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緑の星  作者: とにあ
3/7

第一次接触

 彼の目の前でモニターが明滅を繰り返し、沈黙した。

「おいっ!」

 彼は罵りながら、モニターを軽く殴ってみる。


 …………


 当然ながら応答はなかった。

 完全な沈黙に彼は罵声を上げた。

「やすもんかぁ! 簡単にイカレやがって!」

 ぐるりと周囲を見回しても、暗い。他の電気系統にも影響が出ているらしい。もしくは電気系統の異常がメインに影響を及ぼしているのか……。

 どっちにしろ、正常機能してないのには違いなかった。

 彼は諦め混じりにため息を吐いた。

「くそぉ、モノがモノだけに値切んのやめたっつーのによぉ……」

 怒鳴っても、愚痴っても返ってくる声はない。

 ……当然だ。完全オート操縦の単独(ソロ)光速()宇宙船(シップ)

 この小型宇宙船『ANNA』には彼しか乗っていないのだから。

 そして彼は熱心に操作マニュアルを読むほどまじめな性格ではなかった。

 どちらにしろ現状のような状況対応について書いてあったとしても彼には手も足も出ないだろう。

 彼は諦め混じりのため息と共に思考を吐き出した。

「救いは着陸態勢に入ってから機能ストップしたことかなぁ……って余計やばいぃっ!?」

 彼は危険な状況にたった今気がついたかのように慌て始めた。

 チェアの固定ベルトを手早く引きながらそこに身を沈め、しっかりと体を固定し衝撃に供える。

 それが現在彼にとれる最善の行動だった。

 まだ二十歳にもならないうちに彼は死ぬつもりはなかった。

 第一、死ねない約束もあったのだ。

 助かる率は少なくとも最善の努力と行動。それが生存率を上げるということを彼は数々の不運と幸運により知っていた。

 微小な振動が抑止システムのしがらみから抜け、彼に伝わる。


 軋む音。


 続く微振動。


 あいかわらず光はない。


 漆黒の闇の時間。


 彼は何を思うのか……。


 そして数分か、数時間の時が流れた。

 ようやく予備電源に切り替わったのか、機内に灯りが戻った。

 ただし、モニターの方はあいかわらず真っ暗なままだ。

 それでもと、呼吸を整え身じろぎ始める。

「息は……できる。生きては……いる」

 彼はそっと手を伸ばして固定ベルトをはずす。

「手も動く。指先まで異常なーし。背中はちょっと痛いだけ、すぐ治まる。足も動く。重力も、……ま、許容範囲っぽいよな。息できる。動けもする。よっし! 問題なぁし」

 彼は一通り確認を終えると気楽にそう言い放ち、軽い動作で立ち上がった。

 周囲を見回した彼は眉をひそめた。

 見えるかぎり固定されていなかった物が床に散乱している。

「要・掃除」言いながら彼はざっと一瞥し、床に落ちている簡易食品を拾う。

「ラッキー」

 彼は嬉しげに簡易食品の包装を破り、ビスケットを口に放りこんだ。

 彼は軽い柔軟体操をしながら散乱している物を一箇所に集めてから軽く、モニターをつついたり、応答がないのを確認してから部屋を出ると、外部へ続くハッチへとむかった。


 そして、外部へ続くハッチを開けると、外は……。


「……まさしく、熱帯ジャングル。おお、ワンダフル」


 視界を埋める青の空と広がる緑は終りなく続く海のよう……。

 広大な未開地。


 彼はつまらなそうに周囲を見回す。

 下を見ると、『ANNA』は、木々の上に落ちたらしいことがわかった。

「ううん、ラッキー。ここの植物ってがんじょー……って、あれ? なんか忘れているような?」

 彼は首を傾げ、記憶をあさる。


 星の名前は『エマルディア』

 千数百年前に見捨てられた移民船が下りたことにより人間の干渉と居住を受け入れることになった緑の星。

 名前を付けたのは移民船の乗組員。

 星の原住民達との混血が進み、普通の人類よりは長い寿命を持つに至っている。(純潔の地球人類の方が今は希少種となっている)

 現在、公式記録としては300年前から人の住んでいない無人惑星。

 記録ではリーパー、コールドスリープしている人間はいるらしいけど、その生死は不明。

 彼の記憶に残っている知識はそんなものだった。

 まだ、何かありそうなのにそれが浮かばない。

 しかも肝心なことが。

 彼は思い出そうとするかのように黒髪に手を突っ込んだ。


 めきいいぃ


 思い出せず、苛立ち始めていた彼の耳に異音が届いた。

 振り返った彼の目に映ったものは……、木々に絡まりついていた蔦が『ANNA』の内部へと侵入してゆくところだった。

「そうだったぁああ!」

 彼は一声叫ぶと慌てて引き返した。

 彼が思い出せなかった知識。それはこの星の植物についてだった。

 この星の植物は機械を自分の内部に取り込むという謎の特性を持っているのだ。

 もちろん、制御法はある程度、発見されてはいる。そして、『ANNA』にもその機能は設置されていた。

 彼はどこからともなく取り出したナイフで蔦を切り落としながら、ハッチの脇にあるスイッチを叩いた。

 スイッチは複数個所に設置されていた。

 植物の進行が数秒たって止まった。

 だが、これだけは確かだ。大地に繋ぎとめられた『ANNA』が宇宙を再び舞うことはないだろう。


 ……合掌……


「高かったのに……」

 彼は妙に現実的なことをぼやきながら蔦の切除を始めた。

 この状況で彼がとるべき最善行動は通路などの機内に侵入している蔦の排除だった。

 ついでに、食品類の確保、コンピューターの使用が可能かのチェック、ついでに周囲の安全確認も同時に行う。

 彼は肩をすくめ、出かける前に聞いた友人の言葉を思い出した。


「あの星は決して安全じゃない。ぼくを連れて行かないか? ぼくのおじい様があの星で眠っているとおばあ様がおっしゃっていたし、それ、確かめたいし、それに、お前一人じゃ絶対、確実に事故るね」

 エマルディア生まれの祖父母を持つトウジョウ・イツキは冷静にそう断言していた……。

 彼は少しむっとした表情になった。

 友人が呪いでもかけたような気に一瞬なったのだ。

 だが彼はすぐに思い直した表情でその時の会話を思い出す。

 もちろん、彼は断った。

 彼にとっては当然のことだった。

 そんな危険かも知れない場所に女の子は連れて行けない。

 それは彼のポリシーと言えるだろう。

 そんなことを思っているうちに大まかな蔦はなんとか切除し終わった。

 蔦の切断面が他の蔦にあたるとパチッとはじける音が聞こえる。

 彼はその蔦をさっさと船外に追い出す。こんな所で放電されてはたまらないからだ。

「この星に、高度な文明があった。だなんて信じられないよなぁ……」

 ハッチから彼は一面植物に覆われた緑の地平線を見た。

 5分、経過……。

 彼はゆっくりと笑った。

 それは満足げで嬉しげな笑みだった。


『失われた文明』


 これほど探検心をくすぐる言葉があろうか? いや、ない! 少なくとも俺にはない。

 失われた文明、眠る人々、そんで、美人のねーちゃんでもいれば完璧。

 うん、ロマンだぁ……

 彼女いない暦、生まれてこちらずっと。夢ぐらい見たいお年頃って奴だ。

 風が冷たく、空が薄暗くなってきた。夜、外に出ているつもりはない。

 そんなことを彼は考えながら、空を仰いだ。

「さあ、メシ食って今日は寝よ」



 彼は巨木を見つめていた。

 太い木の幹に腕をつき、枝の上で。

 雄々しく大地に根付き、天に向かいそそり立つマシン・イーター。

 妙にシンボルめいた樹には大きな扉がついていた。

 彼が船から降り、ここに来た理由はその早朝にあった。


 その朝、彼はさほど必要性を感じぬままに早起きをした。

 伸びをしながらコントロールルームに入ると、彼の目には復活し、外の様子を映し出すモニターが映った。

「………」

 彼は喜びの声をあげようとして絶句した。

 はらりと顔を洗ったときそのまま持ってきたタオルを床に落とす。

 モニターには外の森の様子が映っていた。

 木々の蔦が、幾つもの人の腕めいたものや、頭めいたものを飲み込んでいくさまが映されていたのだ。

 中には樹に呑まれた腕から真新しげな芽が芽吹いている。

 いくつもある残骸を見ながら彼はタオルを拾った。

「起きて、すぐ見てーよーなもんじゃねーな。ん? ラッキー。モニター復活してるや」

 彼は機械に淹れさせたコーヒーを手に取り、もいできた木の実にかぶりついた。

「非友好的な連中」

 こぼれかけた果汁を指で拭い、彼はそう呟いた。

 友好的な相手ならば『ANNA』の防衛システムに切り刻まれることはなかったはずだった。

 朝の救いは意外にうまかった正体不明の果実と、モニターの復活だ。

 その非友好的な存在を確認しようと、彼は連中のアジトをその日の午後には見つけた。

 それが巨大な樹だった。


 樹の内部は空洞で、いろいろな部屋があった。

 彼はいろいろな部屋を見て回ったが誰にも合わなかった。

 器用に鍵のかかった部屋を開けていく彼は進路を考え直すべきかも知れない。

「探検。探検」

 遭遇があった。

 そこは上層階。幾つめかの扉。

「あなたダレ? アートじゃないわね」

 銀髪の少女が銃口を彼に向けて突きつけた。

 きつい声ときつい眼差し。

 そのきつい表情は少女の愛らしさをけして損なってはいなかった。

 長い銀の髪、紺と白がかわいいメイドさんスタイル。

 鮮やかな緑の瞳が彼を睨みつけている。

 完璧を望まれて作られた少女の姿。

「アート?」

 彼は少女の言葉を聞き、呟いた。

 幸いにして彼女の言葉は彼の理解範囲だった。

 ただし、次に続けた言葉は意味が通ってなかった。

「芸術じゃないって、えっと君、アーティスト?」


 ぶんっ


 彼のすぐ横を銃が掠め飛んでいった。

「アートはアートよ。芸術のアートじゃないわ」

 少女は怒っているらしく乱暴にスカートをはたいた。

 確かに彼には「アート」に関する知識はあった。やはりトウジョウ・イツキ絡みの知識だ。


「アート、エマルディア独自の一種のロボットだな。うちのサラアースもアートだ。姿かたちは人に近いがもちろん、人ではない。その外殻が保護している生命部分、エマルディアの植物だが、これはひどくエマルディアの外の大気に弱い。というわけで、サラアースを分解なんてバカな考えは消してもらおう」

 ほんの少し、興味を持った彼にイツキ嬢はそう言って追い払うように手を振っていた。

 彼はその記憶と少女の言った「アート」を結び付けて呟いた。

「ロボット?」

 少女は手近にあったソファを軽々と投げつけてきた。さっきまで彼の頭があった位置に今度は正確に。

「わぁっと、っと、あっぶねー」

「ロボットじゃなくて、アートよ。私達は自己進化、自己成長をする生命体なんだから」

 侮辱に怒っている少女に彼は両手を上げて笑って見せた。

「わりぃ。よく分かってねーんだ。俺はシルフィード・ティアーズ、宇宙よりの遭難者さ」


 彼の実に冗談めかしたこの弁解に少女は目を瞬かせた。

 少女は彼のことを好奇心の強そうな緑の瞳でじっと見つめる。

「アートみたいな名前ね。私はピアよ。で、遭難者がどうして鍵の掛かったこの部屋に侵入してきたの? 今日は大事な日だから騒動は厳禁なのよ?」

「大事な日?」

 彼は見上げられている状況をへらへら笑って流した。

 彼の様子にピアは眉をひそめ、不快そうな表情で倒れたソファを手で指し示した。

 シルフィードはソファを起こし、腰掛けた。

 お互いがお互いに危害を加えるつもりがないことをお互いが理解しているようだった。

「大切な日よ」

 シルフィードが腰掛けるのを待ってピアは告げた。

 そして、諦めた物憂げなしぐさで髪を後ろに払った。

「今日はお父様が若返る日なの」

「は?」

 彼はぽかんと口をあけ、ピアをじっと見つめた。

 ピアはあいも変わらぬ物憂げな表情でシルフィードを見据えている。

「若返り」古今東西あらゆる所で望まれたこと。

 シルフィードは少し首をかしげた。

 アートの基礎耐久年数は、百年から数千年以上と永い。外見は基本的に作られた当時のまま変わらないらしい。

「若返り」という言葉はあまり似合わないようにシルフィードには感じられた。

「ヴァージョン・チェンジ?」

 彼はそのお父様がアートで無い可能性もわかりながらも茶化すように言ってみると、ピアの緑の瞳に怒りがよぎった。

 ピアはむっとした表情で吐き捨てるように告げた。

「お父様は人間よ。だから20年に一度、作っておいたクローン体に体を取り替えるらしいわ」

 ピアの声には隠し切れていない嫌悪感が含まれていた。

 シルフィードはその声を軽く無視し、軽い調子で尋ねた。

「へぇ、だからみんな自室に引きこもり?」

「違うわよ」

 彼の言葉にピアは即座に反応した。切り込むような素早さだった。

「聞いてくれる?! ひどいのよ。私は儀式を見ることも出来ないの。みんな立ち会うのに! そりゃ警備とか補助とかって名目はあるけど。どっちにしろ、私、この部屋とお父様のお部屋、隣なんだけど、その往復しかしたことがないのよ! 私だってお外に出たいのに……」

 吐き出し所のなかった怒りをピアは部外者であるシルフィードにぶつけた。

 シルフィードは妙に納得したように頷き、ピアに尋ねた。

「お父様の名前は?」

 その問いにピアは不思議そうに首を傾げた。

 シルフィードもつられたように首を傾げた。

「ああ、シルフィード・ティアーズは外部の人だものね」

 ピアは一人納得したように頷くとシルフィードを見た。

 自分にとっての当然の知識がすべてに対して当然の知識ではないことを思い出したのだ。

「カサイ・ユキヒト。これがお父様の名前よ」

 シルフィードは軽く頷いた。

 納得した表情でシルフィードは歴史書の記載を思い出していた。


 そう、エマルディアが人の住まない星と言われるようになった原因として歴史書にその名前の科学者は載っている。

 アートを狂わせてエマルディア支配をしようとした科学者。

 ひとつの星を自分の支配下におく。

 一部の連中には魅力的なことに映るらしい。

 そう、おそらく『アート製作者笠井優樹一』にとっても魅力的に映ったのだろう。

「知っているの?」

 シルフィードはもう一度頷いて部屋を見回した。

 殺風景な部屋。

 ソファ、テーブル、ベッド。剥き出しの壁に床。透明樹脂の窓。厳重に鍵のかかった部屋。好奇心は強いのに外を知らされない少女。

「一緒に、外に出ないか?」

 シルフィードの誘いにピアは少し躊躇し、それでもしっかりと頷いた。

 差し出されたシルフィードの手にピアは手を伸ばした。




 暗い通路を大小ふたつの影が足早に進んでいた。

「ピア、それで、これは何事だ?」

 大きな影が小さな影に囁きかけた。

 小さな影は闇に映える銀の髪を揺らし、床のある一点を指差した。

「ん、もうちょっと先、あ、そこ床、警報装置」

 大きな影は足をおろしかけた状況で止めた。

「……ピア?」

 小さな影に囁きかける声はわずかに震えている。

「ん、2センチ斜め右にずらして」

 ようやく足を下ろした大きな影は、ひとつ息を吐くと小さな影を睨みつけた。

「ん? どうかした、シルフィード」

 ピアは今にも怒鳴りだしそうな彼を見上げ、華のような笑顔を浮かべてさらりと流す。

 シルフィードは不服そうな不満そうな表情でピアを見下ろしていた。

 ピアは軽く肩をすくめた。

「言いたくない事は言わなくていいんでしょ? それが適用されるのがシルフィードだけのはずがないんだから」

 シルフィードはしぶしぶと言った面持ちで頷いた。

 自分がそれを通したこともあり、とやかく言う権利はないと思っているらしかった。

「それに言ったじゃない。外に出るのならお母様もって」

 そう、少女はそう要求し、彼は気楽に快諾した。

 差し出された手を取りながらついでとばかりにもうひとつの要求を。

 お互いの利害のために契約は成立した。

「だから、どうしてそのお母様はこんな厳重な警備のさなかにいるんだ?」

「あ、ボイスセンサー」

 ピアが天井の一部を指さして言った。彼は黙るハメになった。

(本当に俺のせいだけなのだろうか……?)

 彼はそんな疑問を抱きつつピアの先導に従い先に進んでいった。

 厳重な警報装置、トラップをかいくぐった先に、その目的の部屋はあった。

 幾つもの階段を降りたかなりの下層に位置した場所。

 通路は金属と石と樹の根っこで構成されていた。

 そのフロア唯一の扉をくぐったその部屋もそうだった。

 ただ床には鮮やかなグリーンの絨毯が敷かれ、部屋には水差しの置かれたテーブルとキャビネットが設置されている。

 部屋の中央あたりに何かのコントロール装置と部屋に不釣合いな木の根で出来た柱があった。その木の根に飲まれるように囚われ人はいた。

 零れ落ちる白銀の髪が床につくほど長い。整った顔立ち、閉じられた瞳、うなだれた首はぬけるように白い。

(すごい美人だ)

 彼にそう思わせることの容易い人形のような美しさと花のような微妙な蒼い美しさの持主だった。

 駆け寄ったピアがそばにあるコントロール装置に指をはわせると、人物を絡め取っていた拘束がしゅるりと音を立てて外れる。

 銀の髪がゆるく流れを描き、その人は床に倒れた。

「っつ、」

 彼は倒れた人物に近づき、そのそばにしゃがみこんだ。

「よぉ」

 そっけない口調で彼はピアが『お母様』と呼ぶ人物に声をかけた。

『お母様』の意識があることは先ほど漏らされた声でわかっている。

 そのピアのお母様はゆっくりと彼を見た。

 その薄い緑の瞳は状況把握をしておらずぼんやりとしている。そのままぼんやりとシルフィードに問いかけた。反射行動だった。

「えっと、だれ?」

「シルフィード・ティアーズ」

 淡々とシルフィードは答え、手を差し出した。

「ふざけているのか?」

 薄い緑の瞳が険しく細められた。差し伸べられた手を取って立ち上がりながらゆっくりと髪を払った。

「いいや、あんたの名前は?」

「……エム」

 シルフィードはつれなく答え、その問いに『お母様』はエムと名乗った。

「なんかのコード?」

 この星の人間には珍しい響きの名にシルフィードは好奇心を表に出して尋ねた。

「いや、名前のひとつだ。この星ではナカガミ・アキラ、だがエムと呼んでくれるとこちらとしては気楽なのだが」

 しばらくの白い時間。

「なぜ?!」

 シルフィードは当たり前とも言える疑問をエムにぶつけた。

 エムはさりげなく、あからさまに彼の疑問を無視した。

「ピア、君がピアだね」

 優しく声をかけられたピアはうっとりとほぼ同じ色彩をもつエムを見上げた。

「はい、お母様」

『お母様』『ピア』と呼んでいてもはじめて出会うお互いの姿を確かめ合った。

 その横でシルフィードは沈んだ面持ちのままそっと吐息をもらした。

「おい、そこの涙の風精」

 …………

 エムに呼びかけられ、シルフィードはむっとした表情でそちらを向いた。

「シルフィード・ティアーズていってんだろーが」

 言外に『耳が遠いのか?』というニュアンスで乱暴に言い返し、黒髪を雑にかきあげる。

 苛立っているらしいシルフィードにエムは年上らしくなだめるように少し笑った。

「間違えていないだろう? ところで早く脱出しないとゆっきーが来ちまうんだが……チッ、遅かったか」

 エムは途中で言葉を区切り、唯一の出入り口を振り返った。

 そこには一人の男が入ってくるところだった。

「おや、待ちきれずに起きていて下さったのですか?お待たせしてしまってドクター、ああ、ピアまで……どうしたんだい?」

 ピアとシルフィードがくぐってきたドアから現れた赤紫色の髪を持つ長身の青年がやわらかく、それでいてどこか神経質そうな笑みを浮かべてそう言った。

 シルフィードが事前に目を通していた歴史書に載っている『笠井優樹一』の資料写真より数段いい男だ。

 写真より神経質そうでどこかいっちゃってる感じの嫌な印象もシルフィードは受けた。


「だれ?」


 怯えたようなピアの呟きに青年はにっこり笑った。

「……悪い子だね、ピア。お父様の顔も忘れてしまったのかい?」

 ゆったりした落ち着いた口調。

 彼がゆっくりとピアに近づく。ピアは怯えたように一歩後ずさった。

「ゆきひと、ずいぶんと久しぶりだね」

 本人はエムと呼ばれたいらしいナカガミ・アキラは柔和な口調で彼に声をかけた。

「ええ、ドクター」

 彼はエムを見て本当ににっこりと微笑んだ。

 今の彼にはエムの存在しかないかのようだった。

 きっかり十秒。彼はエムを眺め、ようやく口を開いた。

「人間? それともドクター、あなたのアートですか?」

 丁寧な口調でエムにシルフィード、未知の存在について尋ねる。

 笠井優樹一にとってシルフィードは不快な存在でしかないらしく嫌悪感もあらわな眼差しだった。

 シルフィードはむっとしたまま黙って彼を見返す。

 ピアがそっとシルフィードの袖を掴んだ。その瞳は無表情だ。

 父である彼をピアは嫌っている。そして、同じくらい恐れてもいた。その様子を見て取ったエムは詰めている息を吐き出したいのを押さえ込み、優樹一を見つめた。


「彼はシルフィード、だよ」

 シルフィードを指し示しながら静かにゆっくりと告げたエムを優樹一は軽く頷いた。

 しかし、先ほどさっとシルフィードを見たっきり、その視線はエムにのみ注がれている。

 彼はもうエムしか見ていない。

 その様子をシルフィードはただ静かに見守っていた。

「アートですか」

 彼は淡々とそう告げる。それは問いでなく決めつけだった。


 どっ


 鈍い音を立てて優樹一は崩れ落ちた。

 シルフィードの当身はあっけないほどあっさりとはまり、彼は崩れ落ちたのだ。

 当身をした当人は彼をつまらなそうに眺め、二人の連れに笑いかけた。

「……さて、どうやって脱出しよう?」

 二人ともあっけにとられた顔をしてシルフィードを見つめた。

 先に我に返ったのはエムだった。

「何を考えている。……というか、もう少しモノゴト考えろ!」

 シルフィードを怒鳴りつけ、ちらりと昏倒している優樹一に視線をはわせる。

「もちろん、死んじゃいねーぜ」

 シルフィードにそう告げられ、エムは軽く頷いた。

「……わかっている」

 どのくらい動けずにいたのか知らないがどうやら足腰はちっとも弱っていないらしい。

 つかつかと足早にシルフィードに近づきその腕を取った。

 そして何か言いたそうなピアに向けて手を伸ばした。

「行くよ。ピア、手を離さないように」



 ゆっくりと身を起こす。

 そこは地下の部屋。

 自分以外誰もいない部屋。

「ドクター?」

 誰もいない部屋に自分自身の声だけが響く。

「……ドクター?」

 あの人が自分から逃げるはずがなかった。

「……あいつか……」

 忌々しい黒髪の「アート」いや、アレはアートだったのだろうか?

 かつかつと耳障りな音!

 いや、これは自分のたてる音だ。

「助け出さなくては……。怒ってはいないことをわかってもらわなければ……」

 早く……。

 しかし、どうやって?

 アレがドクターを傷つけないと言う保証はない……もしかしたらもう……?

 いいや! それはありえまい。あってはいけない。


 かつかつかつかつかつ…………


 ああ、耳障りだ。

 やめなくては……。

 ああ、そうだ。ピアがいる。

 ピアがドクターを守るだろう。

 すべての危険からドクターを……。

「優樹一さん……?」

 手が引かれた?

 ……女……この星元来の住人。

 まだ、利用価値はある。

伽音かのん。あいつらを呼んでくれ。部屋にいる。と」

 女は白い髪を揺らし、媚びるように微笑んだ。

 口元に持っていった指がわざとらしい。

「ええ、わかりましたわ。伝えてまいります」

「何か、言うことがあるのか?」

 伽音はわざとらしく首を軽く傾げ、にっこり笑った。

「ええ。そうでしたわ。外部からと思われる船が墜落していたようですので幾体か差し向けました。一掃してくるようにと」


 ばしっ!


 高く響く殴打音。続く、壁を打つ音。

 伽音はぶつかった壁にもたれ、叩かれた頬を抑えた。

「余計なことを」

「……ご、ごめんなさい。優樹一さん。わたくし、少しでもお役に立とうと……」

 泣き落とそうとでも言うのか、伽音の声は震えている。

 うんざりする。

「それが余計なことだ。言われたことだけすればいい。わかったね、伽音」

 伽音はいつものように潤んだ瞳で頷いた。

「いきなさい」

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