少女
少女は青く高く広がる空を見上げていた。
ガラスが外から吹く風を遮断している。
「ピア」
しわがれた声で呼ばれ、少女は振り返った。
大きな車輪のついた無骨なかたまり。少女はそのかたまりもしわがれた声も嫌いだった。
それでも少女は満面の笑みを添えて言った。
「ハイ、お父様」
大きな車輪のついた車椅子には一人の老人、少女の父が座っている。
細くしわがれた枯れ枝のような手で老人は少女を招いた。
少女は笑顔のまま老人のそばへ近づいた。
老人の手が少女の白銀の髪に触れた。少女はじっと老人に微笑みかけていた。
ざくん
音を立てて床に落ちてゆく銀の髪、老人の手にはナイフが握られていた。
ざくん
少女はにこにこ笑いながら老人の好きにさせていた。
老人はナイフを床に落とした。
その時、既に少女の腰まで届いていた髪は短く不揃いな 肩までの長さになっていた。
少女は落ちたナイフを拾い、車椅子についている収納スペースへとしまった。
疲れて、小さなナイフすら持っていられなくなった老人の車椅子を押しながら、少女は変わらぬ笑顔で語りかけた。
「さあ、お父様、お部屋に戻りましょう」
◆◆◆
「ピア。お父上のご機嫌はどう?」
背の高い青年を見つけた少女は露骨に嫌な顔をした。
「もちろん、お元気よ。嫌になるくらいにね! ほら、見て。また新しい髪に変えなくっちゃいけなかったのよ。たまには替わってよ、ギバーレル」
少女はいまいましげにそう言い放つと、腰まで届く白銀の髪を払った。
青年はその様子を見て、含み笑いをもらした。
「まぁ、そう言うな。お父上はもうお年なのだし、我々とは違うのだから……」
少女はその言葉に同意のため息をこぼす。
「そうね。お父様は人間ですものね」
「そう、我々とは違って下等な肉体を持っておられる。我々の耐久性と見比べてもあきらかに人間は劣る。人間が構築してきた知識は素晴らしいが、その知識をより使いこなすことができるのは我々だ」
あきらかな優越感を持って青年は語った。
「だから、ここに人間がいてはいけない」
少女がそっと秘め事を告げるように呟く。
青年は頷いた。
「そう、我々を造りたもうたお父上を除いては」
少女は窓の外を見た。
一面の緑。青い空に流れる白い雲。
植物で覆われた世界。人間の住まない星。
彼らはこの世界で生まれた。
はじまりの者が造りだされた時、人間はこの星にまだ住んでいた。
彼らは人間によって造りだされた命。
人間に仕えるために。
何かのきっかけで人間に仕える必要がなくなった。
だから世界の所有権をより優れた命、生命体である者・彼らが当然の如く取った。
だからこの星に人間はいてはいけない。創造主。マスターを除いては。
それでも少女はもう一人、人間がこの城内にいることを知っていた。
少女の心をつくってくれた『お母様』が。
「ピア?」
青年が怪訝そうに少女を覗き込んだ。
「そうね、お父様は特別ですもの」
静かに紡がれた少女の言葉に青年は満足げに頷いた。
「そう、明日は二十年に一度のお父上の再生の日! ピア、お前はまだ若かりし日のお父上にお会いしたことはなかっただろう? 楽しみにしておいで。彼に仕える事の喜びがわかるから」
少女は黙って頷いた。
青年はそれを確認するとにこりと笑い、少女の部屋を出て行った。
少女は彼が出て行くのを待って、ドアに手を伸ばした。
チッ!
ドアはロックされているらしく、小さな音をたてただけだった。
少女はうろうろと部屋を歩き回った。
「今日こそ外にいけると思ったのに……」
少女は意識をもってこの方、城の外に出たことがなかった。
閉ざされたドアが開くのは誰かが訪れたときだけ。
円形の部屋の中で少女は窓の外を何度も見ていた。
外へ出たいと思ったのがいつだったかは覚えていなかった。
「つまらない……」
少女はそっと呟いた。
少女には「お父様」に仕える喜びは理解出来なかった。
「なによ。結局、下等な種族じゃない。創造者って言っても……」
腹立ち紛れに床を蹴る。
「再生の日? 素直に森に帰ればいいのに。見苦しいったら。どんどん、クローン体の寿命も短くなってるんだから先は短いんでしょうけど……、ああ、いやんなる。私より後に 生まれた子だって外に出てるのに。どーして私だけお父様に気に入られてるのよ」
独り言の虚しさに気付いた少女は、黙って備え付けのソファに腰をおろした。
「おそと、でたいな」
少女はソファの上で膝を抱えた。
紺色のスカート、純白のエプロン、フリル付きの靴下に黒い革靴。
「もっと動きやすい服で……結局、私達は人間に使われているだけじゃない……」
諦めたように呟き、ピアはゆっくりと目を閉じた。