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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
82/213

2-40 救いなんてどこにもない

      ◆



 一時的に世話になった拠点はオラクという名前で、バットンと似たようなものだ。

 形だけの大規模な宿泊施設と、大きな食堂、武器の配給所、という具合である。

 私はそこへ着いてすぐに仲間たちにウーラのことを確認した。

 一人が教えてくれた。

「あいつは魔獣に踏み潰されたよ。どうしようもなかった。一発さ」

 私はどう答えたか、覚えていない。ただその傭兵が、歴戦の傭兵が怯えている瞳で私を見ているのに、やっと意思を取り戻した。

 礼を言ってから、まだ宿泊施設の部屋を取っていない、と思ったら、いつの間にかホークがそばにいて、部屋はすでに取ったし、明日にはバットンへ戻る手はずだと淡々と説明した。

「何か言いたげね」

 私がじっと黙っているからだろう、珍しく笑顔ではなく、どこか無感情な顔でホークが言った。

 言いたいことは、色々あっただろう。

 誰もウーラを守れなかったのか。彼はどうして死ぬようなことをしたのか。その理由は何で、どういう決断があったのか。

 最期の瞬間、苦しくはなかっただろうか。

 私は声をあげたかった。泣きたかった。もしかしたら、暴れたかったかもしれない。

 でもそういう全てが、どうしても手から水がすり抜けるように、心に引っかからなかった。

 休みなさい、と言ってホークは私に宿の部屋番号が書かれた木の札を押し付け、どこかへ行った。

 しばらく私は立ち尽くして、ウーラがもういないことを、何度か思い描いて、それからやっと、歩き出した。

 歩きながら、ふと目に止まった屋台で酒を買った。

 歩きながら栓を抜いて、一口飲んで、思わず吐き出してしまった。

 どうやら私は動揺している。そして、何か、おかしなことになっている。

 井戸を見つけ、今度は水を飲み干した。水は飲める。吐き出すことはない。そして思考を少しだけ、クリアにしてくれた。

 井戸のそばで長柄の槌を洗っている傭兵がいたので、「あげる」と酒瓶を投げておいた。見知らぬ相手だったけど、その若い男は瓶を受け取るとラベルを見て、にっこり笑ってそれをちょっと持ち上げた。

 食堂へ行く気にもなれず、まだ手元にある木の札で宿の部屋を探し、形だけの寝台に寝転がった。硬いなんてものじゃない、まるで板に直接、寝ているようだ。

 目を閉じると、魔物の鳴き声が耳の奥にこびりついているようで、無音がなかなかやってこない。

 まぶたの裏では、傭兵が肩を噛み砕かれる場面が何度も繰り返された。

 悲鳴、人間の赤い血、転がる腕、魔物の首が飛ぶ。

 地獄。まさしく地獄。

 救いなんてどこにもない。

 汚れきって、理想も、高潔も、何もないじゃないか。泥臭くて、血まみれで、悪意が複雑に織り込まれた、ドブのような色の織物。

 それでも私がそこに絶望以外の何かを見出すのは、傭兵たちが、その武器が、背中が、どうしようもないほどに眩しい、矜持のようなものを見せるからだろう。

 人類全体の盾であるという自負、いずれ勝利するための礎石になるという決意。

 仲間を見捨てず、生き残るという強い意志。

 それは決して、この戦場の汚濁に塗れることはないようだ。

 どれくらいをジッとしていたのか、気づくと眠っていて、目が覚めたことで眠っていた自分に気づいた。喉の奥が焼けるように痛い。酒なんて飲むからだ。あんなに強いとは知らなかった。

 起き上がって、装備を点検する。具足は少し傷んでいる。剣も刃が欠けているようだ。槍だけが前のまま、美しい波紋を浮かび上がらせていた。

 外へ出ると早朝らしく、周囲はまだ薄暗く、シンとしていた。動いている者もいるが、少数だ。寝静まっている、という表現がしっくりくる。

 私の足は自然と拠点の一角にある、巨大な石の前に向かっていた。

 どこの拠点にもこういう石があり、そこには精霊教会の紋章と、簡単な言葉が彫られている。

 ここに精霊の使命を全うしたものは眠る。

 そんな言葉だ。つまり、傭兵たちへの鎮魂の碑である。

 私はその前で、どういう作法がいいのか、と考えた。東方では両の手のひらを合わせるような作法だったはず、と思い出し、半ば投げやりに私は両手を合わせた。

 ウーラ、不服かもしれないけど、あなたはここまでで、私はまだここでは終わっていない。

 寂しいかもしれないけど、しばらくは一人でゆっくり過ごして。

 閉じていた目を開けて、少しだけ涙が出たので目元を具足で覆われていない部分の袖で拭った。

 振り返って、思わず短く悲鳴をあげてしまった。

 そこにはコルトの巨体があり、見上げるといかつい顔に笑みが浮かんでいる。

「意外に信心深いな、ユナ。うちの連中はこういうことは好まんのだよ」

 言いながらコルトが石碑の前に進み出て片膝をつくと、慣れた様子で十字を切る精霊教会の祈りの動作をした。

 そっと石に触れ、彼はゆっくりと立ち上がった。

「この前の戦闘で、五人ほどが戦死しているが、戦場は俺たちを解放することはない」

 言いながらこちらに向き直り、その時、ちょっとだけコルトは怖い顔をした。

 いつも通りの明るさ、快活さの向こうに見えたのは執着だろうか。

 魔物を決して許さない、というような。

 仲間を殺した報いを与えてやる、とでもいうような。

「もっとも」

 その暗く見える色はすぐに消えた。

「俺たちの方が戦場を求めて、なかなか解放しないような気もするがな」

 いくぞ、と促されて彼についていくと、向かった先は食堂だった。まだほとんどが空席だ。コルトは特に気にした様子もなく、料理場に声をかけ、すでにできている料理を受け取ってきた。私の分もある。

 前日に焼いた硬くなったパンと、茹でた卵、生で食べられる葉物の野菜に何かのタレがかかっている。

「戦場には慣れたか? 永久戦線に、ということだが」

 パンをむしるというか、引きちぎるようにして小さくして口に運びながら、コルトが確認してくる。私は黙って頷き、茹で卵の殻を丁寧に剥がしていった。こうしていれば、視線を上げずに済む。

「俺を恨んでいるか?」

 顔を上げたのは、彼の言っていることが誤解だからだけど、コルトは特に変わりなく普段通りだった。

「別に恨んでくれて構わんよ。俺が指揮官で、俺が他の奴らと話をして、それで任務を決めている。傭兵を殺すのは魔物でも、傭兵が死ぬ場所を選んだのは俺だし、つまりは俺のせいで傭兵は死ぬことになっている」

「誰も」

 声は意外にはっきりしていた。

「誰も、コルト隊長を恨んだりはしません」

 パチパチと瞬きをして、そうか、とだけ彼は答えた。

 食事が終わると、コルトはあくびをしてから「もう寝る暇もないな」と呟いた。

 もしかして昨夜、眠らなかったのだろうか。何かしらの他との今後の作戦に関する協議でもあったのか、それとも、ただ眠れなかったのだろうか。

 椅子を軋ませてコルトが立ち上がり、「集合時間に遅れるなよ」と笑って離れていった。

 食堂は少しずつ人が増え、コルトが去る時には大勢が食事をしている。コルトが目立つからだろう、彼に声をかけたり、挨拶する者が大勢いる。

「ねえねえ」

 いきなり甲高い声がして、びっくりしてそちらを見ると、まだ十代だろう少女がいた。

 だけど、真っ青な具足をつけていて、着物は真っ白だ。裾に花の刺繍がある。腰には二本の短剣があった。

 もちろん、知らない顔だ。

「なんでしょうか」

「あなた、魔獣を何体も倒したって本当?」

 どうとも答えずにいると、隠さなくてもいいじゃん、と少女は笑っている。

「さっきの大きな人が小さな巨人って呼ばれる、コルトさんでしょ? コルト隊の新人で、槍使いで、顔に刃傷がある女傭兵が、魔獣の群れを半分に減らしたって、もっぱらの噂よ」

 ……どこでそんな噂が出るのやら。

「人違いだと思うけど」

 そう言って立ち上がろうとすると、「えー、うそ〜」と声がしたけど、私は黙って食器を返して食堂を出た。

 死んで英雄になるのも辛いだろうけど、生きているまま英雄扱いされるのも、あまりいい気分ではなさそうだ。

 私が思い描いた世界は結局、願望の中にしかなかった、ということか。

 でも戦場は、やっぱり嫌いではないかもしれない。

 悲しい別れ、寂しい別れもあるだろうけど、私はここにいたいと思っている。

 空を見上げると、今日も晴れ渡り、日差しはすでに夏の気配を帯び始めている。

 すぐにバットンへ戻り、装備を整えて、また戦場だ。

 この戦いに、終わりはないかもしれないけど、知ったことか。

 どういう形にせよ、終わるまで戦うしか、ないんだから。



(続く)

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