2-37 激戦
◆
戦場というのが酷いところだと、一晩でよくわかった。
まず、臭いが酷い。魔物の死骸はどういうわけか、あっという間に腐敗する。肥溜めに落ちるよりも酷いかもしれない。肥溜めに落ちたことはないけれど。
次に酷いのが、魔物の襲撃で、彼らには昼夜の区別はないらしい。
なので満足に休むこともできず、この時は土塁を越えてくる魔物に対処しないといけなかった。月明かりなどという頼りない光源しかなかったら、悲惨な展開になっただろう。
実際には篝火が周囲を昼間と同じ程度に照らしているので、同士討ちはありえないし、土塁の上を見ていれば魔物が姿を見せるのがはっきりと視認できた。
弓隊も夜だけは剣を手にとって、見張りをする。
見張りを交代制にしているので休めるはずが、魔物たちは乱痴気騒ぎもかくやのわめき声を発しているので、この点でも休むのはほとんど無理だった。しかし私の周囲では傭兵たちが丸くなり、眠っていた。
さすがに歴戦の、大手の傭兵団の傭兵なだけはある。私はやっぱり新入りだった。
「あの土塁の向こうに何があるか、わかるか?」
私がうずくまって、しかし目を見開いているところに、三十代の男の傭兵がやってきて、傍に腰を下ろした。コルトの直下の遊撃隊の一人だ。見張りが終わったのだろう。
「いえ、あの土塁の向こうには何があるんですか?」
「魔物が足場にしている、魔物の死体。それと、人間の死体だ」
「ゾッとしませんね」
「明日になれば、それをまとめて焼かなきゃならん。ある種の清掃作業、後続の部隊のためのな」
私が答えあぐねていると、その傭兵は寝息を立て始めた。
私がついている小隊長が通りかかり、身振りだけで見張りの当番だと教えてくれた。そっと横にいる傭兵を起こさないように立ち上がり、槍を持ち直した。
「眠れない時でも目を閉じておけよ」
小隊長の言葉に、私は無言で頷いた。
昼間から戦い続け、休むこともままならず、戦場に立って一日も経たずに、私ははっきり言って参っていた。
それでも敵は待ってくれない。
汚い言葉を使えば、くそったれの魔物どもは、休むということさえ知らないのだ。
結局、夜明けまでに土塁を越えようとした魔物を私一人だけで三十体は突き落とした。土塁のこちら側に死体を落とすなと小隊長に言われたので、その言葉に従って魔物は死体に変えて土塁の向こうに帰ってもらった。
しかし結局、焼かなくちゃいけない。
そこが顕現した魔物と、出現した魔物の違いで、出現はどこまでも言っても現実で、私の全身が悪臭を発していることがやはり、これはまぎれもない現実だと主張しているのだった。
そうして日が昇り、傭兵と兵士たちは前進を試み、魔物はそれにがむしゃらにぶつかってきて、死と破壊が量産された。
日が暮れる時には塹壕を一つ、部分的に回復した。しかし夜の間に防衛線の一部が破られて、夜明け前に全員で尻尾を巻いて逃げた。
翌朝、行方不明者が確認され、しかし作戦は続行、再び陽の光の中での攻防があり、今度こそ厳密な防衛線が構築され、塹壕の一部を奪い返した。
ホークが弓隊を率いてそこに入り、神鉄騎士団の他の隊の弓隊がそれに合流した。
「塹壕っていうのは大事なものよ」
たまたま顔を合わせたホークが普段通りの笑顔で言う。彼女は私よりは汚れていないけど、それもわずかな差だ。
「くそったれどもは、地獄にぶち込んであげるからね」
さすがにホークも言葉遣いや言葉選びに無頓着になったらしい。笑顔と言葉のギャップはやや看過しがたい気もしたけど、戦場でそんなことを気にしたりはしないんだろう。
塹壕の一部を守り抜いて、さらに前進。塹壕で制圧した部分が東へ伸びていく。もう一本、南寄りの塹壕に紫紺騎士団の一部が突入し、凄惨な殲滅戦の後、後詰のように神鉄騎士団の遊撃隊が飛び込んだ。
ホークは斧を背負って、剣で戦い、私もさすがに剣に持ち替えた。長物は塹壕では不利だ。
私のイレイズが塹壕制圧では有効に働き、だいぶ味方に感謝されたけど、私は体力の限界だった。
気づくと昏倒していて、意識が戻ると寝かされていたが、あまりの汚臭に堪えきれず嘔吐していた。
見知らぬ傭兵が私に水筒を投げてきた。
「吐瀉物に土でもかけておけよ」
ありがたい助言だった。水を飲んで、もう一度、嘔吐してから今度こそ水を飲み、言われた通りに足元を土でかき混ぜておいた。土というか、言葉にできない物体がそこにはあったのだけど。
また嘔吐しそうになるのをこらえて、やっと塹壕に日の光が差しているのに意識が向いた。
どうやら一晩、眠っていたらしい。
状況説明を聞くと、この塹壕はすでにおおよそが掌握され、本隊は一つ南の低い土塁を奪還するために動いているが、うまくいかないようだ。
「さすがに魔物どもが多い。そろそろ紫紺騎士団の本隊が来る予定だがね」
「そんなに進出してきているんですか?」
私の相手をしている傭兵は、どうやら足を負傷しているらしい。腰に短剣があり、その柄にある紋章は、藤の傭兵隊にいる時に見たことがある。雫の傭兵隊だったか、と曖昧な記憶を辿ったが答えは出ない。
「ここは傭兵団は撤収して、紫紺騎士団が確保する。そういう契約さ」
「でも、だいぶ突出していませんか?」
「紫紺騎士団はあれで根性がある。根性で勝てれば苦労はしないが、根性があればなんとかなる、かもしれない」
意外に辛辣な傭兵の言葉に、私はなんとなく頷き返し、塹壕を出た。
周囲には兵士の姿がある。魔物の死体を一か所に集めながら、生存者を探しているようだ。ただどの兵士も明らかに疲れ切っていて、動きはどこか動く死体を連想させる。
死体が死体を漁るとは、終末世界としか思えない。
私は槍を握り直し、戦場へ向かって歩いて行った。
起伏がなだらかで、土塁も見える。例によって、魔物を土塁に押しやり、殲滅戦だ。
私は歩調を早め、駆け出し、視線は自然と仲間を探した。
いた。刀を使う傭兵。名前は、ウーラだった。不意に思い出した。
彼の刀が魔物を両断し、次に向かう。
次を切ったところで、刀が折れたのがはっきり見えた。
刃を半ばで失った刀を捨て、短剣へ彼が手を伸ばすが、間に合わないだろう。
私は反射的に槍を握り直し、振りかぶって、全力で投げていた。
一直線に槍が宙を走り、ウーラに噛み付く寸前の猪頭の魔物を貫通し、地面に斜めに突き立った。
ウーラが振り返る。
私はそこへ突っ込み、剣を抜きざまに魔物一体、切り捨て、次にイレイズで三体をまとめて消滅させる。
剣をウーラに投げ渡す。短剣よりはマシなはずだ。
すまん、という視線。
私は自分の槍を掴み、今も縫いとめられて暴れている魔物を一瞬で、ファクトの力で分解させた。
槍を構え直し、ウーラと共に魔物に向かった。
こうして終わることのない戦場でさらに二日の激戦ののち、コルト隊は後続と交代した。
予定よりも長期で、さらに言えば、想定以上の連戦だったが、傭兵たちは平然と戦場を譲った。
荷馬車で後方の拠点へ戻るはずが、しかし、計画と違い、紫紺騎士団の即席の基地に留め置かれた。これにはさすがに傭兵たちも情報交換し始め、私にも自然と状況が耳に入った。
西方から巨体の魔物、魔獣の群れが東へ向かっているというのだ。
紫紺騎士団はこれを撃滅する方法を探しており、倒すのが不可能でもどうにか足止めできないか、ということを模索しているようだ。
足止めされて三日が経った。もう休息も十分となった頃、私のところへホークがやってきた。
「お話があるそうよ、お嬢ちゃん」
笑顔をこそ浮かべているが、ホークは不機嫌そのものだった。
この状況でもし上機嫌だったら、それはそれでどうかしていただろう。
(続く)




