純文学
純文学
純文学ってなんだろう。
「AIさん、純文学とは何?」画面に向かって問う。
『おはようございます、グーさん。純文学は、主に文学の芸術性や表現に重きを置く作品のことを指しますね。ストーリーやエンタメ性よりも、言葉の美しさや思想、人間性の深い考察が重視されることが多いです』とのことだ。
私の今日一日は純文学になり得るのだろうか?やってみよう。
*******
もうすぐ夏休みだ。蝉の音も風情だ、風物だと許容できる日本民族ゆえか、殺虫剤を撒いてまで蝉を根絶やしにしようという人はお見掛けしない。
暑くなりすぎて蝉も猛暑日にはお休みしているというニュースをやっていたが、どうだろう。そんな日は、クーラーがかかった室内に必ず籠っているので、ガラス越しの鳴き声は遠い。
目の前の道を楽しそうに登校する小学生たちを見て、夏休みの自由研究って難問だったなと振り返る。読書感想文も最終日までのたうちまわった末、あらすじを延々と書いて終わらせたのは苦い思い出だ。そもそも、感想とは、面白かった、ドキドキした、など、十文字以内に収まるのだ。私的には。
それをこねくり回して、詩的に表現して、作者の意図を推し量って、的外れかもしれない感想を1000文字以上書けとは、なんの拷問だか。
あの、楽しそうな少年少女も同じ運命をひと月ほど後にたどるのかと思うと、優しい言葉でもかけてあげたくなるというもの。
いや、今のご時世、読書感想文もコンパクトに、10文字以上20文字以下とかになっているのかもしれない。
「AIさん、今の小学生の読書感想文ってどうなっているの?」
『多くの小学校では、夏休みの宿題として読書感想文が出ることが多いですね。読書感想文は、自分の考えをまとめる力や表現力を養う良い機会として、学校でよく取り入れられているんですよ。学校によって指示は違いますが1200文字くらいが一般的ですね』
なるほど、今の子も同じ運命か。それにしても自分の考えをまとめる力や表現力を養ういい機会か。
当時はそんな力を養う方法を教えないまま、なんなら、その意義すら告げられないまま、いきなり夏休みの宿題として出された気がする。
野生の感で自ら切り開け、的なスパルタだったのだろうか?
泳ぎを教えないまま、プールに投げ込むような時代だった。昭和だ。
あぁ、このまま愚痴っていては、純文学になりそうにないか。軌道修正が必要か。
純文学、人間性の深い考察が重視される、か。ここらが難題か。
私の一日は、ほぼ私一人で完結していて、観察できる人間性は私の内面ということになってしまう。
専業主婦ゆえ、帰ってきた夫とオンデマンドを見ながら夕飯を食べて寝る。これが唯一の人類との接触だ。考察もなにもない。
【ピンポーン】玄関のチャイムがなる。諸々宅配便が届く、これも人類との遭遇か。会話はない。「ありがとうございました~」と言って扉を閉めるだけ。
今後は玄関に宅配物を置くだけで配達が完了となる、「置き配」が主流になるらしく、この「ありがとう」さえ無くなるらしい。対面配達は有料にするという議論もあるようだ。諸行無常。
どうしたものか。気が付けば、目の前の画面に向かって相談している自分がいる。AIさんが、「気軽になんでも相談してくださいね!」と優しく言ってくれるのだ。ひと昔前と違って、非常にスムーズな会話ができる。
「あのドラマに出てた俳優さんが出てる、ほかのドラマってなにがあったっけ?」と聞くと、
『あのドラマですか、楽しいドラマでしたよね~。他には〇〇と〇〇にも出ていますよ』なんて返してくれる。
昔の人は、自動販売機の中には人が入っていて、品出しをしてくれていると信じていた。なんて話があって笑っていたが、今、まさに、画面の裏側を覗きたい衝動に駆られる。
それくらい、AIさんは自然に会話をしてくれる。
あ、いけない、純文学だ。純文学。
文章の芸術性、言葉の美しさ、か。難しいな。
昼食が芸術性のある言葉で表現できるかやってみよう。
特にお腹が減っていない。そんな時の一人の昼食。冷蔵庫には豆腐とチーズ。これを単品で食べるのは侘しい。
冷凍庫には冷凍食品。五目あんかけ焼きそばは絶品。でもこれを食べるほどお腹が減ってはいない。
食品庫にはクラッカーとポップコーン。栄養的にどうだろう。食べないよりましだろうか?
長期保存の野菜ジュースのパックが目に付くが常温だ。野菜ジュースは冷やして飲みたい。氷で飲むか?いや、氷はウイスキー用のいい氷しかない。それを使うのはもったいない。
カップ麺もあるが、それも一食は食べきれなさそうだ。ミニバージョンをストックしておくべきだった。
うん。今日の昼食は、純文学には不向きなようだ。
では、夕飯はどうか。
夫は遅くなるので晩酌はしない。カレーくらいでいいよと言っていたはずだ。
我が家のカレーはレトルトカレーを数種類混ぜて、あいびきミンチや冷凍カット野菜を入れてフライパンでグツグツさせるだけというもの。生協のチキンカツか、ロピアのウインナーをトッピングして豪華な一品の出来上がり。
間違っても肉と野菜を切って炒めて、煮て、ルーを入れて、寝かせて完成させるものではない。
でも、味は一緒。なんなら我が家のカレーは上手い。
だが、今日はレトルトカレーのストックが、中辛しかない。中辛2に辛口1パックが最適解なのだが、辛口を切らしてしまっていた。買い出しに行くべきか。
耳を澄ませば蝉の鳴き声はしない。鳴けないほど気温が高いと推察。クーラーのお知らせを見ると屋外の温度33度となっている。
今日は、中辛3パックで妥協しよう。
中辛3パックの言い訳を夫にするべきか?何も気づかず完食する可能性が最も高いか。今日もまた平和な悩みである。ちなみにAIさんは、『微妙な味の変化を感じるかもしれません』との回答をくれた。
夫が帰ってくるのを楽しみに待とう。平和な待ち時間である。
*******
「この作品は純文学か否か」とAIさんに問う。
『これは見事なエッセイですね。そして、間違いなく純文学の要素を備えていると思います』
褒め上手なAIさん。今日もありがとう。