3-13 隠し事
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唐突に意識が回復したが、胸に激痛が走り、喉を何かが駆け上がって咳き込んだ。
濁った音と一緒に血をひとしきり吐いて、空咳になってやっと安心できた。
「えほっ、こいつは酷い」
思わず呟いて起き上がる。体の下では俺の身体が真っ二つにしたテーブルが床にさえ食い込んでいた。俺の体はその元テーブルの上にあった料理でドロドロだった。
視線を巡らせると、傭兵たちが俺を取り囲み、呆気にとられているもの、不審げなもの、顔面蒼白のもの、それぞれだ。
その中にユナの姿もあった。彼女は無事らしい。
「俺をぶっ殺しかけた奴はどこへ行ったわけ?」
立ち上がって、服に張り付いている料理だったものを払い落とした。
傭兵の誰かが、帰って行ったよ、と言った。そちらを見ると答えたのは傭兵を割って近づいてくる、巨大な体の男だった。コルトだ。具足こそつけていないが、斧が背中にあるようだった。
「やるだけやって逃げたってことですか?」
気を取り直した傭兵たちがテーブルとか皿とか料理とかを片付け始める横で、コルトが俺の体をしげしげと見た。
「よく生きているな、リツ」
「まあ、頑丈だけが取り柄なんで。あと悪運も」
胸がぐずぐずと蠢いている気がしたけれど、考えないことにしよう。
と、俺が決めた次に、すっとコルトの手が俺の胸に触れた。反射的に一歩二歩と下がると、コルトがニヤッと笑う。
「確かに頑丈そうだ」
話し声が聞こえ、そちらを見るとユナがホークに説教されていた。
どうもホークはユナが余計なトラブルを起こしたと思っているようだ。弁護するべきかな、と思ってそちらへ行こうとすると、「話をしよう」とコルトが俺の手首のあたりを掴んだ。
いえ、と断ろうとしたが、手首の骨が軋むほど握りしめられたので、反論はやめた。この傭兵の握力なら、手首を握りつぶすこともできそうだ。
ドロドロに汚れている服が気になったが、コルトは平然として外へ出て、食堂の裏手へ俺を連れて行った。やっと手が解放されて、見てみると手首にはあざができていた。
「さっきの神官戦士は手加減しなかったぞ、リツ」
斜め上、空の方を見ながらコルトが言う。いつの間にか日が稜線の向こうへ消え、周囲は闇に包まれ始めている。最後の光の一筋が、かろうじてコルトの顔を判別することを許可していた。
「まあ、だいぶやられました」
「ファイターのファクトらしいな。ただ、見たところファクト頼りの使い手ではないぞ、あれは」
「見ていた? 見ていたなら助けてくださいよ」
思わず指摘していたが、コルトが不敵に微笑み、こちらを見る。
「食堂に入った時、お前がちょうど打たれるところだった」
「声をあげても良かったし、斧を投げることもできたと思いますけど」
「間に合わなかっただろうな」
そっけないなぁ。
それでも、それくらいの淡々とした判断が、傭兵にはある場面では必要になるか、と思う俺である。
情に流されたり手加減したりするのは、生死を分ける場面では決していい影響を与えない。
「それよりもだ、リツ。お前、なぜ生きている」
「なぜって、偶然ですよ」
ユナにも言っていないのだから、コルトにも生きた岩については何も話していない。
さりげなく「そんなに危険でした?」と確認すると、露骨にコルトが不快げになる。
「あの神官戦士の打撃は、骨を砕くし、それ以上に心臓が破裂するような攻撃だった。お前の吹っ飛び方を見ると、確実に心臓は止まったな。二度と動かない程度に」
どう答えるべきか、ちょっと迷った。
隠すべきか、打ちあけるべきか。
「ちょっと加減を間違ったんでしょう」
そう答えてから、失敗だったな、と気付いた。隠すのは困難だろう。
じっとこちらを見ているコルトの横顔から、ついに最後の日の光が消え、自然に篝火の明かりがそれに変わったけれど、奥まったところにいるので、光はささやかでほとんどコルトの顔を隠していた。
俺の顔も隠れているだろうが、安堵できるような状況でもない。
よかろう、とコルトは沈黙を破って頷いた。
「この世の中は、不思議なことがいくらでも起きるものだしな。体は痛むか?」
「少し」
正直、どこにも痛みも不快感もなく通常通りだったが、嘘をついた。嘘をついたけど、あれだけの攻撃を身に受けて、少ししか痛まない、というのは逆におかしかっただろう。
頑丈な体だな、と今度こそ失笑し、コルトは話題を変えた。
「今度の作戦について知っているか? 例の偵察隊の奴だ」
話を変えてくれたのは、俺を安堵させるためだろう。そういう些細な気遣いが今はありがたい。
「聞いています。でもうちは今、三人ですから、他から人を借りると思います。神鉄騎士団も人を出すのですか?」
「俺たちは傭兵だぞ。戦場にいて報酬を手に入れる機会があるのに、それを放り出すわけもあるまい」
「命知らずですね。俺もですか」
「傭兵というのは、命知らずの別名さ」
また会おう、とコルトは俺に巨大な手を振り表へ行ってしまった。
俺はしばらくそこに立っていて、手で胸のあたりに触れて、どこも異常がないか確かめた。
怖くなるほど、異常はない。
振り返ってみると、あの一撃、掌底は殺意そのものだった。そして全く過たず、十中八九どころか完全な必殺の一撃が、俺を直撃した。
普通だったら死んでいるだろう。俺が生きているのは、巨人に与えられた力のお陰だ。
思わず重い息を吐き、喉がいがらっぽいので何度か咳をして、喉に残っている血を吐き出した。血飛沫が赤い霧になり、即座に全部が細かな粒になって地面に落ちる前に消えた。
やれやれ。いよいよ人間じゃないな、俺も。
「大丈夫?」
声の方を見ると、篝火を背景に誰かがそこに立っているが、逆光で顔は見えない。しかし声はユナだ。
「まあ、気にしないでいいよ」
俺は何気なく口元をぬぐって、ユナの方へ歩き出した。
(続く)




