードの手を引きにきた。
「シーファ、だ。チビ」
「あっそう。ぼくはヤム・ステイラル。ヤムでいいよ。挨拶終了。ほら、無駄なことしてないでさっさと手伝ってよ」
少年はむっとした表情のまま彼女らに絡みついた鞭を回収し、折り重なって倒れている二人の少女を乱暴に引き離した。
「髪、焼けちまってるな」
シルフィードはピアの桃色の髪の焼け縮れたあとをそっと撫でた。
「そりゃ、高圧電使ったもの。焦げるくらい当然だろ。髪のパーツなんてすぐ替えられるのに変なヤツ」
ヤムは手の動きを止めているシルフィードを邪魔そうに見つつそう言い放った。