背広編
いつも決まって俺は夢を見る。昔、むかし、まだ俺がガキだった頃の思い出。ゴツイ手が不器用に俺の頭を数回撫でては部屋を出ていく。その後、泣きながら夜ご飯を食べているだけのどうしようもない夢。
「っ・・・」
「どうしたの?」
ふと目をやると眠たそうにこちらを見てくる嫁の姿が目に映る。
「起こしちゃったか?ごめん。喉が渇いたから起きただけだから」
「そう・・・」
その言葉に安心したのか微笑みながらまた布団へと横になる。ああ言ってしまったからには別に喉も乾いていなかったのだけど立ちあがり冷蔵庫へと向かう。海外旅行からの時差ぼけか時計を見てみるとまだ午後八時を回ったところだった。部屋のカーテンは開けっぱなしだったため夜景が目に映る。相変わらず寝静まることのない街。目に映るだけの明かりの中に人の人生がどれぐらいつまっている、なんて考えると頭が痛くなってしまう。寝起きのせいか幾分バカなことを考えてしまっている自分に面白かったのかクスリと笑ってしまう。冷蔵庫を開けてみるがそこには喉を潤すものは入ってはいなかった。
「そうだった・・・」
旅行帰りだからと言っても普通なら飲み物ぐらいは入っているだろうと思うのだけど家は普通じゃあない、と言うよりも今日新居に来たばかり、で荷物も運んだばかりで冷蔵庫もコンセントを入れただけでそのままだったことを思い出す。
「飲み物ぐらい買ってきた方がいいよな・・・」
冷蔵庫を閉めもう一度寝室にある財布を取りに行く。嫁をわざわざ買い物に行くために起こすのも可哀想だったので静かに目的をはたし部屋を出る。玄関を出てエレベーターへ乗る。夜の八時と言えば多くの人はまだまだこれから動き出す時間帯でもあるだろう。ものの数秒で目的地でもある一階へと到着する。降り自動ドアを出るとざわざわと部屋に居た時の静寂が嘘のように命が消耗する音が耳に入ってくる。金曜日の夜と言う事もあってか人通りがいつもよりも多い気がする。時差ボケで未だはっきりとしない意識を数回頬を叩き通常通りに稼働させていく。しばらく歩いていると小さな喫茶店が目に入る。ただ、買い物に出てきている俺にとっては別に行きたくもなかったのだけどどうしてかその喫茶店へと足を踏み入れていた。
「いらっしゃいませ」
「・・・えっと」
すると長身ですらっと細く黒ぶち眼鏡をかけた男性が声をかけてくる。いかにも今時の男子と言う風貌だった。もう少し筋肉をつけて男らしくしろなんて初対面の人に言える訳もなくただ、案内されるまま席へと向かう。寝まき出来てしまったため場違いな服装に少し場かりそわそわとしてしまう、が客は俺一人だったため視線を気にする必要はなく店の雰囲気も良かったせいかすぐに緊張は解ける。しばらく店の雰囲気を感じていると頼んでもいないのに先ほどの男性がいっぱいの紅茶を目の前へ置いてくる。
「あ、あの・・・」
「これはサービスです。もう少ししたら来ると思いますので少々お待ち下さい」
「?」
彼は一体何を言いたかったのだろうか?すると入れ違いで一人の女の子が目の前へ座ってくる。お客だろうか?それにしてもどうしてこれだけ席が空いているのにもかかわらず俺の目の前へ座って来たのだろう。女の子と言って先ほどの彼とそう年齢は変わらないだろう。
「こんばんは」
「あ、はぁ・・・こんばんは」
ただ挨拶をしただけで彼女の第一印象とは違う印象を覚える。容姿は確かに幼いのかもしれないけれどどこか大人びた雰囲気があった。女の子ではなく女性と言う印象へと変わっていく。すると彼女は不思議な言葉を投げかけてきた。
「貴方にはここが喫茶店に見えるんですね?」
喫茶店を経営しているであろう女性から意味不明な発言を受けてっきりバカにされているのかと思い大人げなくムッとした表情をしてしまう、と彼女も俺の表情に気がついたのかすぐに謝罪をしてくる。
「ごめんなさい。馬鹿にしてる訳じゃあなくて・・・」
「あ、いえ。おれ・・・私こそ大人げない表情をしてしまいごめんなさい。海外旅行から帰って来たばかりでちょっと疲れていたのかもしれません」
すると彼女は安堵の表情で微笑みカップに口を付ける。俺もつられて目の前に置かれた高価であろうカップに口を付け飲んでみる。流石、日本の喫茶店と言ったところだ。やはり海外とはレベルが違う。日本の喫茶店はどこもかしこもレベルが高い。まあ、海外であっても高級な店に行けば当たり前に美味しい珈琲が出てくる、が日本はどこもかしこも外れはほぼない。寧ろ、喫茶店だけに絞れば当たりが多い国とさえ思っていいだろう。ふと外へ視線をやってみると見覚えおある背広が目に映る。大人げない事に俺は二度見をしてしまい立ちあがってしまう、とガンと肘を机へ当ててしまい大きな音を立ててしまう。
「あ・・・し、失礼」
我に戻り、先ほどの事は気のせいだったと頭の中で整理し直し席へと腰を落とす。俺の行動が分かっていたのように彼女はおっとりとした表情で微笑んでいるだけであった。軽く見積もっても十歳は俺のほうが年上なのだろうけど彼女はどことなく大人びた雰囲気を持っており自分が幼く思えて仕方がなかった。妙に母親のような暖かい視線に胸の奥の方がポカポカとしてくる・・・久々の感覚だった。
「あの・・・今日は帰ります」
「そうですか。またのご来店お待ちしてますね」
「代金はいらない」と言って来たのだけど流石に大人の俺が子供にそんな事を言われて「そうですか。ありがとうございます」なんて言える訳もなく千円ほど机の上に置き店を後にする。ふと空を見てみるけれど周りの明かりのせいで星は良く見えなかった。都会は機械を取った代わりに自然を奪ってしまっている。
「昔はもっと星が見れたんだけどな」
一人ごとを空に向かい吐き歩き出す。とりあえずいい加減に買い物をして帰らないと嫁に心配させてしまう可能性があるため飲み物を買い家へと戻る。ガチャリと玄関を開け静かに入室する。寝室を見てみると幸せそうに寝息を立てておりついその幸せそうな表情を見ていると顔がほころんでしまう。冷蔵庫へ買ってきた飲み物等を入れ真っ暗なリビングにある椅子へ座り何も考えることなく夜景を見つつ喉を潤す。
・・・
「今日の夜は一緒に晩御飯を食べような!お前が好きなお肉買ってくるからな」
相変わらず似合わない笑顔を俺に向けごつごつとした大きな手で頭を撫でてくる。恥ずかしくて言えなかったけどその大きくて暖かい手で頭を撫でられるのは嫌いじゃあなかった。けど、その時の俺は機嫌がわるく酷い事をその人に言った気がする。けれど、そのゴツイ手の大人は笑い玄関をいつものように元気よく「行ってきますと」言い出て行った。どうしてか、その男の人の背中は大きくまた暖かさを感じれるものだった。急に俺は妙な胸騒ぎがしてきた。たまらず俺はその背中に向かって大きな声で叫んでみる、がその男の人には声が届いていないようだった。どうしても、この場から出て行ってはいけない。その事を伝えたくて叫んだ。大きな、大きな声で。何度も、何度も。
・・・
「ま、待てよ!」
「ど、どうしたの!?」
「・・・え・・・?」
目を開けるとそこには驚いた表情をした嫁の姿が目に映る。辺りを見渡すと外は明るくなっており俺は夜景を見つつそのまま寝てしまっていたらしい。
「大丈夫?やっぱり旅行で疲れてるんじゃあないの?」
「・・・ん・・・あぁ・・・大丈夫だよ。ありがとう。今日から仕事だから頑張らないとな」
「・・・うん。無理だけはしないでね?」
「あぁ。大丈夫だよ」
そう言うと頭の中をスッキリさせるため洗面台へと向かう。蛇口を押し水を両手に溜め一気に顔に数回ほどぶつける。程良く冷たい温度に徐々に夢に置いてきた意識が現実へと戻ってくる。
「あの・・・夢・・・なんだったんだろう・・・」
不思議と先ほど見ていた夢の事を考えてしまっていた。
空になったカップをお盆の上にのせながらジッと座っている花に話しかける。
「ちょっと怖い人でしたね・・・僕はちょっと苦手っぽいです・・・ははっ」
そう言うとクスリと微笑み自分のカップを僕が持つお盆へと置いてくる。
「そう?口調は確かにきつめだったけど初めて会ってあんな事を言われれば大体の人は嫌な顔をすると思うよ?だから、仕方がない事だよ・・・うん。仕方がない」
そう言うと花は静かにだけど満足そうにほほ笑んでいた。確かに彼女の言う事はもっともだと思ってしまう。僕だって始めて会った人に唐突に意味不明な事を言われてしまったらきっと身構えてしまうだろう。なんとなく納得してしまった僕はお盆に乗ったカップをキッチンへと持って行き洗い物を始める。しばらくすると考え事が終わったのか彼女も手伝いに来てくれる、が丁度いいのか悪いのかちょうど洗いものは終わったところだった。
「あ、もう終わりました」
「考え事してて・・・ごめんね。ちょっとお茶でもしようか?」
「緑茶でいいです?」
「あ!洗い物をしてくれたんだからそれぐらいは私がやるよ!晴樹くんはテレビでも見て待ってて」
相変わらずぽわぽわした可愛らしい笑顔を向けてくる人だ。ついつい見蕩れてしまいそうになる自分に渇をいれテレビがある居間へと向かう。襖を開け昔ながらの円状のちゃぶ台が目に入ってくる。花はお菓子がとても好きでいつも常備してある。どれも年齢層が高い方々に好かれそうな渋いチョイスだったりもする。今日のお菓子は意外にも若年層にもウケそうなどら焼きが置いてあったので1つ頂くことにした。テレビはあまり見ないため静かにどら焼きを食べながら待っていると静かに襖が開く。
「相変わらず花さんって足音立てずに歩きますよね」
「ん?そうかな?私は意識した事がないけど」
そう言いながらお盆には二つの湯呑と青色と深い茶色を混ぜた何とも言えない急須が置かれていた。机の上に置き彼女も僕の横へ座ってくる。相変わらず距離感を考えずに座ってくる。いつもこの瞬間は緊張してしまう。
「ん?どうしたの?」
「あ、いえ」
「ん?」
こう言う感じで彼女はドがつくぐらい鈍感なため僕の緊張なんて気が付いていないに決まっている。変に意識されてしまうと僕も余計に緊張してしまうので今はこれでいいのかもしれないけど。湯気がゆらゆらとたっている湯のみを目の前へ置いてくる。お礼を言うといっぱい口に持って行く。少し苦味がありだけど心地良い苦みで体の芯が温まってくる。
「いやー。花さんが入れてくれるお茶ってなんでこんなに美味しいんでしょうかねー」
「ふふっ。そう言って貰えると作ったかいがあるなー。って言ってもただお湯を入れてるだけなんだけどね」
ちょっと悪戯っぽく笑く彼女の表情は相変わらず可愛く直接顔を見る事が出来なかった。左鐙花。彼女には以前色々とお世話になった事がきっかけで僕はここでお手伝いをさせてもらっている。
「そう言えば、今日のお客さんもなにか過去に後悔を持ってられたんですか?」
「うん。ここに来たって事はそうだろうね・・・うん」
少し声が小さくなり彼女は考え込むように目を瞑る。
「そうですか・・・でも、ここに来れたってことはきっと何かしら解決できそうってことですよね」
「・・・うん。力にはなるけど、でも過去を思い出にできるのは本人だけだから・・・ね」
「・・・そうですね。僕たちはちょっと背中を押して過去と向き合えるように手伝うだけですもんね」
「そう言うこと」
ニコっと微笑み彼女もまたどら焼きをちぎり食べ始める。いちいち仕草が可愛らしくて見ているだけでほっこりとしてしまう。急にこちらを向いてきたため咄嗟に天井を見てしまう。明らかに怪しい行動をしてしまった。視線をゆっくりと戻すと未だジッとこちらを真面目な表情で見てきていた。鈍感な彼女も僕が顔を見ていたことに気がついてしまったのだろうか。年貢の納め時とはこの事かも知れない。正直に謝ろうとした瞬間に彼女の方が早く口を開いてくる。
「晴樹君!ぼっさーって鼻毛が出てるよ!二本!!」
「へ?は、鼻毛?」
「うん!鼻毛!もっさーって!」
まるで子供のような表情で笑いながら人差し指、中指をぴんと立てて二という数字をこれでもかと言うぐらいに見せつけてくる。大人っぽい所があると思えばこう言う風に無邪気に笑うところもあり、そう言うところも人として魅力があるところだと思う。
「笑いすぎ!」
「ふふっ・・・ごめんね。意外過ぎて最初は見間違いかと思ったんだけどねー」
「でも、教えてもらってよかったです」
「そう言ってもらえるなら良かった!」
クスクスと笑いながらお茶を飲み始めたのでつられて僕もお茶を飲む。すると花がどら焼きを食べながらこちらを向いてくる。
「そう言えば晴樹くんは最近は大丈夫?」
「はい。あの一件以来ピンピンに元気です。ちょっとだけ霊感に強くなったぐらいで」
「そっか。元気はいい事だからね!」
しばらく雑談をして気がつくと十時を過ぎていたためそろそろ帰ることにした。帰る準備をし外へ出るとわざわざ花も外まで見送りに来てくれる。
「わざわざ見送りすいません」
「んーん。私がしたいだけだから気にしないで」
「・・・じゃ、じゃあ!また明日。お疲れ様でした」
「はい・・・また明日ね」
ニコリと微笑みながら手を振ってくる彼女に手を振り返し自分の家まで向かう。しばらく歩き振り向くと相変わらず彼女が立っていたため咄嗟に携帯電話をだし彼女に電話をする。
「ん?どうしたの?忘れ物?」
「あ、いや。夜は危ないんで・・・その僕の見送りはちょっとだけでいいので・・・その・・・」
上手く出て来ない言葉に四苦八苦していると電話越しから笑い声が聞こえてくる。
「ふふっ・・・分かった。家に入るから。晴樹くんも気をつけて帰ってね」
「は、はい。お疲れ様でした」
「うん。お疲れ様。オヤスミ」
お互いに見えている状態で電話をしている二人組。傍から見ればおかしな光景だっただろうけど僕は胸の奥の辺りが暖かくなりこそばゆかった。電話を切り彼女を見ると手を振り家へと戻って行ったので僕も歩き出す。少し名残惜しかった僕はもう一度振り向いてしまう。期待はしてもいないし、自分から早く家に戻って欲しいと言ったため居るはずもないのだけどついつい心の声を口に出してしまう。
「流石に居ないよね・・・ははっ。よし!さっさと帰るかな」
「・・・ちょう?・・・部長!?」
「・・・あぁ・・・すまん」
「大丈夫ですか?顔色が悪いですけど・・・?」
「ああ・・・ありがとう。ちょっとトイレに行ってくる」
「はい。あまり無理はされないようにしてくださいね?もう一人のお体じゃあないんだし」
「生意気いうんじゃあないっての!」
「ははっ。すいません」
席を立ち一度気持ちをリセットするためトイレへと向かう。部下に心配させてしまう顔をしていたのは不覚だった。上司は部下の心配はするが自分の心配はさせてはいけない。それが俺の心情だった。しかし、どうしても心の奥の方でなにか引っかかりがあり社会人らしからないのは自覚しているのだけどどうも集中できていない。トイレに向かい蛇口をひねり水を出し気持ちを切り替えるつもりで顔を洗ってみる、がどうも気持ちをリセットすることが出来ない。
「ははっ・・・確かに酷い顔だなこりゃ」
鏡に映る自分の顔はまるで自分の顔じゃあないぐらい強張っていた。数人から顔色が悪いなど言われたぐらいでは休みを取らないのだけど数十人から言われてしまうと流石に危ない表情をしているのだろうと思い半休を取ることにした。と言っても昼から家に帰るのもなんとなく気が進まなかったため近くにある喫茶店へと入店する。ドアを開けると心地良い珈琲豆の匂いがしてくる。相変わらず日本の喫茶店は良い。なんてな事を思いながら人が好くない奥の角の席へと座る。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「えっとブレンド1つ・・・それとここってパソコン使用しても大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですよ。ブレンドですね。かしこまりました」
華奢な女性店員は頭を下げ奥へと行ってしまう。半休を取ったと言ってもやらなければいけない仕事はたんまりとあるため休むに休めない、と言うより集中できないだけであって体は至って健康体なのだ。だったら半休であっても仕事をするのが普通だろう。若い人達にはこういった考えは古臭いなんて言われるけれどそれが俺なんだから仕方がない。働いて金を稼ぐ。ただ、それだけが俺の生きがいだったりする。兎に角、俺は働いて金を稼がなければいけない、いけないんだ。金、金、金。それが全てだ。人に認めてもらうには良い地位に立って金を稼ぐこと。
「あ、あの・・・」
「ん?」
そこにはいつの間にか昨日の夜立ち寄った喫茶店の黒ぶち眼鏡をかけた男性が申し訳なさそうな表情をしながら声をかけてきていた。
「あ、ああ。昨日の・・・」
「よかった。覚えて下さったんですね・・・今大丈夫ですか?」
「・・・ああ。どうぞ」
一瞬自分でも可笑しな衝動にかられていた気がしたため一人よりも誰か(はなしあいて)がいた方が良いだろうと思い彼の発言を受ける、と強張っていた表情はやんわりと笑顔へと変わり目の前の席へと座ってくる。相変わらずほっそりとして男らしくない。
「君はちゃんと食事を取っているのか?」
「へ?」
急にそんな事を言ってしまったせいか目の前の彼は呆気に取られているようで謝罪をしようとした瞬間に俺よりも先に若者が口を開いてくる。
「一人暮らしなもんで。自炊とかする時もあるんですけど、どうしてもジャンクフードに頼っちゃって・・・はは」
「若い時からそう言う食事をしていると後々に後悔してしまうぞ?親御さんもそんな体型じゃあ心配されるだろ?しっかりと食べないとな」
「ははっ・・・そうですね。もう少しちゃんと・・・します」
少しだけ声のトーンが下がった気がしたのだけど気のせいだろうか。顔を見てみると相変わらずの笑顔だった。第一印象とは違い少し話しただけなのだけど幾分可愛らしい青年に見えてくる。
「どうせ今日も昼ご飯とかまだ食べてないんだろう?」
「えっ!?何で分かったんですか!?」
「はぁ・・・ほれ。俺が奢ってやるから好きなもの頼んでいいぞ」
「えっ!?いや、悪いですよ!見ず知らずの僕なんかにご飯を奢ってくれるなんて」
「良いんだよ。俺はお前が気に入った。俺も昼ご飯まだだしな。ついでだよ。ついでだ。それに昨日、一度会ったからな。だから見ず知らずでもないだろ」
「でも、申し訳ないですよ・・・」
自分でもどうして見ず知らずの若者にご飯を奢ろうなんて思ったのか分からない。けれどなんとなく彼は昔の自分に少し似ていたからかもしれない。
「おじさんが奢ってやるって言ってんだから若者は素直にありがとうって甘えれば良いんだよ」
そう言うと店員さんを呼び自分と彼の注文を済ませる。一向に好きな食べ物を言わなかったため自分と同じナポリタンを注文する。
「ありがとうございます」
そう言いながら深々と頭を下げてくる。
「気にするなよ」
彼のお陰で少しだけ気持ちがすっきりしたような気がする。ふと気になった事を彼に聞いてみることにした。
「君ってあそこで働いているの?」
頭を下げていた彼が顔を上げこちらを見てくる。
「はい!僕はあの場所でお手伝いをさせてもらってます」
「そうか・・・ちょっとご飯食べ終わった後、その店に案内してくれないか?」
耳を澄ましているとどこからもなく懐かしい曲が聴こえてくる。昔よく誰かが口ずさんでいた歌。前を向いてみると若者も小さく頭を動かしながら曲に合わせリズムをきざんでいるようだった。
「この歌知ってるのか?」
するとにこりと微笑みこちらを見てくる。
「はい。この歌最近カバーとかされててよく街中でも流れていますよ。でも、やっぱりカバーよりも槇原さんが歌っている曲が一番良いですよね」
「若いのに良く知ってるんだな」
「僕が一番欲しかったものは名曲ですよね」
「そこまで聞いてはいないけどな」
少し冷たく言ってしまった気がしたのに彼は気にすることなく笑いまた曲に合わせリズムを取っていた。しばらくすると注文したナポリタンが運ばれてくる。思った以上のボリュームに彼は喜び俺は少したじろいでしまう、が今さら量を減らしてくれなんて言えるはずもなくフォークを取りだし巻き口に運ぶ。目の前の彼は今時珍しく手を合わせ、いただきます、と言い食べ始める。こちらが大人なのに少し恥ずかしさを覚え視線を少しばかり下へと向いてしまう。ふと、つい、思った事を質問してしまう。
「どうして外食にまで頂きますと言うんだ?」
「へ?どうしてって命を貰う訳だから当然だと思って・・・?」
「ま、まあそうなんだけれどな」
「そうですよ!当たり前ように食事をしているけどそれって当たり前じゃあないんですよね。こうして僕たちの口にするものって生きていた動物、植物なんですよ。だから感謝の気持ちを込めて言うのは当然なんですよ」
「なんか宗教みたいだな」
そう言いながらナポリタンを食べると彼は嫌な顔をすることなく笑いながら同じくナポリタンを食べ始める。自分の発言が子供じみて余計に恥ずかしくなってしまう。育ちが悪いと心まで捻くれてしまうのだろうか・・・いや、ただ単純に俺が捻くれているだけか。山盛りにされていたナポリタンを彼は俺以上の早さでたいらげ満足そうな表情で外を見ていた。あの華奢な体にどう入るのか気になってしまうが聞くに聞けず俺も山盛りのナポリタンをたいらげる。幾分、年寄りには量が多すぎたのかしばらくの間動く気にもならず珈琲を頼み小休憩をする事にした。
「そう言えばさ?」
口を開くと彼も聞く体勢に入ったのか外を見ていた視線をこちらに向けてくる。
「君らってなにか不思議な事をしているのか?」
「不思議なこと・・・ですか?」
「あ、いや・・・なんでもない。忘れてくれ」
年甲斐もなく変なことを若者に言ってしまったと後悔をしていると彼の表情が少しだけ真面目な顔つきになった気がした。すると彼は静かに口を開きだす。
「不思議なことではないんですけど、僕たちは届けることが出来ない想い(おもい)を届ける手助けをしています。嘘かと思われても仕方がないのですけど僕たちは貴方の事を一番思っている方から想いを届けるようにと依頼されています」
「・・・俺の事を一番思っている・・・ひ・・・と?」
普段ならきっと彼が言っている事を耳にするだけで俺は軽くあしらい笑い飛ばすだろう。しかし、今はなんとなく彼が冗談でこの様な事を言う青年には到底思えなかった。
「でも、詳しくは僕では説明できません。なので一緒に貴方が【見える喫茶店】へと行きましょう。そこできっと貴方を待っている方が居られます」
そう言うと彼は急に大人びた表情へと変わり席を立ちあがりつられて俺も立ち上がり彼の後ろをついて行く。料金を払おうとするとマスターは、彼につけておくから早くお行きなさい、と言いマスターの雰囲気に背中を押され喫茶店を出てしまう。相変わらずの天候で気温と睨めっこしながら歩いているサラリーマンが多く視界へ映ってくる。熱さに意識を持って行かれそうになっていると彼の声が耳に入ってくる。
「こっちです」
「あ、ああ」
言われるがままに俺は彼の後ろについて行くことしか出来なかった。きっと最近の俺が変だったせいで嫁が心配してなんでも屋かなんかに頼んでこんな事をしているんだろう。正直に言うとそのぐらいの気持ちでついて行っていた。喫茶店では急な表情の変化に驚いてはいたが徐々に歩いているうちに冷静さを取り戻し捻くれた俺がシ徐々に顔を出しつつあった。
「それで、喫茶店で嫁が待ってるのか?」
「・・・もう少しで着きますので」
「君も大変だな・・・ははっ」
しばらく歩いていると夜見たあの喫茶店が目に映ってくる。すると先ほどまで前を歩いていた青年の姿が見当たらなく辺りを見渡してもどこにもいなかった。
「どこ言ったんだ?まあ、目的地まで案内してくれたからいいか」
立ち止まる訳にもいかないため歩き喫茶店へと入る。カランカランと心地良いベルの音が耳に入ってくる。窓からはそよ風が入りこみ観賞用の植物が気持ちよさそうにゆらゆらと揺れていた。客は相変わらず俺以外は誰も居らずなんとなく奥の席へと向かい座る。
「不用心なのか?誰もいないじゃないか・・・」
辺りを見渡してみても誰も人がいる気配がなく勝手に入店している俺が言うのもなんだけれど不用心すぎやしないだろうか。そんな事を思っているとまた、誰かがドアを開け入店してくる。白いポロシャツにグレーの長ズボン。年齢は俺とさほど変わらないぐらいの中堅の男性だった。辺りを見渡し俺と目が合うとニコリと微笑んでくる。
「どこかで会ったことがあった・・・か?」
なんとなく会釈をすると彼はこちらへニコニコほほ笑みながら近づいてくるなり、
「同席良いですか?」
「は、はぁ・・・」
今日は何とも変なめぐり合わせがあるもんだ、なんて思いながら手を差し出す。すると目の前の彼もニコリと微笑み、ありがとう、と言い腰を落とす。彼はジッと俺を見ながらニコニコほほ笑んでくるだけだった。普段なら不快な思いが前へと出てきてしまうのだけどなんとなくどこか懐かしい雰囲気に見られている事を容認してもいいか、と思ってしまうほど暖かいものだった。しかし、流石に中年のそれも同い年ぐらいの同性に見られているのは気まずいものがあったため話しかけてみることにした。
「あ、あの・・・本当に失礼なことをお聞きするのですがどこかで会ったことがありましたか?」
すると一瞬、ほんの一瞬だけ表情が曇ったような気がしたのだけどまたニコリと微笑み口を開いてくる。
「いや、きっと君の中ではもう覚えていないんだろうね。俺が居なくなってからどうしていたのか心配していたんだ」
「・・・」
「ちゃんとご飯食べてるか?昔みたいに野菜は嫌いだから食べない!お魚ばかりじゃあ飽きちゃうなんて我がまま言っていないか?ちゃんと人様に感謝して日々を過ごしているか?働いているからって贅沢ばかりしてるんじゃあないだろうな?ちゃんと子供の為にちゃんと貯金はしておくんだぞ・・・ってそれは俺が言えたことじゃあないか・・・ははっ」
「・・・」
「ん?どうした?そんな顔して・・・まったくお前はいつまでたっても素直じゃあないな・・・」
そう言うと目の前の彼は少し身を乗り出し俺の頭を荒くだけど優しく撫でてくる。よく分からない、よく分からないのだけど俺は泣いていた。いい大人が号泣をしてしまっていた。懐かしい感触。こう言う風に昔頭を撫でられていた気がする。暖かい記憶。けれどよく思い出せれない記憶。思い出そうとすると頭痛がしてくる。すると頭を撫でている彼が笑いながら口を開く。
「無理に思いださなくてもいい。それはお前の責任じゃあないし、俺はお前が後悔している言葉も何ら感じてないぞ?きっとあの時悪い事を言ってしまったって思ってるんだろう?けどな?俺は・・・いや、親って生き物は子供の全てを愛しているんだ。それが憎まれ口でもな・・・ははっ・・・っとそろそろ時間か・・・最後にお前は奥さん(守る人)を見つけることができた。今までは俺が見守ってきたけどこれで安心してお母さんの所に俺もいけるよ。絶対に幸せになるんだぞ」
そう言うと彼は俺の頭から手を話し立ち上がると先ほど歩いてきたドアへと歩き出す。俺は必死に、必死に手を伸ばし彼の腕を掴もうとしたのだけど掴むことなく彼はどんどんドアへと向かい歩き出す。彼について行こうとしても足が上手く動かなくただ、ただ彼を見送ることしか出来ないと思った、が
「あ、ありがとうございました!」
すると歩いていた彼がピタリと立ち止まりこちらを振り向いてくる。相変わらず優しい笑顔で俺を見ていた。
「あ、あの・・・また、どこかで会えたら焼き肉でも行きましょう」
なぜその言葉を選んだのか分からない。自然と出てきた言葉だった。流石に子供っぽいかと思っているとそれを聞いた彼は大きく頷き
「ああ。もうちょっと大人になったらお酒でも飲みながら沢山話しをしよう」
そう言いながら彼はドアを開け白い光に包まれゆっくりと出て行く。
・・・
・・・
・・・
「・・・ん・・・こ、ここは?」
目を開けてみると見慣れない民家の居間で寝ていた。横を見てみると二人の若夫婦らしき人物がテレビを見つつお茶を飲んでいた。すると男の方がこちらに気がついたのか小さく会釈をしてくる。体を起こし交互に二人の顔を見ていると女性が口を開いてくる。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい・・・えっと・・・ここは?」
「私の家ですよ」
「は、はぁ・・・」
上手く状況が飲み込めなく時計を見てみると夜八時を迎えようとしていた。急ぎ彼女たちにお礼を言い会社へと戻る。暖かいそよ風が頬を撫で自然と夜空へと視線を向けていた。
「・・・今日は星が見えるな」