竜滅士―ドラゴンバスター【1】
【1】
――グルルルル……
……と。
獣のような低いうなり声が、少女には聞こえていた。
それがいつからだったのか、彼女には分からない。
だが、気づいた時にはもう、誤魔化しようのない現実感を持った音として、それは彼女の脳内に木霊していた。
――グルルルル……
怒気を含んだような、憎悪を感じさせるような、くぐもったうなり。どこからともなく聞こえてくる声。
それは日増しに大きくなって、少女の心と体を浸食していく。脳内に響く轟きは頭痛を誘発し、体を重くした。
それでも少女の日常は、変わることなく進んでいく。
朝がくれば起きて、顔を洗い、慌ただしく食事をして、学校へ行く。
痛む頭蓋と重い体を引き摺りながらも、少女はまだ日常の中にあった。
だが、既に体の不調は到底誤魔化せるようなものではなくなっていた。視界は狭くなり、眼は霞み、五感は鈍い。
――だから、その接近に彼女は気づかなかった。
――ドンッ
と、衝撃が走った。
「きゃ……!?」
ふいなことに、少女は為す術もなく道の真ん中で尻餅を突いた。
「いたた……もー……なーにー……?」
何が起きたのかも分からないまま、少女は眼前を見上げようとした。
だが、頭痛が酷くて思うように顔が上げられない。
「つっ……」
思わず呻いて、頭を抱えた。
――そんな時だった。
「……大丈夫ですか、お姉さん」
優しい、穏やかな声がした。
何とか顔を上げると、そこには一人の少年が立っていた。
浅黒い肌に黒い短髪。声と同様に、穏やかな笑顔を浮かべる少年。おそらくは少女よりも二つ三つは年下。雰囲気から考えれば、少々小柄な中学生といったところだろうか。
首から提げた、小さな竹筒の連なったアクセサリーが印象的だった。
ついでに言えば、転倒の原因は彼だったらしい。
「……立てますか?」
問われて、少女はハッとした。無意識ながら、ぼけっと見つめてしまっていた。
「あっ! は、はいっ!」
年上の威厳など欠片もない返事をして、少女は差し出されていた細い手を取った。
「ごっ、ごめんなさいっ、ちょっとぼーっとしててっ……」
ようやく立ち上がった少女はあたふたと謝罪したが、少年は変わらぬ微笑みでゆるりと首を振った。
「いいえ。僕の方こそ、捜し物をしていたもので。ごめんなさい、お姉さん」
そう言って、ぺこりとお辞儀をする少年。
その仕草があまりに愛らしくて、少女は一時、体の不調も忘れ、少しだけ穏やかな気持ちになって頬を染めた。
――だが、その時だった。
――グルルルル……
と。
また、あの重苦しい、くぐもったうなり声が脳裏を木霊した。
「つぅっ……!?」
思わず蹲る。
「――近い」
ぽつりと。少女の頭上で、そんな声がした。他でもない。少年の声だ。
「っ……?」
頭の痛みに顔を歪めながらも、少女は少年を見上げる。
彼は、何かを警戒するように、周囲をきょろきょろと見回していた。
が、ふいにハッとしたように眼を見開いて、少女を見た。
「そうか、これは――」
しかしその言葉は、最後まで続かなかった。
「――! いけないっ!」
少年はふいに焦ったような声を上げると、そのままの勢いで少女の体を押し倒した。
「きゃうんっ!?」
思わず、間抜けな声を漏らしてしまう少女。行動の突飛さと言うよりも、少年の顔に似合わぬ大胆な行動にどきりとしてしまう。
だが次の瞬間、そんな少女の平和な感情を吹き飛ばすように、激しい轟音が辺りに鳴り響いた。
「っ……!? え!? な、なにっ!? なにごとっ……!?」
少年の体の下で、狼狽した声を上げる少女。
聞いたこともない、形容しがたい音だった。硬質な何かを強引に破壊したような、激しいけれど鈍い音。轟音、としか表現できない音。
――当然だ。何の変哲もない思春期の少女に、ブロック塀を派手に粉砕する音など聞いたことがあるはずもない。
二人が倒れ込む頭上。丁度、少女の上半身があった辺り。その辺りにあったはずのブロック塀が、何かの機械で抉り取ったようになくなっていた。
まるで、どら焼きを囓った時の跡みたいだな、なんて少女は思った。突然の出来事に、状況判断が追いついていなかった。
――否。こんな状況をいったい誰が即座に理解できると言うのか。
しかし、困惑する少女に、少年は覆い被さったまま、追い打ちをするように言った。
「僕が探していたのは――お姉さんだったんですね」
――そうして少女は、日常の外側に足を踏み入れた。
【つづく】