PART2 墓はなぜ、村の真ん中にあったのか
縄文時代の集落跡を知ったとき、私の中に残ったのは、納得ではなかった。
説明を受ければ理解できるはずなのに、どこか腑に落ちない。
その感覚は、知識よりも先に、すでに私の生活の中にあった。
私の住む地域は地方にある。
家から散歩に出ると、居住地域であるにもかかわらず、墓地が随所に点在していることに気づく。
大きく区切られた墓地もあれば、数基だけがぽつりと残されている場所もある。
塀に囲まれているわけでもなく、道のすぐ脇にあり、家々と視線を交わしている。
不思議だとは思わなかった。
ただ、理由を考えたことはある。
おそらく、かつてこれらの墓地は生活の外側にあったのだろう。
人が増え、田畑が開かれ、さらに土地が必要になり、
田畑は宅地へと変わっていった。
その過程で、墓地だけが動かされずに残った。
そう考えると、目の前の風景は、いくつもの時代が重なった結果として見えてくる。
墓地は移されにくい。
そこには感情があり、記憶があり、簡単に整理できないものがある。
家は建て替えられ、畑は形を変え、人の流れは変わっても、
死者の場所だけは、時間に抗うように残る。
この経験があったからこそ、縄文時代の集落配置を知ったとき、
私は強い引っかかりを覚えたのだと思う。
住居の中心、あるいはすぐそばに墓がある。
それは、死者が生活から排除されていない社会の姿だ。
縄文人は、死を切断として扱っていなかったのではないか。
生と死は対立するものではなく、
同じ流れの中に位置づけられていた。
墓が近くにあるということは、
死者を恐れていないということではない。
死を軽んじているということでもない。
ただ、死者を「いないもの」にしていなかった。
現代の私たちは、死を生活の外に置く。
病院や施設に集約し、
墓地を遠ざけ、
日常から切り離そうとする。
だが、地方の町を歩くと、その分離は完全ではない。
生活の中に、死者の痕跡が残っている。
それは意識されることは少ないが、確かに存在している。
縄文の墓は、個人を顕彰するものではなかった。
名を残すための装置でもない。
そこにあるのは、この土地で生き、死に、還った人々の連なりだ。
現代の住宅地に点在する墓地も、
同じことを語っているように思える。
この場所は、今を生きる者だけのものではない。
かつて生きた者たちの時間が、ここに折り重なっている。
争いが起きにくい社会には、制度や倫理以前の理由がある。
それは、世界をどう捉えているかという問題だ。
死者が、常にどこかに追いやられている社会と、
死者が、生活の延長線上に置かれている社会。
その違いは、人の振る舞いを深いところで変える。
私たちが暮らす町の中に残る墓地は、
過去の遺物ではない。
それは、今も無意識のうちに受け継がれている感覚の痕跡だ。
この感覚が、どこから来たのか。
そして、どこへ向かおうとしているのか。
それを考えるとき、
縄文という遠い時代は、突然、現在と地続きになる。




