3-11 剣術の論理
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夕食までの間にひたすらオー老師に投げ捨てられ、剣で切りつけられた。
切っ先が危うく俺の命を奪いそうになったのは一度や二度ではなかった。てっきりオー老師の手加減のせいだと思っていたら、酔いが回りに回った老人が「たるんどりゅ! たりゅんどるお!」と喚き始めて、ちょっと考えさせられた。
この老人がいつも通りだとすると、俺がたるんでいるというだけのことなのだろうが、なんで俺がそこまで力を発揮できないのだろう。
体の調子は普段と何も変わらない。それなら、精神的なものか。
本気の殺意なんてオー老師に向けることはないけど、この時、一度だけと本気で剣を返してみた。
驚くほど俊敏にオー老師が切っ先を紙一重で回避すると、ここまでで一番の、もしかしたら死んだかもしれない刃を返してきた。首を反らさなければ、太い血管、というか危うく首そのものを輪切りにされかねなかった。
「ちょっと! 殺す気ですか!」
反射的に文句が口をついたが、老人は無言で剣を構え、即座に次の攻撃に入れそうだった。
議論はなし。そういうことだった。
そうして故意か事故かは判断が分かれるとはいえ、酔っ払いに殺される、という不名誉を刻まれそうになるのをどうにか回避して、当の酔っ払いが昏倒するまで稽古をしたのだった。
日は暮れかかり、空が少しだけ赤くなっている。
やれやれとそれぞれの剣を鞘に戻し、それと一緒に老人の体を抱え上げた。
と、離れたところに気配もなくユナが立っていたので、ぎょっとしてしまった。足が絡まりそうになり、それは堪えたけど、今度は老人を危うく放り出すところだった。
これもどうにか耐えて、俺は真っ直ぐに立った。
「いるならいるって声をかけてくれれば良かったのに」
そう声を向けると、ユナが真面目な顔でこちらを見ている。
「あなたたちって、普段からそんなことをしているの?」
「まあ、ね」
「今にも殺されそうだったけど?」
……まあ、正しい推測だ。
「死なないように努力するよ。ユナはこれから夕飯?」
俺が死ぬかもしれない稽古をしていることにまだモヤモヤしているようだったが、ユナはそれを一度、脇へ置いた様子である。
「そのつもり。運ぶの、手伝おうか?」
「いや、一人で行くよ。先に行って待っていて」
俺はオー老師を担ぎ直し、宿泊所の部屋の寝台に彼をそっと置いた。いびきをかいてフガフガ言っているが、普段通りだ。
食堂へ向かう道すがら、何度かオー老師の剣の筋を思い描いた。
もう長く稽古をしてもらっているけど、やっぱり同じところを走る筋は見出せない。それも一度もだ。
人間の技だから、完全に同じところを刃が走ることはありえない。絶対にぶれる。
ただ、イリューの技を見てしまうとそれがまやかしの真実だと思えてもくる。
イリューは完璧に、同じ筋に、同じ速さで刃を繰り出せる。圧倒的な稽古の結果の技だ。
これは型が体に染みついているのではなく、刃を思った通りの場所に、いかなる速度でもっても繰り出せることを意味する。
超人の技だが、オー老師の技もまた別種の超人の技があるように思えるのだ。
決して同じ技を繰り出さない。引き出しの多さなどという言葉では表現できないほどの、千変万化の剣。
その全てに対処することができなければ、いずれは切られる。
俺が生きているのは、ほんの少しは際どく対処しているからで、大半はオー老師の手加減だ。どこかで間違えばユナが危惧したそのままに、俺は死ぬかもしれない。
稽古で死ぬ、っていうのは、うーん、やっぱりちょっと嫌だなぁ。
オー老師の薫陶を受けて、オー老師の技を盗めれば、とも思うけど、それは実際的には無理だろう。
あの技はオー老師が編み出した、オー老師だけの技だ。
どれだけあの技を身に付けようとしても、きっとどこか俺には足りないものがあり、再現できないままになる。あるいは不完全でも相当な技なのかもしれない。それでも、不完全、欠点があるというのは、そこを突かれれば即座に負けるのではないか。
どれだけ理屈で剣術のことを考えたところで、思考で相手は切れない。
相手を切るのは実際の刃で、その刃を握るのは俺の手だ。
まったく、こういう考えすぎるところを、どうにかするべきかもな。
食堂に入って気分を切り替えよう、としたのだけど、そうはいかなかった。
いつになく静まり返り、というか、殺気が立ち込めている。
傭兵たちは椅子に座っているが一様に同じ方向を見ていて、俺もそちらに視線を送った。
「食料も自前じゃないとは、見上げたことね」
その声はユナのそれで、彼女は立ち上がっていた。
その向かいに並んで立っているのは、白い外套に精霊教会の紋章があしらわれた服装をしている男たちで、しかし揃って体格がいい。ユナは彼ら三人を睥睨したけど、背の高さのせいで彼女が男たちを見上げている様はやや分が悪そうにも見えた。
喧嘩とはまた、いただけないな。
食堂なんだから、静かに飯を食べればいいものを。
傭兵の何人かがそっと席を立って、俺の方に来て耳打ちしていく。
「精霊教会の奴ら、ここで無料で飯を食おうとしていたんだ。まぁ、神官といえども飯は食うだろうが」
「それがどうしてか、あのお嬢ちゃんに挑発するようなことを言ってな」
「で、あの空気だ。お前がなんとかしろ、リツ」
三人目がそう言って肩を叩いて食堂を出て行き、いよいよ俺へも視線が向き始めた。
ややこしいなぁ。俺もいつの間にか、目立っていたらしい。傭兵たちの都合の良さといったら。
しかし放っておくこともできず、俺は三人の神官戦士の方へ歩み寄っていった。
三人とも気付かない。ユナに集中しているのだ。
「あのぉ」
声をかけると、三人のうちの二人がこちらを見た。一人の顔はアバタでザラザラしていて、もう一つは唇の左側に深い刃傷があり、神官らしからぬ強面だった。
まぁ、傭兵としては珍しくもないが。
「とりあえず、座りませんか?」
二人はじっとこちらを見た後、ユナに向き直った。
無視、ってことか。
参ったなぁ。
ちらっと俺が背後を振り返ると、食事の手を止めている傭兵は、半分が俺の乱入に期待し、半分は食事に集中していた。乱入を期待する方のさらに半分は、明らかに乱闘を期待していた。
精霊教会の男たちに向き直り、もう一度、声をかけようとすると、さっきは振り返らなかった一人が声を張り上げた。
「神と精霊の祝福がお前を生かしているのだ!」
反射的にというわけではないだろうが、ユナがため息を吐いた。
それが最後の張り詰めた糸を切ったようだった。
例の唇に傷のある男がユナに掴みかかり、逆にユナがその腕を掴んだ次には白い外套が翻り、男の両足が床を離れる。
やっちまった。
そう思って一応、俺は目を背けておいたが、響いた音からすると男はただでは済まなかったようだ。
こいつ! とアバタ面の方が動き出す。
歓声が沸き起こる中で、ユナと男が組み合った。
どうなってるんだ、まったく。
(続く)




