決別
夫は、何だかんだとミュゼルシアが傍にいるから、自分の妻であることを望んでいると思っている節がある。
閨に訪れる彼を拒んだことがないから、夫としての情はあると思っている。
そのどれもが、ミュゼルシアの目指す場所への通過点に過ぎないというのに。
「陛下? 婚姻する時、『一つ望みを叶える』と約束してくださったではありませんか。承諾していただけないのですか?」
「いや、だから……」
「離縁後の話は、離縁の手続きを終えてから。ねえ、陛下。わたくしのたった一つの願い、叶えてくださいませ」
強引に離縁届を広げると、後は彼のサインと印、国璽を押すだけになっている。
もう一枚は、王族籍を放棄する誓約書。もちろん神殿魔法付だ。
しかし、テオバルトの手はなかなか動かない。
「私は、これからもそなたに傍にいてほしい」
「国は、わたくしがいなくとも回りますわ」
「そうではなく……そなたとは、信頼関係を築いてきたと思っている。夫婦として、これからはゆっくりした時間を取ろう」
これ、口説き文句のつもりなのかしら。
目が見えないから表情はわからないが、声には宥めるような色があった。
「陛下。わたくしは、紺碧の目を次代に受け継ぐという功績を上げたと自負しております。政務においても、それなりの功績があります」
「あ、ああ、もちろんだ」
「ならば、わたくしの唯一の願いくらい、叶えてくださっていいではありませんか。離縁し、身分を返上いたします。すでに、わたくしには紺碧の目もないことですし」
「……私の傍には、いられないと?」
「ええ。この檻から抜け出すため、わたくしはすべてを賭したのです。心以外はすべて」
「もし、断ったら?」
「まあ、素敵ね。この場で首を落としますわ」
離縁するくらいなら死ねと、この甘やかしい男には言えまい。
大きくため息をついたテオバルトは、サインと印を記して彼女の護衛に手渡した。
隅々まで確認した護衛がそれを告げると、また微笑んだミュゼルシアは写しの分を丁寧に胸元に仕舞う。
「ありがとうございます、陛下。とっても嬉しいですわ」
「……そんなにか」
「ええ。わたくし、許せないんですもの。母にした惨い仕打ちも、この目があったがために奪われたものも。散々殺そうとしたくせに、この目欲しさに手のひらを返す恥知らずたちも。ぜーんぶ、大っ嫌いですわ」
「……」
「罪のない我が子たちと民のため、離縁程度で収めるのです。お得でしょう?」
顔色が悪くなっていく異母兄にも構わず、ミュゼルシアは上機嫌で礼をとった。
「では、陛下。御前失礼いたしますわ。お別れの挨拶に、とっておきの秘密を」
「な……んだ……」
「我が子たちをとっても可愛がっていらっしゃる陛下方、お二人の御子が産まれなかったのは、あなたのお母様が原因ですわ」
「なんだと!?」
「可愛い可愛い息子を盗られて、よほど腹立たしかったのね。まさか避妊薬までお茶に仕込むとは、しかもそれを何の疑いもなく飲んでいたとは、どちらも王族としてどうなのかしら」
ふふ、と笑いながら、ミュゼルシアは差し出されたロイドの手に導かれて背を向ける。
「治世に幸多からんことを、陛下。あの世でまた会いましょう」
何にも気づかず安寧に過ごした甘やかしい愚鈍な王に、幸あれ。




