2-36 初めての戦場
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戦場に到着した時、空は黒い雲が垂れ込め、かすかに霧雨が降っていた。
そのささやかな雨の下に、無数の死体がある。
人間のそれもあれば、魔物のそれもある。持ち主不明の腕や足がある。そうした全てが腐敗していたが、戦場の各所で火が燃えているのは、焼却しているかららしい。
人間と魔物の戦場では、塹壕が無数に掘られていて、土塁や空堀も数え切れないほどある。
一進一退で、そういう構造物を奪ったり、奪われたり、また奪い返したりをしていることになる。
私たちが戦場についた時、戦場は土塁の一つの手前で激戦が繰り広げられ、その土塁を回復できるか、という攻防があった。
負傷兵が次々と運ばれてくる。私たちをここまで運んだ荷馬車は、すでに負傷者を乗せて後方へ向かっている。今、やってきた負傷兵は次の荷馬車を待つよりない。
バットンと比べれば粗末すぎるが、一応の後方の安全地帯が構築され、そこでは負傷兵が治療を受けているし、食料も炊き出しがされている。
戦闘の中から三十名程度が離脱してきて、そのうちの四、五名は負傷しているようだ。
指揮官が進み出るのにコルトが歩み寄っていき、二人は何か短く話をした。
コルトが泥だらけの指揮官の手を握ってから、長柄の巨大な斧を手に取り、頭上に掲げて、激しく振った。
行くぞ、と仲間の傭兵が声をかけてくる。
その時にはコルト隊の全員が、隊長のコルトを先頭に駆け出していた。
なんだ、一日は待機じゃなかったのか? それだけ、危ういのだろうか。
私は全力で走って追いつき、そのまま隊の最後尾について駆けて行った。
足音が無数に重なり、左右を見ると、他の神鉄騎士団の傭兵隊や、他の傭兵団の隊も突き進んでいる。まるで地面が震えるような、重く濃密な足音が周囲に響いている。
声が聞こえる。それは、人の声ではない。
意味を持たないわめき声なのか、彼らの言語なのか。
コルト隊の数名が笛を吹いた。
そこで人間の兵士か傭兵が魔物を押し留めていた壁の一部に、隙間ができた。
コルト隊がその穴を埋める。交代で三十名が下がっていくようだ。
新しく戦闘に加わったのは、総勢で二百名にも達しないだろう。
前方にいた傭兵達が横へ広がる。
ホークを主体にした弓隊の前に接近戦を行う仲間が壁を作る。
私は事前の指示で、その壁よりも先へ出て、圧力を逃がしたり、誘導する遊撃隊に組み込まれているはずだ。
その遊撃隊はコルト自身が指揮する、十名ほどだ。
例の刀の傭兵もその一人だった。
今は姿が見えない。
私は壁になる傭兵の隙間を抜けた。
背筋が凍るような音を立てて、コルトの斧が旋回し、魔物を数体まとめで薙ぎ払い、跳ね飛ばしている。
いや、それよりも、魔物だ。
猪に人の胴体をつけたもの、トカゲが二足歩行しているようなもの、巨大な袋に足が何本もついている気色悪いもの、そんな異形の群れが押し寄せてくる。
連携も何もないわけだ。
コルトが言っていたことも事実だった。
倒しても倒してもキリはないし、連携なんて細かくできるわけもない。合図は出せるとしても、視線を交わすか、身振り、指笛程度だ。
私は目の前にいたトカゲらしいものを槍で切り飛ばした。
真っ黒い血が降り注ぐ中で、さらに別の一体、さらに一体、と仕留めていく。
波状攻撃なんてものじゃない。
切っても切っても、突き倒しても突き倒しても、終わりがない。
出し惜しみは無しか。
私はイレイズのファクトを解き放った。
狙いを定める必要もない。
槍にファクトを沿わして薙ぎはらう。
いっぺんに魔物が二十体は消し飛ぶ。
傭兵たちが前進し、笛が鳴ったのが聞こえた。
遊撃隊は左右に分かれ、中央へ魔物を誘導せよ。
そこへ弓隊が集中的に攻撃するのだろう。
私は右翼側へ移動しながら、魔物を破砕していく。
しかし、キリがない。終わりが見えない。
体力が切れれば、それまで。全体が押し潰されれば、やはりそれまで。
周りの隊が崩壊しても、やはり敵中に孤立して、それまでだ。
魔物は左右にできたコルト隊の遊撃隊の突出した部分を、考えがあったのか、それともなかったのか、自ら押し包まれるように流れていき、自然と中央に集中した。
そこへ矢が降り注ぐ。
ファクトらしい矢ではない攻撃もあり、そこだけ一気に魔物の群れが手薄になった。
笛が鳴る。
中央を包囲殲滅し、前進。
意外に笛でもわかるものだ。
私の槍が唸り、魔物を跳ね飛ばし、切り裂き、吹き飛ばし、そうして仲間とともに前進していく。
土塁との間で魔物が押し潰されるように倒されていき、日が暮れる前には土塁の一部が確保されていた。ただまだ左右の安全が不確かで、さらに言えば魔物が土塁を超えてくる可能性もあった。
私のそばに、コルトがやってきた。
彼も黒い血で身を汚しているが、私は彼以上に汚れていた。泥も、魔物の血も、一緒くたになって全身を染めている。
「最初の戦場のわりに、やるじゃないか」
答えようとして、息を吐いた瞬間、意識が遠のいた。
気づくと倒れかかった私をコルトの太い腕が支えていた。
「す、すみません」
気にするな、と私を立たせると、コルトが腰から水筒を外して渡してくる。私の水筒はどこかにすっ飛んでなくなっていた。
「俺の勘だと、ここは確保される。すぐに後続が来るから、休むこともできるはずだ。それまでは辛抱しろ」
私は水筒の水を一口飲むと、彼にそれを返した。
ホークが近づいてくるのが見えた。矢筒を背負っているし、腰にもやはり矢筒があるが、彼女は金属製の弓を持っていて、同じ弓が腰に二つある。
彼女はコルトと何か話してから、私に無言で頷き、後方へ下がっていた。弓隊の指揮があるのだ。
私は仲間とともに周囲を警戒し、やがて日が暮れた。
魔物の声と気配を追い払うように篝火が焚かれたが、しかしそれには、期待した効果はなかった。
気の休まらない夜が始まった。
(続く)




