第一話 蒼灰の瞳の少年
エドワード・フェアフィールドは外交官で、英国から在豪大使館に一等書記官として着任したばかりだった。
元々、曽祖父ヴィンセントは伯爵の爵位を持つ貴族であったが、政治家を志した曽祖父が、爵位を返上して下院議員となると、このフェアフィールド家は、政治家や外交官を生む旧名門として知られるようになった。
祖父も父も外交官で、特に祖父ダニエルは駐米大使や豪総督も務め名外交官と謳われ、尊敬する祖父の後を追うようにエドワードも外交官への道を進み、それまでは、主に欧州の在外公館に赴いていたエドワードであったが、自然豊かなオーストラリアが気に入って、此処で長く妻子と共に暮らせたらと願っていた。
妻ローズマリーは貴族出身の男爵令嬢で、物静かで控えめな性格は、偉ぶったところが無く、豊かな栗色の髪に蒼い瞳の美しい女性だった。所謂、見合いのような形で結婚をしたが、エドワードは妻に満足していた。それ以上に、優しく思いやり深いローズマリーを日々を重ねる毎に深く愛するようになり、妻にめぐり合わせてくれた運命に感謝すらしていた。やがて、一人息子のハドリーが生まれ、一家は、より幸せを噛み締めていた。
父の金髪と母の栗色の髪を分けたような薄い茶色の髪に、やはり父の灰色の瞳と、母の蒼い瞳の両方を併せ持つ蒼灰の瞳の赤ちゃんにエドワードは微笑んだ。
「ほら、ロージィ。僕達を半分分けにしたような男の子だよ」
「本当に。嬉しいわ、エディ。私達、家族なのね」
ローズマリーも小さな手足をパタパタと動かしている息子を嬉しそうに見つめて、目を細めて微笑んだ。
ハドリーはこのオーストラリアで四歳を迎えた。
美しいキャンベラの街で、伸び伸びと育ったハドリーは、活発で元気な男の子だった。来年は小学校に上がるということで、新しく始まる学校生活も楽しみにしていたが、その年の四月に突然、英国から母方の祖父母が、キャンベラのフェアフィールド家を訪ねて、渡豪してきた。
「やれやれ、本当に全くの僻地だな、此処は。おい、エドワード、早くフランスに戻すように、外務省に言えと言っただろう」
「本当に、こんなに遠くでは、孫にも会えやしないわ。ロージィ、早くお茶を。砂っぽくって、喉がいがらっぽいわ」
空港に迎えに行ったエドワードが、自宅に二人を送り届けたが、二人は挨拶もせずにブツブツと文句を言った。
ハドリーはこの祖父母が嫌いだった。
母方の祖父リチャード・モースは男爵だったが、モース家は家柄だけで、実際の生活は困窮していた。
幾つかの名誉職を得てはいたが、一般人のように働く事を拒んだ祖父は、援助を求めて、自分の娘をこの名門フェアフィールド家に嫁がせたのだった。
それからは、フェアフィールド家からの援助でゆとりのある生活をしている筈なのだが、それでもエドワードと顔を合わせる度に、爵位のある自分の方が上である事を確認せずにはいられずに、常にエドワードに対して尊大な態度を取るのだった。
祖母のエノーラも特権意識が強く、娘をまるで自分の女給か何かのように扱った。
そんな両親に対して何一つ言わず黙々と従っているローズマリーの姿を見る度に、
――なんでマムは、何も言わないんだろう。僕なら文句を言ってやるのに。
と、内心ヤキモキとして、ハドリーは母を見守っていた。
「それで、エドワード。我々がわざわざこんな田舎まで来たのは、ハドリーの教育の事でね」
リチャードはソファでお茶を飲みながら、自分の目の前に座ったエドワードをジロリと睨んだ。
「ハドリーでしたら、この近くにあるインターナショナルスクールに通わせる予定ですが」
エドワードが静かに答えると、リチャードは眉を寄せて、乱暴に音を立ててカップを置いた。
「何を馬鹿な事を言ってるんだ、エドワード。このモース家の血筋の者が、英国で教育を受けないなんて話があるか。ハドリーには、しかるべきキチンとした教育を受けさせねばならない」
リチャードは重々しい声色で、顎鬚を撫で付けながらエドワードを見据えたが、取ってつけたような声色は逆に軽々しく聞こえて、ソファの隅でハドリーは小さくため息をついた。
「しかし、お義父さん……」
困惑して言い掛けたエドワードを制して、今度はエノーラが口を尖らせて言った。
「そうよ、エドワード。男爵家の血筋の子が、何処の子とも判らない子と一緒にインターナショナルスクールに通うなんて、とんでもないわ。正しい教育と厳選した友人、当然の事です」
エノーラは上目遣いでエドワードを睨むと、隣のローズマリーを見て、脅すような強い口調で訊ねた。
「ロージィ。貴女はよもや反対しないでしょうね?」
ローズマリーは顔を上げる事が出来ず、黙って俯いているばかりで、その肩が微かに震えているのを見たエドワードは、考えた末にため息をついて、諦めたように呟いた。
「……分かりました。この夏には、ロージィとハドリーを、英国へ帰国させます」
「どうして?」
驚いたハドリーが、大声を上げて抗議を籠めて父親を振り返ると、エドワードは寂しそうに微笑んだ。
「心配ないよ、ハドリー。英国でも、きっと沢山お友達が出来る。長い休みにはお父さんも必ず英国に帰るから、ハドリー、マミーを守ってあげてくれるか?」
それでもまだ、文句を言いたそうに口を開き掛けたハドリーに、エドワードは黙って頷いて、目で何も言わないよう促した。
「今までみたいに暢気に遊んでいられないぞ、ハドリー。本国ではまず勉強が第一だ。モース家の名に恥じないようにな」
父の瞳を見て、不満ながらも黙り込んだハドリーに、リチャードが睨みながら話し掛け、ハドリーは、まだ脹れた頬のまま、黙ってそっぽを向いた。