04.ヴァルモア領へ
本日1話目です
アリスのヴァルモア領行きが決まってしまった叙勲式の、4日後。
周囲が朝靄に包まれている、静かな早朝。
1台の馬車が、王都郊外の街道を走っていた。
乗っているのは、寝不足で目の下が真っ黒になっているアリスだ。
背もたれに寄りかかりながら、ぼんやりと外を眺めている。
霧の向こうにうっすらと見える野山を目で追いながら、彼女はため息をついた。
「疲れた……」
思い出すのは、叙勲式が終わってからの怒涛の展開だ。
*
叙勲式が終わった、その日の夕方。
アリスは、研究所の資料室に向かった。
ヴァルモア領に行くことは、ものすごく不本意だが、
引き受けると約束してしまったからには、ちゃんとしなければ、と思ったからだ。
(そうしないと、天国の所長が怒りそうだしね)
『約束を守る魔法バカ』である彼女は、約束したことはやる人間だった。
そんな訳で、アリスは、ヴァルモア領について調べようと、
『ガイゼン王国、国土史』を手に取った。
巻頭についている地図をながめる。
「ヴァルモア領って、こんなに大きいんだね」
隣国ノルティア自由主義国家との国境沿い。
土地の広さだけで見れば、国の5分の1ほどもある。
ただ、9割近くが「魔の森」と呼ばれる大きな森で占められており、
森の奥には危険な魔獣が住み着いているらしい。
本によると、15年ほど前に、バッツという高名な探検家が森に入り、
『森の中には、立派な城があった』
と報告したらしい。
(森の中の城か……)
王妃が言っていた”城”は、たぶんこの城のことだな、と思う。
(わたしが住んでた孤児院みたいな感じかな……?)
アリスがいた孤児院も、森の中にあり、元は古い領主館だったと聞く。
もしかすると、似たような感じかもしれない。
本を読み終わり、アリスはパタンと本を閉じた。
(とりあえず、まずは引っ越しの準備かな……)
出発まで、おそらく1か月以上はあるだろうが、
それまでに、色々と済ませなければならないことがある。
(結構大変そうだな……)
がんばらないとな、と思う。
――しかし、話は悪い意味で、予想外の方向に進む。
翌日の昼過ぎ、アリスは王宮に呼び出された。
飾り気のない部屋に通されると、カミーユと名乗る痩せた文官の男性から、ものすごい早口で領地について説明される。
「アリスさん、領主のご経験は?」
「ないです」
素直に答えると、ふんと馬鹿にしたように笑われた。
アリスができるようになるまで、引き続き王宮の方でやりますと言われる。
その後、契約書にサインして、任命書と、領主であることを表す印の付いた指輪を渡された。
「なくさないようにしてください。これが領主の証ですので」
そして、アリスがそれらを受け取ると、カミーユは立ち上がった。
「では、手続きは全て終わりましたので、3日以内に研究室を引き払ってヴァルモア領に向かってください」
「……は?」
彼女はポカンとした。
1か月以上先かと思いきや、まさかの3日後。
「それは無理です!」
驚いて言うアリスを、カミーユが細目で見た。
「ほう、なぜですか?」
「持っている仕事があるからです。魔剣の整備とか、魔法陣のメンテナンスとか。ちゃんと引き継ごうと思ったら、1カ月はかかります!」
アリスの言葉を聞いて、カミーユが鼻で笑った。
「お言葉ですが、あなたがロクに仕事をしていないことは分かっています」
彼によると、ジャネットが
『あの者はロクに仕事をしていないから、研究成果を盗まれる前にさっさと異動させた方が良い』
と言ったらしい。
(……なにそれ)
アリスは、ジト目になった。
無関係のジャネットが、自分の仕事の内容など知っているはずがない、と思う。
でも、ここで何を言ってもきっと無駄だということは、叙勲式の経験から知っている。
(もうこれは仕方ないよね……)
約束した仕事は最後までやらなければと思うが、この状況ではさすがに無理だ。
彼女はため息をついた。
「……わかりました。ただし、わたしの仕事は、そちらで責任を持って引き継いでくださいよ」
「ええ、もちろんですよ。あれば、ですが」
カミーユが馬鹿にしたように言う。
そんな訳で、彼女はこの日から目の回るような日々を送ることになった。
夜を徹して部屋を片付け、荷物を準備する。
他の研究員たちは、アリスが出て行くことを知って、とても驚いた。
どうやら何も知らされていなかったらしい。
アリスを追い出す王宮の愚かさに呆れながら、
片づけを手伝ってくれたり、餞別をくれたりする。
――そして、叙勲式から4日目の朝。
ようやく片づけが終わり、こうして馬車に乗ってヴァルモア領に向かっている、という次第だ。
*
「疲れた……」
馬車の窓から外をながめながら、アリスがぼやいた。
部屋の片付けと荷物の準備は何とか終わったが、
仕事については、頼まれた先に、
『今後は、文官カミーユが責任を持って引き継ぐとのことですので、彼に問い合わせてください』
という趣旨の手紙を書くので精いっぱいだった。
「本当に何もできなかったな……」
暗い気持ちでため息をついていると、
コツコツ
馬車の窓を叩く音がした。
顔を上げると、馬に乗ったテオドールが見えた。
窓を開けると、テオドールが心配そうな表情をした。
「大丈夫ですか、酔っていませんか」
「うん、大丈夫。ありがとう」
ちなみに、テオドールは護衛4人のうちの1人として同行してくれることになった。
アリスがヴァルモア領に行くと聞いた時はとても驚いたようだが、領に行くまでの護衛が必要だと知り、すぐに名乗り出てくれたらしい
テオドールが気遣うように言った。
「ヴァルモア領まで、4日はかかりますから、無理をしないでください。いつでも休めますから」
「うん、ありがとう」
アリスは感謝の目でテオドールを見た。
親しい彼が来てくれたことに安堵を覚える。
テオドールが警備に戻ると、彼女は窓を閉めた。
連日の徹夜がたたって、睡魔が襲ってくる。
(……寝よう)
彼女は座席にコロンと横になると、すうすうと眠り始めた。
馬車は、一路ヴァルモア領を目指して街道を進んでいく。
その様子を、馬に乗った黒衣装の男が、森の影からジッと見つめていた。
今日もう2話投稿します




