3-2 刃の交換
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異常な間合いの消し方だった。
私の剣がかろうじて老人の一撃を受け流す。
距離を取ろうとすると、私の左側へ左側へと老人が滑るように移動してくる。こちらが右利きと見ているのか。
私も老人の左手側へ回り込むが、すぐに追いつけなくなると予想できた。
足の運びが独特な上に、上体の動きが足の送りとちぐはぐで、読みづらい。
人間は向かってくる相手の動きを見るとき、体の上下の動作を無意識に把握しようとしてしまう。つまり足の動きだけではなく、体全体の動きで足の送りを読もうとする。
今、名も知らない老人の移動のやり方は、私には見たことも聞いたこともない、迷彩が施された動きだった。
切っ先を避けたとき、ついに老人が私の左手側を占める。
仕留めに来る。
刹那、火花が散り、老人がちょっと目を細め、距離を取り直した。
「最低限の訓練はできているな」
唸るようにそういう老人の前で、私は左手で剣を構えた。
カンに剣術を習い始めたときから、利き手ではない手でも剣を同じ水準で扱えるように訓練は重ねている。それが一流の技なのだと教えられた。
今は不意打ちで仕切り直しに持って行けたけれど、次はどうか。
あの足運び、間合いを消す術を攻略しないと老人を切るのは難しい。
いや、そもそも、これは殺し合いではないのでは?
やっとのそのことに私が気づいた時、慌てた様子でリツが私と老人の間に飛び込んできた。
「やめやめ、ちょっとやめて、二人とも!」
老人が不服そうな顔で、切っ先をリツに向けている。
「この間抜けめ、身の程を知れ。お前如きがその娘に対抗できるわけがあるまい」
こちらに背中を向けているけれど、リツはちょっとムッとしたようだった。
「そんなことよりも初めて会う人に剣を抜いたりしないでくださいよ、オー老師」
老師、と呼んでいることは、リツの知り合いらしい。
「心配するな。わしが切られることなど、あるものか」
「彼女を切ってはいけません!」
「お前の女だからか?」
「常識的に、ですよ!」
結局、老人は剣を鞘に戻し、酒瓶の方へ歩いて行った。それに視線を向け続け、老人が瓶の栓を音高く抜いたところで、やっとリツがこちらを振り返った。
ちょっとだけ青い顔をしているのがわかる。
「無事だよね、ユナ。大丈夫?」
「もちろん」
そう答えて私も抜き身のまま下げていた剣を鞘に戻し、服の袖で額を拭った。汗が噴き出し、雫になっていた。拭いきれなかった汗がこめかみから顎へ伝っていく。
心底から安心したようにリツが息を吐く。
周囲に人気がないのは夜だからで、もし見物しているものがいれば興味を抱かずにはいられなかったはずだ。老人と小娘が決闘とは、それだけでも面白い。
戦場にいると、そういう血なまぐさい娯楽でも欲するものだし。
「あの老人があなたの今の師匠?」
こちらから確認すると、「まあね」とバツが悪そうにリツが答える。老人はといえば、少し離れたところに座り込み、瓶の中身をラッパ飲みしている。酒のはずだがあまりにも豪快な飲み方なので、水でも飲んでいるのでは、と現実を否定したくなる。
「あれでも、うちの顧問で。オー・フォンという人で、剣術は、まあ、あの通りに冴えているんだけど、酒ばかり飲んでて」
「困ってる?」
「いや、困ってはいない。飲めば飲むほど、剣が冴えるんだよ。俺なんてもう数え切れないほど死ぬ寸前で手加減されている。唯一、困るとすれば、酔いつぶれた時だね。宿泊施設まで俺が運ぶしかないし」
妙な苦労もあったものだが、同情はできる。
稽古せんのか、とオー老人が声を発するのに、「ちょっと待ってください」とリツが答える。
「ユナ、僕はこれから毎日の稽古がある。今、どこの傭兵隊にいる?」
ああ、と答えて、ちょっと迷ったけど、正直に話すことにした。
でも声を出すより早く、視界の隅で白いものが動き、その時には足音もなくすぐそばに女性が立っていた。
すらりと背が高く、長い髪の毛をひとつに結んでいる。着ている服は白地のもので、眩しいほど艶がある超高級品。腰には刀があったが、意匠を凝らした鍔だけでも一級品だ。
つまり、超一流の傭兵のいでたち。
その女性が首を傾げて私を見て、次にリツの方を見た。そのリツはパクパクと口を開閉しても、何も言えないようだった。
「この女の子、リツの恋人?」
「「違います」」
思わず私も声を発していて、リツの声と重なった。
視線を交わして、ちょっと、いや、だいぶ気まずいという状況を共有することになった。
女性が「ふぅん」と嬉しそうに言いながら私の様子を見て、視線が腰の剣の柄で止まった。
「その紋章、神鉄騎士団だよね。懐かしいな」
いきなりの言葉に、もう一回、私はリツと視線を交わすことになった。
リツは最大限の驚きの表情で目を見開いている。私としてはちょっと顔をしかめる程度だ。
「お嬢さん、名前は?」
女性の質問に答える前に、リツが割って入った。
「ユナ、この人は俺の、その、先輩で、ジュン・ラップビートさん。ジュンさん、この子は俺の幼馴染で、ユナ」
「よろしく」
ジュンという女性の方から手を差し出してくるので、私はその手を握った。
「何をよろしくやっているわけ」
今度の声はリツの背後からで、私には誰の声か、すぐにわかった。
リツが振り返った先で、ホークがいつもの笑顔ではなく、渋面そのもので立っていた。
(続く)




