PART4 争いを避けた社会は、何によって支えられていたのか
縄文時代に争いが少なかったという話は、
しばしば人間性の美談として語られる。
「優しかった」「穏やかだった」「自然と調和していた」。
そうした言葉は耳触りがよいが、
それだけでは、長い時間を生き延びた理由にはならない。
人は、善意だけで共同体を維持できるほど単純ではない。
では、縄文社会は何によって支えられていたのか。
答えは一つではないが、
少なくとも、後の時代のような力による統制ではなかった。
まず、縄文社会には
権力を一極に集中させる仕組みが見当たらない。
王や支配者、常設の軍事組織の痕跡は確認されていない。
身分差が完全に存在しなかったとは言えないが、
それが固定化され、世襲される構造も見えにくい。
誰かが圧倒的に上に立つ社会ではなかった。
その代わりにあったのは、
関係の網のようなものだ。
縄文人は、狩猟採集を基盤としながら、
定住と移動を組み合わせた生活をしていた。
一つの場所に固執しすぎない。
環境が変われば、やり方を変える。
この柔軟さは、争いを回避するうえで大きな意味を持つ。
土地を奪われれば死ぬ、
作物を失えば生きられない、
そうした切迫した状況が、
恒常的には生まれにくかった。
奪うよりも、離れる。
押し通すよりも、引く。
それは弱さではなく、
環境に適応するための選択だった。
さらに重要なのは、
縄文社会では「富」が蓄積しにくかったという点だ。
大量に余剰を貯め込み、
それを守るために武装する必要がない。
奪えば奪うほど豊かになる、という構造が成立しにくい。
争いは、得をする者がいるときに激化する。
その前提が、そもそも弱かった。
そしてもう一つ、
これまで見てきた要素が、ここで重なってくる。
死者と共に生きる感覚である。
墓が生活のそばにあり、
先に生きた者たちの時間が足元に重なっている社会では、現在の欲望が、無制限に膨らみにくい。
今だけがすべてではない。
この場所は、過去から借りているものだ。
そうした感覚は、
法律の条文よりも、
罰則よりも、
人の行動を深く制御する。
誰かを排除することは、
この場所の時間そのものを乱す行為になる。
奪い合うことは、
共同体の基盤を揺るがすことになる。
だから争いは、
道徳的に悪だから避けられたのではない。
割に合わなかった。
縄文社会において、争いは、
勝っても得るものが少なく、
失うものが多すぎた。
この合理性は、
後の時代になると、急速に変質していく。
農耕が広がり、
土地が固定され、
所有が明確になり、
余剰が生まれる。
奪うことが、
得になる場面が増えていく。
そのとき、
争いは避けるべきものから、
選択肢の一つへと変わる。
縄文時代が特別だったのは、
人間が未熟だったからではない。
むしろ、
人間の性質をよく知ったうえで、
争いが成立しにくい条件を保っていたからだ。
だが、その条件は、
永遠ではなかった。
次に見るべきなのは、
この縄文的な感覚が、
すべて失われたわけではないという事実である。
形を変え、
言葉を失いながら、
それでもなお、私たちの中に残っている。




