3-5 幼馴染
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翌日はよく晴れていた。
永久戦線などと呼ばれる魔物との激戦地は、どういうわけか、常に空気が湿気っていて、空も黒い雲が重く垂れこめているので、こういう新鮮な空気と、パリッとした風は非常に心地よく感じる。
帰ってきたぞ、という高揚感だ。別の言い方をすれば、死ななかった、生き残った、ということになる。
いいことじゃないか。
宿泊施設の部屋にオー老師は置いてきた。昨日の夜、勝手に酔いつぶれて眠ってから六時間ほどが経過していた。目覚めるにはあと数時間の猶予はありそうだ。
そう、二人で使っている部屋のあの酒臭い空気も、外の空気の新鮮さを強調するのに一役買っている。
何はともあれ朝が来て、晴れていて、ルッツェは静かだった。
普段から高級な服を着るのはまだ気後れするので、稽古着で外へ出ると、俺はルッツェの周囲を囲む形だけの土塁の周りをぐるりと駆け足で一周した。魔物の支配域、異境領域とか呼ばれるあたりからはだいぶ離れているので、警備している兵士は少ない。
もし魔物がルッツェを陥落させようと考えるとなると、数としては二〇〇〇くらいあればいいかもしれないけれど、それだけの大群がひたすら行軍するのは、さすがに目立つ。まさか二〇〇〇体をいっぺんに至近に顕現させれば、なるほど、ルッツェは破滅するけど、そんな大規模な顕現は記録にもないだろう。
うっすらと汗をかいて正門に戻り、中に入る。井戸へ歩いて行く途中にも顔見知りの傭兵が多くいる。みんな表情は明るい。戦場のそれとは違う、弛緩した、暖かい気配が漂っている。
顔を洗って水を飲んで、さて、食堂へ行こう。
ユナと約束したけど、時間までは決めなかった。待っていればいいだろう。
宿泊所の部屋番号を聞いておく、という手もあったけど、どうしてもできなかった。
他意はないし、いやらしいことがしたいわけでもないのだけど、女性の部屋の番号を聞く勇気は、魔物に向かっていく勇気とは別種のようだ。
それにしても、女性とは。
幼い時、それも性別が決まる前からの付き合いなのに、ほんの二年の間、会わなかっただけでお互いが、というか俺が、親しさの質を忘れてしまったようだ。
幼馴染で、親友で、今は同業者で、それで、男と女?
ありえないな。
自分で自分に呆れながら食堂へ入ると、すでに多くの傭兵たちが朝食を食べていた。男が大半で、女性を探すのは容易い。
手を振っている女性がいて、それがユナだった。
手を振り返して、料理を受け取ってから彼女の前に座る。
ちゃんとした明かりの下で見ると、顔の左側を縦断する傷は、だいぶ深かったようだとわかる。眼球も使い物にならなかっただろうけど、今はちゃんとそこに眼球がある。新しく移植したのかもしれない。
超高位のファクトがそれを可能にするけど、一方で莫大な治療費を請求される。
さすがは八大傭兵団の一つ、神鉄騎士団、ということか。
「そんな簡単な食事でいいの?」
そう言われて、ユナの手元を見ると三人前ほどの料理がある。いつの間にか健啖家に成長したらしい。俺は慎ましやかな一人前しかお盆に乗っていなかった。
「色々あってね」
生きた岩のせいか、食欲が徐々に落ちていて、それは誰にも言っていなかった。
水はまだ欲しい時が多いけど、食事を渇望する感覚は薄れているのは間違いない。
岩が水も食事も必要とせずにそこにあり続けるように、俺もそうなるのかもしれない。
まぁ、無理して食べてもいいだろうけど。
「例のご老人はどんな様子?」
ユナが肉の塊を切れ味の悪い小さな刃物のようなもので切り分けながら言う。
「オー老師は眠っていたよ。あと二時間もすれば自然と目覚める」
「あんなに酒を飲んで平気なわけ?」
「今のところ、日常に不自由はないみたいだね。正確に言えば、睡眠時間は非常に不安定だけど。昨日みたいに、日が暮れてから起きてくることもある」
「それなのにあんな剣を使うんだから、凄い人もいるわね」
肉がやっと切れて、ユナは大口を開けてそれに噛み付いた。レオンソード騎士領のお嬢様という立場の人間の食べ方ではないけど、決して悪くはない。
こちらの食欲も刺激される食べっぷりだった。
しばらく二人で昔の話をした。笑える話。恥ずかしい話。共通の知り合いが今どうしているのか全く知らないのに、こんな風になっているんじゃないか、いや、ありえないよ、と想像を巡らせたりもした。
食事が済むと、「ちょっと歩きましょう」とユナが席を立った。
表へ出て、特に行くあてもないようにユナが歩き始める。
「あなたは例のオーさんという人に剣術を習っているのよね」
「まあ、そうだけど、さすがにファクト持ちには勝てないよ。オー老師も、ジュンさんも、イリューさんも、特別というか」
俺は特別でもなんでもなかった。
平凡程度の剣術と、それ以外にあるのは、運のようなものか。
どちらも黙ったまま、気づくと周囲にはさっきまでと違う空気が漂っていた。
周りにいるものはみな秀麗な美貌をして、耳が長い。
亜人の地区に迷い込んだようだ。
ユナを引きとめようとするけど、彼女は周囲をキョロキョロと見ていて、誰かを探している。
誰かじゃない。一人しかいない。
「ああ、どうも、おはようございます」
亜人が十人ほど、車座になって焚き火に何かの肉を当てているところへ、ユナが声をかけた。
一人を除いて剣呑な表情をしているが、例外の一人が「私の知り合いだ」と言った。
イリューだった。
亜人たちが強すぎるほど強く睨んでから、焚き火に向き直る。
「立っていられるのも目障りだ、座れ」
珍しくイリューがそう言って、亜人に場所を作らせた。
「そこの間抜けの顔をした小僧は立っていろ」
俺は足を止め、亜人どもは場所を一人分しか空けないし、本当に立っているしかないらしい。
俺が見ている前で、イリューがちょっと目を細めて、ユナを見た。
(続く)




