2-38 作戦
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どこへ連れて行かれていくかと思うと、幕舎がいくつも張られている仮の拠点だったけど、他とは違うところがある。
それは、精霊教会の旗が立っているからだ。
小さな旗は隊を意味しているようで、精霊教会の紋章に合わせて染め抜かれ、そこにさらに刺繍されているのがいかにも金持ちという感じだ。
一つの幕舎にホークが入ったので、私も中に入った。
コルトの巨体があり、見知らぬ男があと四人。そのうちの一人は立派な鎧を着ていて、すぐそばに控えているのは従者だろう。この二人は鎧の胸に紫紺騎士団の紋章がある。
他の二人はやや汚れている白い長衣を鎧の上に着込んでいて、その長衣には精霊教会の紋章があった。ただ、その汚れ方は前線に出て戦ったというわけではなく、後方で泥をちょっと跳ねた、という感じだった。
この戦場に不似合いな、異質な二人がここの主人だと思うとやや不愉快だけれど、ホークも、コルトだって、平然としている。
私は一礼して進み出た。
幕舎の真ん中に卓があり、その上に地図が広げられ、さらに色とりどりの駒も置かれていた。
「そちらのお嬢さんが例の?」
長衣の一人が言う。髭は綺麗に剃られている。髪の毛は短く、腰には長い剣がある。しかしその柄はまるで使い込まれていなかった。新品で戦場へ持ってきて、汚れないように気を使っているのかもしれない。
「そう、イレイズのファクトを使える」
コルトがそう言って、卓の上の駒の一つを太すぎる指で押さえる。私は距離があって、地図は覗き込めなかった。進み出るのは、分を弁えてやめておいた。
長衣の男が地図の一角を指で示す。
「ここまで魔獣の群れを誘導するのに、ぜひ力を貸して欲しい」
「殲滅はやはり無理なのか?」
確認したのは紫紺騎士団の男で、こちらははっきり言って汚れきっている。長衣の二人とは逆に戦場からたった今、帰ってきたという感じだ。
そんな観察をする私に、その男が視線を向ける。
真剣な問いかけの眼差し。
答えたかったけど、私には何の情報もないので、黙っていた。
コルトが答える。
「俺が見たところでは、魔獣にも対処できるだろう。ただ、ユナ、この娘のファクトは射程が短い。接近しないと撃破は不可能だ」
「魔獣に近づくには、魔物の群れを突破しなくてはならん、か」
紫紺騎士団の男が精霊教会の二人を見る。
「神官戦士団の戦力から、使えるものを呼び寄せてはいる。「アーバレスト」のファクトの持ち主だ」
へぇ、とコルトが長衣の男の発言に声を漏らす。
アーバレストのファクトは、私の知識にはない。弩弓というくらいだから、遠距離攻撃なのだろう。
コルト、紫紺騎士団、精霊騎士団で話は続き、私は参加することはなく、最後までほとんど黙っていた。
会議が終わると、酒が運ばれてきたが、紫紺騎士団の二人も、コルト、ホーク、私もそれを断って幕舎を出た。
コルトと紫紺騎士団の指揮官らしい男が、楽しげに話しながら歩く後ろをホーク、紫紺騎士団の指揮官の従者、そして私で並んで歩いた。
「お嬢さんは、その、何歳?」
じっと先を行く二人を見ていたので、名前も知らない従者の言葉の不意打ちに、私は驚いてそちらを見た。
どこか頬を赤らめている彼は、なるほど、まだ二十かそこらだろう。
「十七です」
私が答えると彼が満面の笑みになり、しかしその肩をいきなり、ぐっとホークが抱えるように抱いた。
「こういうところでナンパもいいけど、この子、本気になったら、あなたなんて消滅させちゃうわよ」
従者が完全に困惑しているところに、ホークは構わずに続ける。
「これでもうちのエースの一人よ。ここ五日で、魔物を三〇〇は倒している」
その言葉で彼は完全に心変わりして、黙り込んだ。そのままコルトと紫紺騎士団の二人が手を打ち合わせるようにして別れると、従者も自分の上官について去っていった。
「戦場で色恋とは、生ぬるい事」
見送りながら、ホークがニコニコと笑いながら言う。
何か男に嫌な思い出でもあるのかもな、というくらいで、あまり気にしない事にした。
神鉄騎士団コルト隊の幕舎に戻り、さっきの会議で決まった事が、とりあえずはいつでも動ける顔ぶれを集めて、通達された。
イレイズの射程まで、私を護衛するように前進する。
魔獣の群れはその場で出来うる限り倒し、残りは東部方面へ受け流す。そちらでは確実に魔獣を止めるべく、紫紺騎士団の戦力が集中しているようだ。
さすがに魔獣をここで倒しきれないし、誘導こそが主目的だとコルトははっきりさせた。
現時点での戦闘地帯は、紫紺騎士団の一部に譲り、コルト隊は指示があり次第、進撃を開始する。魔物の群れを突っ切るにあたって、神鉄騎士団の他の隊がフォローすることも通達があったようだ。
「新入り一人に全てを任せるのも癪だが、もちろん、お前たちが退屈を持て余すことはない。魔物どもを倒せるだけ倒せ。というより、ここで魔物を倒さない奴は俺の隊にはいらん。屍になるか、魔物の餌にでもなれ」
傭兵たちが声をあげ、活気を爆発させる。
戦場における配置の整理が進み、コルト隊に進撃の指示が来たのは例の会議の二日後だった。
魔獣の群れはまだ見えないが、一頭だけ先行していた魔獣は見た。
巨大だ。象という生物がいて、人の四、五人は乗せられるというが、魔獣はそんな大きさではない。
圧倒されるような、これが生物かという巨体をしている。
足音が地面を揺るがし、その咆哮は体を震動させる。
その一頭だけの魔獣は兵士たちに取り囲まれ、最終的には誰かのファクトが発動し、雷撃が直撃して倒れこんだ。あとは徹底的な集中攻撃の結果、巨大な死骸に変わった。
「これくらいは当たり前さ」
傭兵の一人が平然と言っていたので、私は何も言えず、見ているしかなかった。
拠点を撤収し、コルト隊は前進。左右から別の隊が進み出て、側面を援護する。
交代で休息を取りながら丸一日の移動で、土塁の一つに辿り着いたけれど、何によってか、ところどころが崩れている。それでも防衛拠点にはなった。
斥候を出すのは人間同士の場合の常道だが、魔物が相手となるとそれは必要はない。
何せ昼夜問わず襲ってくるし、斥候を出したら敵中に孤立するのは間違いない。
そんな具合で、コルト隊は土塁の一つで防衛戦を展開し、数時間の後、ついに魔獣の群れが来るのを視認した。
「これはすごいぞ、おい」
傭兵の誰かがそう言った。私が実際にどう凄いかを目視したのは、魔物を切り捨て続けて、どうにか後ろに下がった後だった。
地平線に見える丘の上に、巨体が見える。
二体や三体ではない、五体、十体……、もっといるだろうか。
それが土煙を上げながら迫ってくる。
「あれがどこかの部隊に直撃したらどうするんです?」
そばにいる傭兵に確認すると、その男はちょっと笑みを見せ、肩をすくめた。
「直撃しないことを祈るしかない」
そういう発想もあるか。
笛が鋭く空気を震わせる。
当初の作戦の実行を伝える笛だ。
これから魔獣の群れに突っ込むようにして、駆け抜けなくてはいけない。
人間なんて、あの巨体に踏み潰されたら、ひとたまりもない。
恐怖、という奴でちょっとだけ背筋が冷えたのは、誰にも言えない。
(続く)




