3-8 亜人の稽古
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目の前で展開される亜人同士の稽古は凄まじいもので、これが人間に近い生物の動きとは思えない。
一つ一つの動きが洗練されていて、無駄がなく、緩急自在だ。
彼らだけの稽古が一区切りつくと、私は誘い出され、実際に稽古に参加していた。
亜人たちは全く容赦しなかった。さっきの稽古など遊びだったと思うほど、容赦ない。
全身に傷ができた。深手がないのは、彼らが加減しているからだろう。
稽古着を着てくればよかったと後悔したけど、もう手遅れだ。もっとも、こんなことになるとは想像していなかったのだから、自分の落ち度、受け入れるよりない。
もっとも誤算は誤算でも、嬉しい誤算だ。
これだけの使い手に指導してもらえる機会はそうそうない。
亜人たちは入れ替わり立ち替わり、私と剣を向け合い、技を繰り出し合う。
「殺す気で来い」
そんなことを亜人は繰り返し言うし、彼らの剣には本気の殺気がこもっている。
そのために最初は手加減しよう、殺さないようにしようと思っていた私の遠慮は、あっという間にどこかに消えた。
私が槍ならともかく、剣を持って彼らを倒すことなどどう転んでもできないのだ。それが事実。動かしがたい事実だ。
というわけで、亜人たちの剣は私の服をズタズタにして、白に青で不規則な模様な染め上げられていた白い着物は、端々が赤く染まり、もう別物になっている。
最後に相手をしてくれたのはイリューで、ちょっとだけ、藤の傭兵隊の屯所に初めて行ったときのことを思い出した。
でもイリューは、私を裸にするようなことはしなかった。
彼の刀の切っ先は私の右肩から左の脇腹までを撫でてから、返しで額を横一文字に切った。
「ここまでだ」
さっと刀を払い、イリューがこちらを興味なさそうに見た。
私は胸と額の実際的な痛みを顔をしかめたいのをぐっとこらえて、深く頭を下げた。
「誰か、着物を持ってきてやれ。薬もな」
どっかりと腰を下ろし、水の入った瓶を手に取ったイリューの指示に、亜人の数人が駆け去っていく。残ったものの一人が、自分のものらしい上着を私にかけてくれた。大きさに差がありすぎるので、全身がすっぽりと隠れた。
「その鍔ですが」
こちらから声を向けるけど、イリューは反応しない。
「芸術家のヨルの作品ではないですか」
視線が私の方に向いた。肯定しているようだ。
「昔、屋敷にあったカタログで見ました。亜人の芸術家の作品をスケッチして、それをまとめたものです。その鍔は、えっと……」
「「薔薇の七番」だ。確かにヨルの逸品に違いない」
淡々とした口調に、誇らしげなものがある。
「古い伝手で手に入れたのだ。芸術品だが、武具としての実用性もある。ヨルはいい作家だったな」
「ええ、美しいと思います」
「この鍔のように、私も強くありたいものだ」
……亜人のよくわからない独白には、どう答えればいいんだろう。
何も言えずにいるところへ、亜人が数人戻ってきて、手には小さな壺を持っている。
そばに来た彼らが私の体の傷に壺の中身を塗りこんでくれる。
壺には薄黄色の軟膏のようなものが入っていて、ツンとする匂いがした。
それが傷口に塗られると痺れるような感覚はあるけど、滲んでいた血が止まり、そのうちに痛みも引いていった。不思議な薬だ。亜人に伝わるものなんだろう。
額の傷にも薬が塗られてから、着物もやってきた。
どこで着替えればいいかな、などと思いながら受け取ったところで、思わず声を漏らしてしまった。
「こんな高級品はいただけません」
受け取った着物は綺麗に畳まれているけれど、びっくりするほど軽い。手触りは柔らかく、すべすべとしていて、しかし頼りなさはない。
気にするな、とイリューは水を飲んでいる。他の亜人を見るけれど、誰も何も言わない。
丁寧に返したいけれど、でも、ここで服を受け取るのが彼らの善意を受け取るということか。
幕舎の一つを借りて着替えた。
やっぱり高級品の着物で、黒地に刺繍で金と銀の鳥が描かれている。
外へ出ると、亜人たちが声をあげて笑い出した。
「申し訳ありません、イリューさん」
「気にするな、と言った。二度も言わせるな」
ありがとうございます、と深く頭を下げる私にイリューが何気なく言った。
「死なないように」
短い言葉は、少ししてから胸に響いた。
死ぬな、というのは、認めてくれていることだろう。
私はもう一度、頭を下げて、その場を離れた。
ルッツェの幕舎の間を抜けていくと、いびきが聞こえたのでそちらへ行ってみた。
空き地のようなところで寝転がっている人が二人いて、一人は老人だった。あれは、オー老人か。そばに酒瓶がいくつか転がっていた。
もう一人は、リツだった。
服が土にまみれて、草の切れ端だらけだった。
眠っているように目をつむっているけど、胸が上下しているから死んではいない。
歩み寄って行くと、リツがぱちっと目を開いてこちらを見上げた。
「いい服を着ているね」
「ここでなんで寝ているわけ?」
「投げつけられてね、オー老師に」
彼は勢いをつけて起き上がると、運ばなくちゃな、とオー老師の脇の下に頭を突っ込み、担ぎ上げた。あまりにも軽々と担ぐので、何かの冗談みたいだった。
「今、何時?」
そう確認されて、視線を周囲に向ける。ルッツェの街には見張り櫓がいくつかあり、櫓には日時計も兼ねた棒を屋根に立ててある。各櫓をそれぞれ見ていけば、おおよその時間はわかる。
「もう正午すぎみたいね」
「じゃ、飯に行こう。いや、さっきイリューさんのところで肉を食ったから、正確には飲み物でも飲みに行こう、と言うべきかな」
危なげなく歩き出したリツの横に並び、しかし、何か聞くべきことがあるという確信があるのに、何を聞くべきかわからない自分に困惑することになった。
少し歩いていくと、宿泊所が見えてきた。
その入り口のところに、立っている女性が二人いた。
それはホークと、ジュンだった。
(続く)




