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第ニ話 黒と白

「おーい! ハドリー! サッカーしようぜ」


 トボトボとスクールバス乗り場に向って歩いていたハドリーに、サッカーボールを手にした同級生が明るく声を掛けたが、顔を上げたハドリーは首を竦めて手を広げてみせると、近寄ってきた友人に苦笑した。

「今日はダメなんだ。こないだのテストが、九十八点だったから、あの鬼婆が僕を叱りに来るらしいんだ」

「お前も大変だな、ハドリー。モースなんてもう没落してんのに、そんなに粋がってどうするんだ。家格で言えば、フェアフィールドの方が、ずっと上じゃないか。元々伯爵家なんだから。鬼婆にそう言ってやれよ」

 本人も伯爵家の嫡男の友人は、ハドリーに憤慨して見せたが、

「それは、言っちゃダメらしいんだ。どうしてか分かんないけど。どっちにしても、僕は家柄なんてどうでもいいんだ」

 ハドリーは首を竦めたまま呆れ顔で呟いて、友人に手を振って、また歩き始めた。

「ハドリー! ってか、どうしてお前、百点じゃなかったんだ? そんな事一度も無かったじゃないか」

 不思議そうな友人の問いに、振り返ったハドリーは、悪戯っぽくニヤリと笑った。


「もし百点じゃ無かったらアイツらがどうするのか、見てみたくてわざと間違えたんだ」




 ハドリーは十歳になっていた。

 小学校に上がる前の夏に、ローズマリーと共に、英国に帰国したハドリーは、ロンドン市内の大きなアパートメントで、母と二人で暮らし、市内の名門小学校に入学した。

 時折、地方に住む祖父母が訪ねて来ては、ハドリーの教育やら、家の仕来たりやらを煩くローズマリーに指示していったが、ローズマリーがそれに逆らう事は一度も無かった。


 夏休みやクリスマス、イースターなどの、長期の休みになると、エドワードも英国に帰国して、親子三人で楽しく過ごした。

 父が帰ってくるとハドリーは何時も上機嫌で、一緒に遊んだり、書斎で父と読書をしたりと、父の傍を離れなかった。

 普段は物静かな母も嬉しそうに頬を染めて、何時もよりも豪華な食事に、親子三人で笑い合いながら食事をした。

 食事中にこんなに煩く騒いでたら、きっとアイツらは文句言うだろうなと、内心ハドリーはウキウキとしながら、明るく笑う両親を嬉しそうに見上げた。




「ハドリー、モースの血筋足る者、油断や手抜きは許されません。百点ではないとは、どういう事ですか。貴方の家庭教師の時間を、もっと増やさねばなりませんね」

 その日、厳つい顔で訪ねてきたエノーラは、ソファで不貞腐れて顔を背けているハドリーを、グチグチと何時までも叱り続けた。

「お母様、申し訳ありませんでした」

 ローズマリーが眉を顰めて辛そうに頭を下げると、

「貴女も、もっとしっかりしなくては、ロージィ。ちゃんと家柄や血筋の大切さをハドリーに教育しているのでしょうね?」

 と、エノーラはローズマリーも叱り付けた。

 ハドリーは横目で祖母を睨んで、マムは関係ないのにと、内心でブツブツと文句を言ったが、それを絶対口に出してはいけないのは分かっていたので黙っていたが、ローズマリーも辛そうに頭を下げたままずっと黙り込んでいた。


「それで……ちゃんと、上手くいってるんでしょうね?」

 エノーラが意味ありげにローズマリーを覗き込むと、肩をビクッと震わせたローズマリーは、表情を固くしたまま小さな声で頷いた。

「……はい」

「ならば、よろしい。とにかく、ハドリーには完璧を求めなければなりません。もっと勉強させるように」

 まだグチグチと母を叱り付けているエノーラに、ハドリーは口を尖らせていたが、内心ではわざと間違えた事を後悔していた。


 ――マムがこんなに叱られるんだったら、やらなきゃ良かった。


 項垂れているばかりのローズマリーを見て、胸が痛んで、悲しくなったハドリーも、俯いて小さなため息をついた。



 

 その夜、二人だけの食卓で、ハドリーは悲しそうに黙ったままのローズマリーを見上げて、「マム。ごめんね」とそっと謝った。

「え?」

 ハッと顔を上げたローズマリーは、暫く黙ってハドリーを見つめていたが、やがて悲しそうな顔のまま、「いいのよ、ハドリー」と、静かに微笑んだ。

 母の悲しそうな顔を見て益々心が痛んだハドリーだったが、最近、ローズマリーはそんな顔をしている事が多い事に気づいた。


 まるで深い海の底に沈み込んだように、家でも何も話さない日と、明るく頬を染めて嬉しそうにしている日と、両極端の日があるのを思い出して、マムもダディが居なくて、きっと寂しいんだよなと、眉を寄せたまま静かに食事をしているローズマリーを、ハドリーは自分も沈んだ気持ちで見上げた。




 ローズマリーは、機嫌のいい日には嬉しそうにハドリーを呼んで、一緒にカスタードプディングを作った。

 このローズマリー特製のプディングがハドリーは大好きだった。頬を染めて嬉しそうなローズマリーを見上げて、いつもこうやって笑ってくれているといいのに、と思うハドリーだったが、次の日には一転して暗く俯いた顔で、ハドリーが帰っても気付かずボーッとしているローズマリーの姿があった。


 やがて、ローズマリーは沈み込んだ日の方が段々と増えていって、ハドリーの家は火が消えたように寂しくなっていた。

 たまの休みでエドワードが帰国しても、ローズマリーは余り笑う事が無くなっていった。


 夜遅くに、両親が居間のソファで静かに話しているのを見掛ける事もあったが、肩を震わせて泣いている母と、眉を寄せている父の顔に、ハドリーは見てはいけない物を見てしまったと動揺して悟られないよう静かに部屋に戻り、ベッドに座り込むと独り考え込んだ。

 ――ダディとマム、上手くいってないんだろうか。

 押し寄せる不安に、ハドリーは耳を塞ぐと、頭から布団を被って体を丸めて、何も考えまいと固く耳を塞ぎ続けた。

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