4-43 死の気配を振り払うように
◆
コルト隊は戦場を離脱して、魔獣の群れを追撃したけれど、いかんせん、走り続ける巨体に人間の足で追いつくのは不可能だった。
それでも土塁を超えるところで手間取った魔獣の四体が仕留められ、土塁を突破したの一体きりだった。幸運なことに進路はやや南東方面になり、仮にどこまでも続く永久戦線に再衝突しても、そこはルスター王国領内ではないはずだ。
そのまま南に帰ってくれればいいが、魔物や魔獣はどういうわけか、北が好きらしかった。本能のように北へ向かう。
ともかく、人間の兵士や傭兵が大人数で守護していた土塁は、魔獣二体分ほどが崩壊し、ついでに魔獣四体の巨大な死骸が残されたことになる。
土塁を作り直すことと、巨大な腐敗物を焼き捨てること、どちらが楽かはわからない。
戦場全体では、ひたすら魔物を討伐し続けている。魔獣がいないからといって魔物たちは手を抜かないのだから、見上げたものだ。
魔獣の突入で最前衛はわずかに算を乱したけれど、既に立ち直っている。あっという間に負傷兵を後方へ送る経路が作られ、それを守備する部隊も整った。
そんな中で、コルト隊は大規模な土塁の背後に集結し、一度、後方へ下がると決まった。
馬はどうしたかと思うと、例の小さな土塁に拠っていた二十人の中の生き残りが、無事に生還させた十二頭だけが残っていた。八頭がどうなったかは、考えると気が重くなる。
こうなっては馬で後方へ下がる余地はなく、負傷兵の次に荷馬車に相乗りするしかない。
待っている間にも負傷者が途切れることがない。
どこからどういう指示があったのか、コルトは一日の待機のあと、私たちに守備部隊に加勢するように指示を出した。
隊の全員の前で、コルトは他には聞こえない絶妙な大きさの声で言った。
「どうもここは一度、仕切り直しだ。全体を一つ、下げるとのことだ」
前衛を一度、後退させるということだ。
魔物との戦闘でも、殿が一番の打撃を受けるのは変わらない。どこがそれを受け持つかは知らないけれど、私たちはそれを援護するような役目らしい。
他の見知らぬ傭兵らしい男たちも集まってきて、土塁の補修中の崩壊部分から、南側へ展開した。
いったい、こんな数がどこにいたのかというほど、魔物はウヨウヨいる。
その中を人間の兵士がいくつかの隊を作って後退してくる。
脳裏にあの青年、リツの顔が浮かんだ。
あの魔獣から救った場面の後、もう顔は見ていない。
まだ生きているのか。今、逃げてくる部隊のどこかにいるのか。
考えても仕方がない。
生きるも死ぬも、この戦場では簡単にどちらにも転がってしまうのだ。
最初の隊が土塁に到達し、その生き残りたちを取り囲むように、私たちが陣形を作り、魔物を跳ね返した。そこはさすがに新鮮な休息十分な傭兵たちだったので、圧倒したと言ってもいい。
ただ、魔物に標的にされ始めた。連中がこちらへ進路を変えて、次から次へとやってくる。
後退する最初の隊を土塁の北へ収容し、そこへ次の隊が来て、また陣形を作り直す。
私たちが魔物を歓迎しているのか、魔物たちが逃げる隊にすがりついているのかは、全くわからない。
傭兵隊を全部で五つ、収容し、その時には私たちも相応に疲弊していた。
自然と土塁側へ後退しているため、弓隊の射程範囲に入ることで援護があるのはありがたかった。
剣、槍、斧、槌、様々な武器が死を量産し、その死は敵の死だけではなく、味方の死でもあった。
人間も魔物も区別なく、死はやってくる。
いくつ目かの傭兵隊を収容し終わり、次を出迎える時、それが見えた。
こちらへ向かってくる隊の最後尾をにいるのは、二人の剣士だった。
一人は長身で、髪の毛の色からして亜人だろう。亜人はファクトを持たないというけれど、まるで超常的な印象さえ受ける、鮮やか剣術で魔物を切り捨てて行く。長く戦っているはずだが、動きのキレは抜群で、何の遅滞もなく躊躇いもなく、芸術的な技が繰り広げられた。
もう一人はあまりに動きが早く、視認しづらいけれど女性らしい。こちらは人間で、動きは残像を刹那だけ置き去りにするほど機敏だ。これはファクトだろう。ただ、ファクトに頼りきった技ではない。
この二人は連携して、一つの隊の後退をほとんど二人だけで支えていた。
どちらも汚れきっているが、立派な服を着て、具足にもこだわりが見える。
一流の傭兵らしい。
隊が近づいてくる。私たちも前進し、取り囲み、防御陣形を組む。
亜人と女傭兵の組み合わせは即座に防御陣形に連携し、すぐに後方へ下がった。負傷兵が土塁の方へ運ばれるのを守るつもりだろう。
疲弊しきっている傭兵たちは、それでも腰を下ろしたり、足を止めたりしない。ここは戦場で、休む場所などないに等しいし、戦場で動けなくなるというのは死を受け入れているということだ。
統制をかろうじて維持したまま、後方へ駆ける傭兵の群れの中にリツの姿が見えた気がするけど、確認する余裕はなかった。
最前衛の撤収は、日が暮れる寸前に完了した。
そこからは土塁の防衛が主眼になるだけで、戦闘自体は続行、夜になっても魔物の襲撃は途切れない。
私がコルト隊の傭兵たちと土塁の後方へ下がると、今度こそ、迎えの荷馬車が待っていた。
防衛部隊の指揮官らしい男がコルトと何か話をして、最後には二人はぐっと手を握り合った。
「早く乗れ、地獄から少しでも遠ざかるぞ」
コルトの言葉に、傭兵たちが荷馬車に駆け込み、荷馬車はすぐに走り出した。
ひどい揺れの中で、じわじわと疲労が意識された。全身が重くなり、感覚があやふやになり、意識も曖昧になる。そうして気づくとうとうとしていて、ただ激しく荷馬車が跳ねると、衝撃で驚いて目が覚める。
どれくらいが過ぎたか、気づくと外から光が差し込み、朝が来たようだ。けれど、もしかしたら私が意識を失っている間にとっくに朝は過ぎて、昼間なのかもしれない。荷馬車の荷台には明かりとりの小さな窓はあるが、高い位置で、外は覗けない。
ただ、青空はわずかに見えた。
どうしてか、永久戦線、どこまでも続く人間と魔物の戦場では、空は雲に覆われて頻繁に雨が降る。
こうして青空を見てしまうと、どこか、心が緩んでくるのが自分でも理解出来る。
帰ってきた、と思うのかもしれない。
気づくと荷馬車の揺れは小さくなり、整備された街道に出たのかもしれない。
窓の外も荷馬車の中も、等しく時間は過ぎ、やがて明かりは乏しくなり、赤い光の後、闇が来た。
荷馬車は走り続ける。
地獄から一秒でも早く遠ざかるように。
死の気配を振り払うように。
(続く)




