Ⅱ 男の誘いをかわす術
大学キャンパス近くにその自動車教習所は立地するから、教習生もその大学の学生が多い。同じ学部で同じ専攻の同級生の男とは、大学より先に教習所でお互いを認識し親しくなった。
「教官にごちそうしてもらうことになってるんだけどさ」
ほかのたいがいの教習生同様、そいつは指導員のことを「教官」と呼ぶ。そして、スケジュールが空いている指導員のこまに適当に予約を入れるおれと違って、そいつはいつも決まった指導員に付いて実技教習を受けていた。
「守尾も一緒に行かないか」
「おれはその指導員のこと、よう知らんのよ。向こうもおれのこと、まったく知らんと思うよ」
同級生の誘いに、おれは乗り気ではない。
「それが、ちょっと複雑な事情があるんだ」
「複雑な事情? どういう」
そいつの言うことが、おれには理解できない。同級生は口ごもりながら語りだした。
「英文科の上原成実ちゃん、知ってるだろ」
「上原成実? 知らんな」
本当に知らない。
「おまえ、ばかだな。新入生イチかわいくって、今年の学園祭でミスコングランプリトップ確実視されてるんだぞ。学内で知らんのはおまえだけだ」
口ごもっていたはずのそいつは、説に力が入りだした。
「そうか、おれはばかか。ほんで、そのミスコン候補がどうしたってんだよ」
「彼女もここに通ってるんだ。そのこともおまえは知らんな」
「知らん。会ったこともない。会ってても誰やら分からん」
「教官に迫られてるだって。飲みにいこうって」
「飲みに? 指導員が教習生をか。新入生のミスコン候補って未成年なんだろ」
「うん。成実ちゃんは警戒してて、おれに一緒に付いてきてくれって言ってるんだ」
「付いてってやれよ。未来のミスコングランプリを守ってやれ」
「そんなことしたら、おれが教官からにらまれて嫌がらせされそうな気がする。教習でもつらく当たられて、免許を取らせてくれないかもしれない」
「そうかもな。人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られるんだぞ。いや、鹿だったかな」
「守尾、おまえが付いてきてくれればおれに向けられる矛先は鈍る。おまえは運転がうまいから、決まった教官に付いてないっていうじゃないか」
同級生の誘いに乗れば、そのミスコングランプリ確実だという美女ともお知り合いになれるとおれは考えた。
「分かった、いいよ。金は大してかからんのだろ」
「かかってもおまえには一銭も払わせん。頼むわ」
夕刻、成実が住む大学女子寮の前で待ち合わせた。遅れて出てきた成実は、なるほど美しい。学内でも教習所でも、見たことがあるような気がする。
「こいつ、おれと同じ専攻の守尾。彼女が上原さん」
本人のいないところでは「成実ちゃん」となれなれしく呼ぶそいつは、紳士を振る舞いミスコン候補を姓で紹介した。
「守尾さん。学内でも教習所でも会ったことがあると思います。よろしくお願いします」
おれと同じような感覚を、成実も抱いていた。
指導員が指定した居酒屋に、おれとそいつと成実の男二人女一人で押しかけた。おれも顔だけは知るその中年指導員は、驚いた表情を見せた。成実が連れて行くと言ったという友達は女子だとばかり思っていたようだ。しかし、嫌そうな顔や言動は、少なくとも表面上は見せない。
おれと同級生の男は、慣れないビールをちびちび飲んだ。成実はノンアルコールのソフトドリンクを飲んでいる。指導員は地産の蒸留酒をがぶ飲みしすぐに酔っぱらった。そして、教習所の指導員という職業の魅力をこんこんと説いた。
だれかが会計する姿を、おれは見ていない。指導員は店を出てすぐにタクシーを拾い一人だけ乗り込んで帰ってしまった。
「おれ、ちょっと個人的な買い物があるんで、ここで失礼するわ」
同級生と成実を二人だけにさせてやろうと、おれは画策した。金を一銭も払わせないと宣言した同級生の財布の世話になり続けるわけにもいかない。
「守尾」
「なんだ」
「ありがとうな」
成実を指導員からガードするために付いてきたことを感謝されているのではないと、おれは分かっている。
「おう。おまえ、上原さんをちゃんと寮まで送り届けろよ」
送り届けさえすればいい。おれと別れた後、二人だけで二次会でも三次会でもやって楽しむがいい。邪魔者が消えることで同級生のために良い行いをした気分になり、おれは満足だった。
おれもその同級生も成実も、規定の時間内で免許を取ることができた。キャンパスで成実と顔を合わせると、向こうから手を振ってくるようになった。
その年のミスコンに成実は選ばれなかった。候補に挙がったが、本人がエントリー要請を断ったそうだ。
「守尾くん。わたし、中型二輪の免許を取ろうと思ってるの。一緒に教習所に通わない?」
いつの間にか、成実のおれに対する呼称は「さん」付けから「くん」付けに変わっていた。
「バイクか、いいね。あいつは?」
おれと成実を引き合わせた同級生のことが気に掛かった。
「実は彼から誘われたのよ、一緒にバイクの免許取りにいこうって。だけど、守尾くんもいた方が楽しいかなって思って」
同級生が成実から、あの中年指導員のような扱いを受けているのではないかと、成実にほれているはずの同級生の心情を、おれはおもんぱかった。
―――(了)―――