出立
風が気持ちよく通る小道。
街路樹が日差しを柔らかく遮る。
道の向こうから駆けて来る足音が微かに届く。
日を遮ることもなく駆けて来た少女は深紅のフレアスカートを払って軽く膝を曲げる。
「シーファ。お待ちくださってありがとうございます」
「なんだよ。サラアース」
サラアースはやわらかな笑みを浮かべ、くるりと後ろからのんびりやってきた別の少女を体で軽く示した。
くるくるとよく揺れる深紅の布。
俺は友人と言える少女に笑顔を送った。
「先触れご苦労だなー。サラアース。よぉ! イツキ! ここだぜ!」
サラアースはもう一度ゆっくり微笑み、揺れるスカートをなだめた。
「やぁ、シーファ」
短めの黒髪を揺らし、イツキは軽く手を上げて見せる。
そのまま、その手をサラアースの腰に回し、抱き締める。
「E‐プランナーズ、登録したそうだな」
俺はため息をこぼしつつ、いちゃつく少女達を見た。
「ああ、不本意ながら、ね」
イツキは軽くおざなりに頷くとサラアースの頬に口付ける。
さて、見ていられなくなったことだし、『E‐プランナーズ』というか、現状況説明。
昔、バカげた金持ちが金にあかせて学校を創った。
すべてここからはじまる。
……って言うとかっこいいだろ?
ほんとだしな。
もちろん私立学校というだけならバカげてもいないのだが、ここは規模が違った。
惑星とそれに付随する月、および中継ステーションをすべて学校施設として広く人材を集めたのだ。 ――ちなみに創立30年ちょっとのまだまだ若い学校だ。――
この星に住むのは学校関係者だけ。もちろんすべての活動は学生・教師・講師、その伴侶で運営される。
その上、あらゆる分野について網羅しようとしたのだから初期は絶対に採算が取れなかっただろう。
ひとつの中ですべて済ませようとするある意味閉鎖空間の中で『E‐プランナーズ』はこの学内メンバーだけでなく、外部からもメンバー召集を行うというかなり異端な組織。――別名スクールの稼ぎ頭――
外部からの人員受入れの影響で数少ないポイントとキャッシュが交錯する機関のひとつとなっている。
補足説明としては学内では一般的な通貨であるキャッシュの代わりにポイントを使う。
ポイントは代用通貨であると同時に進級のために必要な成績でもある。
つまり、金で進級が買えるようなものだな。――金をうまく回せない奴は進級すらできない仕組み―― 人生、うまく立ち回る術を身につけるのは必要なことだからな。
もちろん、「仕送りで」卒業なんて甘い考えの奴も今までいないわけじゃなかった。しかし、外部からの仕送りキャッシュは上限がある。ポイント換算して年間120が上限。進級に必要なポイント数は一年目で1200ポイント。2年目で2300ポイントだ。
基本的なポイントが少なければ年間120ポイントの仕送りがあったとしても焼け石に水。無駄って奴だ。
今回、プランナーズ登録したことにより俺は登録ポイント1500を手に入れた。
登録なんかこれっぽちもしたくなかったんだが……
「これで兄弟三人ともプランナーズ入りってところか、不本意ながらチーフ登録なんだろ?」
イツキが小さく笑いながらその事実を呟いた。
くそうっ! 現実から目、そらしてたのに。
そう、俺には兄と妹がいてそっちの二人はとっくにプランナーズの特権を享受しているのだ。しかも四人いるチーフのうちの二人だ。そして俺が三人目……
ちなみに1500ポイントというのはチーフ登録ポイント。
普通に授業を受けたりするより高ポイントだ。――問題あると思うんだけどな――
その他のメンバーは担当チーフがテキトーに登録ポイントを分配する。
分配されるポイントは仕事によるが50ポイントから最大500ポイントと幅がある。
で、この登録ポイントはバイト代と呼ばれたりもする。
授業や罰則で生活必需ポイントの足りない者や、早々に進級したい者に対する補助システムだ。
この学校で無料なのは基本の授業料、そして、寮の部屋代、一月に一度支給される半月分の食材だけだ。――まぁ、このあたりの一部、初期半年分は入学時に払い込んであるとも言う。――
イツキがサラアースを抱くのをやめ、俺の隣にきた。
「それで、聞いたんだが」
イツキは肩で切り揃えられた黒髪を揺らす。
「なにを?」
ラベンダーの瞳を僅かに細め、イツキは俺を見た。
「チーフ特権の調査旅行に出かけるって、その場所と」
『チーフ特権』
この学校内ではよく聞く単語。
何しろ、この『E-プランナーズ』の活動は理事長からのストップがこなければ誰も止めることができない。
『E‐プランナーズ』の権限は学内に関する限り無敵だ。
俺は軽く息を吐いた。
「……ティーチ……か」
俺は妹の名を呟いた。妹にはあえて伝えてはいないが、俺の計画を知っている可能性は高い。
だが、機密を軽々しく洩らすのは誉められたことじゃないな。などと思っていると、
「……ティーチ? ああ、あの子に聞くって手もあったな。だが、情報源はティーチじゃないぞ」
お?
イツキは寮へ向かい歩き出す俺に歩調を合わせながら俺を見上げる。
「クシュファ・ノートンだ」
「……ランサー・ガーランドぉ」
イツキの言葉に俺は浮かんだ名を口にしていた。
ランサー・ガーランド、俺の同室の一人で、よく総務などでバイトをしてるパイロット志望学生だ。 別にこいつとイツキができてるというわけではなく、このランサー・ガーランドの恋人はイツキの部屋の向かいに住んでいる。
その恋人の同室者がクシュファ・ノートンなのだ。
ランサーはおしゃべりではなく無口だが、恋人の前ではより無口な恋人を和ませようと多弁になる。
その会話をクシュファ・ノートンが小耳にはさむことは可能だろう。
なにしろ、ランサーの恋人は自閉気味な科学者系。現在の同室者達とは仲がいいとは言え、自分からランサーから聞いた話を洩らしたりはしない。
「ディーンがいちおう、クシュファ・ノートンを止めていたぞ」
フォローのつもりか、イツキがそう呟いた。
もし、そうならば噂をばら撒くのが好きなクシュファ・ノートンもその行動を控えもするだろう。 なにせ、奴らの部屋はイツキの向かいだ。その場面をイツキが目撃していても何の不思議もないし、ちょうど調味料借りに来てた所でもおかしくない。
「で? そのことがイツキとなんの係わり合いがあるんだ?」
「ぼくも連れて行ってほしいんだ」
イツキは俺を少し見上げ、そう言った。
その瞳はちょっと不思議なラベンダー。だぶついたトレーナーの下は均整の取れた姿態……このあいだ妹の付き添いをさせられたプールにて判明……化粧っけの全然ないスッピン美人。俺はけばいのよりそっちのが好み。かんなりドキドキしそうだ。
まぁ、本命は別にいるんだけどね。
とりあえず、この動悸を抑えて、心を鬼にしなくてはならない。
答えは決まってる。
「だぁーめ」
俺の返事にむっとした表情でイツキは言葉を続ける。
「絶対連れって行った方がいいぞ。ぼくとサラアースをね。サラアースはあの星で作られたんだし、ぼくもおばあ様からあの星のことは教え込まれてるんだから」
ある意味故郷である星に持つ望郷の感に巻き込まれると困るのだ。俺にとって、これは趣味であると同時にビジネスなんだから。
「だめ。危ないとこらしいからな。んなとこに女の子を連れてなんか行けません」
俺にとっての最大の正論。
「自分の身ぐらい自分で守る」
もしもの時は?
予測外の事件にまきこまれた時は?
やはり答えは、
「だめ」
何を言われても俺の意見は変わらない。危ない所に女の子を連れてゆくことは出来ない。
それに、
「第一さぁ、元々これは一人で行くように計画作ってるんだぜ。いまさらそれを覆せるかよ」
悪いと口で告げる代わりに片手を顔の前に上げて見せた。
「……ひとり?」
イツキは不審そうな声を上げた。
そのことが重要なことかのようだ。立ち止まるほどに。俺も付き合って止まった。
「ああ」
「ひとりぃ?」
次のイツキの繰り返しには俺は頷いてみせ、サラアースに笑いかけた。ただ待ってるのもつまらないだろうに彼女はにっこり笑った。
「ひとりだとぉ? 何回遭難事件引き起こせば気が済むんだ? シーファ」
俺はあらぬ方向を向き、空を仰いだ。
「なんのことかな?」
「……エアカーのクラッシュ、アーミット星系付近での消息不明は何が壊れたんだっけ? ああ、単純な操作ミスだっけ?」
「ああ、もう! 今回は大丈夫だよ。完全コンピューター管理の船使うんだから! 今ごろディーンの奴が点検中さ!」
まだ続けそうなイツキの言葉を封じるため、俺は声を荒げて見せた。
イツキは小さなため息をついて俺を見据えた。
「バカだな。結局機械を使うのは人間だ。使い方ひとつで安全なはずの物も危険な物に変化するぞ」
そのぐらいは俺にだってわかっている。でも言い返すのはやめてイツキを見返した。
「何と言われようと連れて行くわけには行かない。それは変わらないぜ?」
「イツキね、あの星にいつか帰りたいんですって」
みつあみを解きながら妹がそう言った。
「ふぅ~ん」
気のない返事をした俺にクッションが飛んできた。
「なによ! シーファなんか大っ嫌い! もうゴハン作ってあげないからねっ!」
視界のはしにフレアスカートが揺れる。
「あっ、あっ、ごめん、ごめんってば。ティーチ、聞いてるし、このゴハンまぁ、おいしいし、そんなこと言わずに……」
言葉が途中で途切れる。俺は飛んできた包丁を受け止めるとちょっと怖い顔を作った。
「ティーチ! あぶねーだろ。いくらなんでも刃物を投げるのは……おい! それもやめろ! シチューがもったいないっ!」
まったく何が気に入らないのか。
ティーチは呆れたようなため息をもらした。
「ばぁか。テーブルに持っていこうと思っただけよ。それにシーファなら受け止められるじゃない。それに避けられるでしょ?」
「いや、まぁ、そうだけど、ちょっと違うんでないかい?」
「違わないよ。ほら、つまみ食いしてないでスプーン取ってよ」
俺はまだふくれている妹の指示に従ってスプーンを取りにいった。ついでに包丁をしまいに。
「ホントに今日、誰もいないの?」
ティーチが一抱えもある鍋をテーブルに置きながら聞いてきた。
「ああ。あ、鍋に髪、つけるなよ」
「そんなことしないわよ!」
少し型がついた黒髪をティーチは苛々しているのか乱暴に振り払った。
俺は皿をティーチに渡してホワイトシチューをよそってもらう。
「みんな、諸事情で出かけちゃってるね」
「……四人とも?」
俺は神妙に頷いた。
スプーンを立てて、一人一人数えあげていく。ティーチが眉をひそめたが無視。
「まず、ランサーはスイちゃんとデート。ラヴァーは補習。リュウケイは他学部に遠征中で一週間は帰ってこない。えっと、……パトリックは……俺が帰ってから会ってねーや」
これが俺の把握しているルームメイト達の動向だ。
スプーンでシチューをすくって一口。
「ん、うまいわ」
「あたりまえだよ」
……我が妹ながらこういうトコはかわいくねぇ。
ティーチも席についてシチューを食べ始めた。
厚切りのハムをチーズで巻いて食いながら俺は妹を改めて見た。
黒髪、俺や兄貴も黒髪だ。少し明るい栗色の目は剣呑に俺を見返している。銀のスプーンに映るオレの目は何の変哲もない黒。
暖かそうな臙脂色のスカートに黄色いブラウス。アンバランスなグリーンのエプロンにはピンクの宇宙船のプリントが幾つもだ。
「もうじき誕生日だっけ?」
ティーチは意外そうな表情をして頷いた。って、おい。俺が妹の誕生日を覚えているのが意外なのか?!
「うん、十三だよ。もうすこしで」
「それまでに、帰ってくるから……」
そう言い、俺はシチューを胃の中へかき込んだ。
その船は優しげな白乳色。部外者から購入した俺の船(中古)。船名は『ANNA』神話の女神の名前から取ったという話だ。
「じゃあ、チェック、問題なかったから。二時間後には出られるよ。シルフィード」
ゆっくりした口調で手元のボードに何か書き込みながらディーンはそう言った。
ディーンも俺と同じ『E‐プランナーズ』のチーフの一人だ。俺と違って機械系には詳しい。
ただし、別に俺はメカ音痴というわけじゃない。パソコンだって使えるし、修理、改造なんてお手のものだ。船や車では事故るだけで。
「ああ、これをやろう。餞別だ」
ディーンから手渡されたのは何やら妖しげな板っきれ。少し重い。
「これは?」
「安全祈願のお守り。せめてもの気休めだ。今度は遭難してほしくないのでね。無駄だろうけど」
あまりの言い草にふて腐れると笑われた。
「もちろん、骨ぐらい拾いに行ってやるさ」
笑ってるくせに表情も変えないで言うディーンに俺も笑った。
「トウジョウも、サラマンダーもお前を心配してるんだ」
俺は頷いた。トウジョウはイツキのファミリーネーム。サラマンダーはティーチのE‐プランナーズでの呼び名だ。ちなみにシルフィードは俺の呼び名。
安直だがディーンの奴はノームで兄貴はウィンディーネ。
『E‐プランナーズ』の『E』が何を意味するか、これ以上わかりやすい手がかりもないことだろう。
もちろんエレメンタル。精霊だ。
「ありがたいよな。イツキの奴ペーパーブック、プラケースに5箱も寄越しやがったし、ティーチと二人して注意事項の説明会しやがった」
俺は憮然としようとして失敗した。
友情とささやかな兄弟の情は嬉しいものだと思う。
たまに迷惑としか感じないけど。
「成分未分析の物を気楽に口に放り込むのはオレもどうかと思うから、サラマンダー達は正しいよ。シルフィード」
ボードに書き込む手を止めてディーンは俺を見た。
「それと聞きたかったのだが、この船の販売元は? 提出書類には『外部発注』としか記入されていなかったが?」
俺は両手を上げて空を見上げた。
濃紺の天井と配置された照明の光。それと鮮やかなバラ色のスカートのスソ……。
「はぁい。シーファ。ちょっとそこにいてねぇ」
蜜色の髪と共にその忌々しい声は降ってきた。
「……パトリックだな」
「ディーン、後は任せた! 俺は宇宙を旅する冒険者となるぜ! んじゃ! ティーチの誕生日までに帰ってくるつもりだから! もし兄貴が帰ってきたらよろしく言っといてくれよ」
俺は優しい白乳色の船に乗り込んだ。
航路の方はディーンにプログラムを頼んである。俺はスイッチひとつ押して、指示に従うだけのはず。このステーションを出るまではディーンが誘導してくれる手はずになっているし。
張り直した椅子に座り、肘置きに指を這わせてみる。
途端、ほっとする。
「俺の船」
口に出してちょっとある満足感をさらに味わう。
『シルフィード、ひたっているところ悪いが、販売元を教えてもらえないと出艦できないぞ』
ディーンはそう言うが、パトリックみたいな女装マニアにすりよられるぐらいなら、俺は罰則ポイント覚悟で緊急離脱するぜ。
「えー、だってしらねー奴だったしなぁ、あ、Sinって言ってたな」
『シン。だな。S・I・N。シン、だな』
ディーンのボイスだけが聞こえてくる。
「おう! たぶんな」
『了解、プログラム、作動させてかまわないぞ』
俺はオレンジ色のボタンを押した。
出発のひと時、これほどドキドキすることはない。
『無事に帰って来い。グッド・ラック』
そして俺の冒険は始まる。
「行ってくるぜ!」