3-7 承認
◆
止める間もなかった。
イリューが肉薄して、ユナが斜めに飛び出した。
それしかわからない。
その間に二人の剣が振り抜かれ、すれ違い、イリューの刀がピタリとユナの首筋に触れている。わずかに動けば刀が食い込みそう、というより、すでに皮膚に浅く食い込み、赤い雫が出来上がり、つっと流れた。
ユナの剣はまだイリューには遠いところ。
「小癪なことを」
吐き捨てるように言ったイリューが刀を引く。
その時に起こった現象をどう表現したらいいか。
あれだけ不機嫌そのもの、殺気立ってさえいた亜人たちが急に笑顔になったのだ。そしてユナに歩み寄ると、素早く首筋の傷を治療し、水や食物を与え始めた。
これにはユナも困惑しているが、話が始まるとユナも嬉しそうな表情に変化した。
話の内容は途切れ途切れにしか聞こえないけれど、亜人たちはユナの技能を認めたらしい。
イリューは何をしているかと思えば、焚き火のそばに座り込んで、自分の肉をいじっていた。
そのイリューの双眸が俺を見てくる。
「お荷物の新人には不似合いな女だな」
そっと歩み寄って、「何をしたんです?」と聞いてみると「腕試しだ」と返事があった。
返事があることがこの亜人にしては珍しいが、上機嫌そうに香辛料を肉にかけている様子は、天地がひっくり返ったというくらい非現実的だった。
「それで?」
「一流だ。今は形としては味方らしいが、できれば敵になって欲しいものだ」
亜人全部がとは言わないけど、少なくともこの亜人はなかなかおかしな価値観をしているな。
敵は少ない方が良いし、弱い方が良い、と考えるものでは?
好敵手という言葉もあるけど、あれは競う相手で、倒す相手ではないはずだ。
「ちょっと食っていけ、小僧。奴らがあの娘の技を暴き始めるぞ」
その言葉の通り、亜人たちがめいめいに剣を抜き、ユナをけしかけ始める。
なし崩しに稽古が始まり、俺はもう諦めてイリューの横に座って、ユナと亜人たちが躍動する様を見ていた。他のものの肉の世話をしろとイリューが横から口を出すので、焚き火の周りに残された肉を動かしながらだ。
亜人たちが歓声を上げ、非常に楽しそうな雰囲気だが、真剣を抜いているのでとてもじゃないが落ち着かない。
それでも三十分ほどでユナは解放され、戻ってきた亜人たちは俺が綺麗に焼き上げておいてやった肉にありついて、特に感謝の言葉もなく、それを食べ始めた。ちなみにイリューは二つ目の肉を用意し、細かく手を入れて焼いているところだ。
ユナも戻ってきて、そこへイリューが素早く水の入った瓶を投げた。礼を言って受け取ったユナがそれを飲み干し、弛緩したように笑う。
「さすがに亜人の剣術は違いますね」
「それを知る前に切られる奴が大勢いる」
「そうですか、幸運でした」
そんなやり取りの後、ユナは自分の肉を手に取った。さすがに彼女は俺に礼を言った。こうでなくては。一般人の証だ。
それからイリューとユナの間で剣術に関する意見交換があり、イリューが答える側だったけれど、その彼が一度、質問した。
「妙な姿勢の変化を見せたな。あれは解せない」
「無駄でしたか?」
「迷彩にはなった。剣術の技ではないな」
「ええ、はい、あれは槍を使うときの技です」
返事をすることなく、イリューは何度か頷いた。亜人たちはまた身内で話しながら、肉を食べ、どこからか鍋まで持ってこられて、即座に粥らしいものが作られ始めている。
太陽はだいぶ高い位置に来ていた。
「もう行け、稽古の時間だ」
イリューが言いながら立ち上がったのは、亜人の男たちがおおよそ肉も粥も食べ尽くした後だ。食休みした方がいいのではと思ったが、亜人たちは素早く立ち上がった。
「私も見学していいですか?」
ユナの提案に、勝手にしろ、とイリューは短く答えだけだった。
ただ、俺の方を睨みつけて「小僧の方こそ稽古が必要だろう」と言った。
「え? イリューさんが俺に稽古をつけてくれるんですか?」
初めてのことだ、と思ってちょっと興奮したけど、冷ややかな視線と一緒に「するものか。オー老師に稽古をつけてもらえ」と言われてしまった。
悔しいけど、イリューの剣術に俺が対抗できる要素は、今のところは少しもない。
「ユナに怪我とかさせないでくださいね」
念のために確認すると、今度は軽蔑の瞳が向けられる。
「お前は戦場で、敵に向かって怪我しないようにしてくださいと頼むのか?」
「ここは戦場じゃないですよ」
「認識が違うな」
この亜人は俺と同じ言葉を話すけれど、理解し会うのはやはり困難らしい。
もう何も言わずに、俺は亜人たちに背中を向け、宿泊施設の方へ向かった。オー老師の様子を見ないといけないと思ったのだが、いつも稽古をしている開けた場所に、オー老師が座り込んで酒を飲んでいるのを発見した。
とろんとした目がこちらに向けられる。
「なんらぁ、このぉ、馬鹿めぇ、どこへぇ、いっとっらぁ」
完全に呂律が回っていない。
「別にいいじゃないですか。稽古は今日はお休みですか」
「おらえの遅刻のれいらあ」
いよいよ酒が回っているな。
やるんですか? と言った瞬間、顔面めがけて瓶が飛んできた。
身をかがめて避けると、いつ立ち上がったのか、いつ踏み込んだのか、目の前にオー老師がいて手首を掴まれた。振りほどくどころか触れられたと思った次には投げ捨てられていた。
背中から地面に衝突し、息が詰まる。
「立てぇ、たらんかぁ」
クダを巻く老人は、それから俺を十回ほど投げ飛ばしてから、勝手に気を失った。
全身が痛むのと、土まみれ、草まみれになっている自分に忸怩たるものを感じながら、俺は横になったまま、空を見ていた。
ユナと俺の間にあるさは、どれくらい狭くなっているのだろう。
(続く)