異世界の戦士、セイ・テンフーの場合
今回担当:ジョシュア(読者参加)
響く剣戟の音は高らかに、しかし不規則でありそれは不協和音であった。
剣で奏でられる演奏会の舞台は石垣の上に建てられた城だった。赤を基調に造られたそれだが、いまでは血の赤に染まっている。
「姫様、離れるなよ!」
兵士たちの怒号に負けないように声を張り上げるのは、セイ・テンフー。黒髪に長身の男。大永国が誇る戦士の一人だった。
左手に持つ片刃剣を翻し、目の前の敵を引き裂く。悲鳴をあげる間もなく死に絶える敵兵士を一瞥することもなく、テンフーは少女の手を引いた。
「しかし、どちらへ!?」
少女は大永国の珠玉と称えられる姫、クーフェイだ。戦の時とあって、動きやすい衣服を身に纏っている。
テンフーは刃を油断なく構えながら物陰に潜み、周囲の敵を配下の兵士に相手させ、時間を稼ぐ。
「裏手の川を使う。下っていけば姫様の叔父殿の領地だ。それまで辛抱しろ」
テンフーは本来、姫殿下相手にこのような口調で話せるほど位は高くない。いや、そもそも一国の姫へ粗暴な口調で話しかけて良いはずがない。
だがテンフーは大永国の名家セイ家の生まれであり、幼い頃からクーフェイと共にいたことがあり、二人でいる時や緊急時は素の口調で話すことを許されていた。
「ふざけないでください!」
クーフェイは、姫という立場らしからぬ大きな声で言った。
「私は誇りある大永国の姫。我が身を守るために兵が戦うならば、それを見届ける責務があります! ましてや、逃げるなどと!」
「確かに、民なき国はあらずと言う。だがな、主なき国もまたないぞ! お前の責務は国を導くことだ! 自らの死で道を示せると思うな!」
相反する二人。だが、彼らは今までもそうして互いの関係を築いてきた。知勇のセイ・テンフー、慈愛のクーフェイ。知を支える二人が国に居れば安泰とすら言われた。
しかし、時は二人が成熟することを待つことなく災厄を与える。隣国の度重なる侵略に、ついに王都へ攻め入られた。
配下がまた一人と倒れ、テンフーはこの場にいるのも限界だと考える。
「姫様、まだ負けてない。我が国はまだ死んではいない!」
「何を……」
「大丈夫だ。――オレがいる。叔父殿も助けてくれよう。姫様がいれば、また民は集まってくるだろうよ」
テンフーはクーフェイを片手で立ち上がらせる。そして手を引くと、配下へと命じた。
「我らの行く手を死に物狂いで開け!」
応、と答えた彼らはすぐに行動した。強引に敵を倒して行くまでもない。ただひたすらに、自らの仕える主君のための道を切り開く。
相手の剣を受け止めては押し出し、主君の歩むための地を生み出す。
テンフーはその先頭に立ち、敵兵を右へ左へと薙ぎ払っていく。
クーフェイは黙ったきりだった。己の進言は、戦時には効果がないことを心得ている。また、テンフーの言葉が正しいと、本当は理解していた。
だからクーフェイは、己ができることをする。自らの居場所を示さぬように、声を上げない。自らを守るために散って行く英雄たちを、瞬きもせずに見届ける。
「貴様、セイ家の!」
そう叫ぶ、装備の整った敵将兵がいた。テンフーを見て家柄を判断したことから、学があるか、または戦場で会ったことがわかる。
だが、それだけだ。テンフーにとって、敵が何者であるかなどと関係ない。ただ、強者か弱者か、自らの歩みを阻む者か、それだけだった。
「覚悟!」
振り下ろされた一撃を刀で防ぐ。力の乗った、重い一撃。なるほど、この者は強者であることは、腕の痺れが教えてくれる。もし自分に姫を守る大任がなければ、さぞ心躍ることだったろう。
テンフーは、強者と戦うことに悦びを感じる。だが、自らの使命を忘れそれに興じるほど愚かではない。
「悪いな!」
瞬間、見えない波が敵将を襲う。その不可視の波は風ともまた違い、圧倒的な力で周りの兵士諸共吹き飛ばした。
そうして開けた道を、テンフーは今度はクーフェイを抱えて疾走する。馬の如きその速さであり、後背の配下も追いつくことができない。
だが、彼らはそれも心得ていた。主君とその護衛の背中を守るべく、敵兵の動きを止める。
それを見届けるのはこの場において、戦うことのできないクーフェイのみ。彼女は自分を守ってくれた彼らを心に刻んだ。
「歯を食いしばれよ!」
テンフーはそう叫ぶと、窓から飛んだ。恐怖からクーフェイは瞳を閉じる。
石垣に足を着け、落下の威力を減らしながらテンフーは降りていく。その離れ業を見ている者は、敵味方を問わず動きを止めた。
そして、まるで二人が来るのがわかっていたように船がそこにあった。
否、防城戦の際、逃げられるようにテンフーがそこに船を配備していたのだ。
船に乗り込むと、数名の漕ぎ手と兵士が乗っていた。二人でできること、厳密には、テンフーがクーフェイを守りながらできることには限界がある。そのための補佐役だった。
「船を出せ!」
テンフーの命令に、全員が従って動いた。幸い、敵軍はこちらの動きには気づいておらず、また気づいたとしても止められるだけの部隊が動くには時間がかかるだろう。
クーフェイは煙の上がる城を見据えていた。その顔に浮かんでいる感情は、怒りと悲しみ、悔しさがないまぜになったものだ。
「……姫様」
「大丈夫です」
テンフーが心配して声をかけるも、クーフェイは頷いた。
「いつか必ず、あそこへ帰ります。散っていった彼らのその意志を、無念と言わせぬために」
揺るがぬその気持ちに、不謹慎ながらテンフーは微笑みを浮かべた。
――だからオレは、こいつに惚れ込んだんだ。
それは忠誠心からなのか恋愛感情からなのかわからぬ感情だった。だがしかし、自分がクーフェイに仕える理由でもある。
必ず、この姫は大きなことを成し遂げる。その手の指す方へと道を開くのが、自分の役目だ。
「最後までお供させてくれよ」
おちゃらけてテンフーがそう言うと、クーフェイは年相応の、少女の笑顔を浮かべる。
「ずっと一緒だって、約束したでしょ」
その笑顔に、その言葉に、テンフーは少しだけ、安心した。何にかはわからなかったが。
そして、クーフェイに手を伸ばした、そのときだった。
「なっ!?」
船が突然傾く。投げ出される兵士たち。そして、その中に――――。
「姫様!」
非力なクーフェイもまた、川へと落下していく。彼女を助けるべくテンフーもまた、追った。
それがテンフーの最後の記憶だった。