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第十話 薔薇色の陽だまりの中で

 気が付くとハドリーは納戸の床に座り込んでいて、その手の中には、母ローズマリーの最期の日記があった。

 ハドリーは初めて長い間隠されてきた真実を知った。自分が信じていた事実は、嘘で塗り固められた物だった事を知った。


 だが、もう遅い。遅かった。この最後の日記の直後に、二人とも赤黒い炎に焼かれて死んでしまった。エドワードとローズマリーの願いは、叶う事なく炎に焼かれて消えてしまったのだ。

 それを拒絶したのは自分だと、ハドリーは呆然とした中で思った。あの時、エドワードから電話が来た時に、それを冷たく拒絶したのは自分だった。心を閉ざして怒りの言葉を投げかけて、両親を拒絶したのは自分だった。


 ――もう取り戻せない。嘘に騙されて自分が、父が、母が失った時間はもう取り戻せないんだ。


 ハドリーの瞳から零れ堕ちる涙はポタポタと納戸の床を濡らしていたが、力なく床に突っ伏したハドリーは肩を震わせて、やがて、声を上げてその場に泣き崩れ、何時までも、何時までも泣き続けていた。



 やがて顔を上げたハドリーは、泣き腫らした目で自分の過ごしてきた無為な時間を思った。理由なく多くの人を傷つけてきた己の罪を思った。


 ――こんな俺がニナの傍にいていいのか。

 泣き疲れた頭で、ハドリーはぼんやりと、神は許さないかもしれないと思った。これまで傷つけてきた人に、詫びる術も思いつかなかった。力なく立ち上がったハドリーは静かに薄暗い納戸を出て、陽の差す眩しい居間のドアを開けた。


 キッチンの上の扉を飛びつくように開けて、でも中の荷物に手が届かず、ぴょんぴょんと跳ねているニナが其処には居た。

 入ってきたハドリーを見るとホッとしたように、

「あ、ハドリー。ごめん、手が届かないの。上の荷物を……」

 と、言い掛けたニナを、ハドリーは黙って抱き竦めた。

「ハドリー? どうしたの?」

 怪訝そうなニナはハドリーの顔を覗き込んで、鳶色の大きな瞳が心配そうにハドリーを見つめているのを見たハドリーの瞳に、また涙が浮かんできた。

「……ニナ、済まない、俺は……俺は、間違った人生を生きていた。もう誰にも詫びる事は出来ないんだ。俺にはお前を守る資格なんか……」

 言い掛けたハドリーの唇をニナはそっと指で塞いで首を振った。


 何も言わなくていい、全てを受け止めるとニナの瞳は語っていた。その瞳をじっと見つめていたハドリーは嗚咽を漏らすとまた泣き崩れ、ニナを抱き締めたまま、ずるずると座り込んだ。

 そんなハドリーを心配そうに見つめていたニナだったが、やがて静かにハドリーの頭を抱きかかえ、自分の胸の中に抱き締めた。

 ニナの胸の中に抱かれて、ハドリーは嗚咽を漏らしながら泣き続けた。

 ニナの胸は暖かかった。ハドリーを包み込むように暖かかった。その胸に抱かれながら、ハドリーは零れる涙が無くなるまで、ただひたすらに泣き続けた。


 深夜にふと目を覚ましたハドリーは、あれから自分はどうしたのか覚えていなかったが、ちゃんと寝室のベッドの上に居て、傍らを見ると隣でニナが小さな寝息を立てていた。



「え!?」

 焦ったハドリーは記憶を辿ってみたがよく覚えておらず、ちゃんと服を着ている自分の体を触り、布団をめくって覗き込んで考えていたが、『大丈夫だ、ニナとは寝てない』と結論を出すと、ホッと小さく息をついた。

 恐らく、錯乱していた自分を心配してずっと傍に居てくれたのであろうニナの髪を優しく撫でて、目を閉じ微かな微笑みを浮かべて眠っているニナに、愛おしさがこみ上げてきた。


 ――きっと、親父も同じような気持ちだったんだろうな。


 両親からの呪縛に苦しんでいた母ローズマリーを、心から愛した父エドワードの気持ちが分かるような気がした。そして、父と同じように、深く傷ついた心を持つ女性を愛し守る事を託された自分に、運命の不思議を感じていた。


 ――ニナを守り続ける事が、俺の懺悔なのか。それでいいのか?


 ハドリーは静かに上を見上げて、両親に問うた。

 静かな風がハドリーの頬をそっと撫でたような気がして、小さく笑みを漏らすと、ハドリーは嬉しそうに頬を染めた。





 翌朝、ハドリーが目覚めると、もうニナは居なかった。

 昨日は、嵐のように荒れ狂っていたハドリーの心は、今は静かに凪いでいた。


 居間のドアを開けると、起き出していたニナは、床にダンボールを広げて小物を片付けていて、ローズ色のカーテン越しに差し込む朝の光が、薔薇色に輝いてニナを照らしていた。

「あ、おはよう、ハドリー」

 ニナは何事も無かったように、ハドリーにニコニコと声を掛けて、その屈託のない、明るい笑顔を眩しそうに見つめたハドリーは、やがて微笑んで言った。

「ニナ。今日は、片付けは午前中だけだ。午後から出掛けるぞ」

「え? 何処に行くの?」

「郊外に俺の両親の墓がある。其処へ行くぞ。俺の両親に、お前を紹介する。俺の嫁だと」

「ハドリー……」

 微笑んで話すハドリーにニナは目を丸くしていたが、やがて鳶色の瞳には涙が浮かんできた。

 ハドリーは笑顔を浮かべたまま、両手を広げてニナに頷いた。


「ハドリー!」

 両手を広げ笑ってニナを待ち受けているハドリーに、満面の笑顔で弾かれたようにニナは駆け出していった。

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