2-32 王都ルスタピア
◆
私が自己紹介した夜は、いかにも来客用という部屋に泊まった。
それでもなかなか寝付けず、眠りに落ちたのは日付が変わった頃だっただろう。それでもすんなりと朝には目が覚め、意識はスッキリしていた。
替えの服を昨日の夜、ホークが用意してくれていたので、それを着て、無難だな、しかし着心地が良い、なんて思いながら姿見で様子を見ているところで扉がノックされた。
返事をすると、ホークが顔を見せた。今は髪の毛をひとつに結んでいる。
「顔は洗った? 歯磨きは?」
「これからです」
「なら急いでやっちゃって。食事に行きましょう」
返事をしてから、流しの場所を聞くとため息をつかれた。知らないんだから、教えて欲しい。
歯ブラシとタオルも借りて、素早く身支度を整えた。髪の毛はここのところ手入れらしい手入れをしていないけど、傷むことはない。
「傭兵で長い髪って、非現実的ね」
私がやっぱり借りた櫛で髪の毛をとかしているの横で、ホークがそんなことを言って、さっと私の髪の毛を一筋すくって触る。
「切ったほうがいいですか?」
「いいえ、あなたの主義主張のままにしなさい。みんなそうしている」
用意が整うと、私の奢りとしておくわ、とホークは私を街へ連れ出した。
そこはさすがに王都ルスタピア、まだ早い時間なのに人通りは多い。荷車や馬車が行き交い、とても朝とは思えない。
「みんな、外で何かを食べるんですか?」
気になって質問すると、おおよそ、と短い返事があった。
おおよそ、とはどういうことだろう。
彼女が私を連れて行ったのは喫茶店のような店だった。二十年前くらい前からありそうな、年季の入った店舗だった。調度品、カップや皿に至るまで、いかにも時間の経過を感じさせる。
お茶はミルクティーで、ほどよく甘く、濃厚だった。サンドイッチが出てきて、新鮮な野菜、焼きたてのパン、そして熱いハムが挟まっていた。そこにサラダが付いていて、茹でた卵が半分、乗っている。
いかにも高級そうで、しかし控えめで、上流階級の朝食をイメージさせる。
正直、傭兵の無骨さとは無縁だった。
私が恐る恐る手を伸ばすのをよそに、すでにホークはミルクティーをカップの半分は飲み、サンドイッチも食べ進めている。
なんとも場違いなものを感じながら食事をする私の向かいの席で、ホークはミルクティーをお代わりしていた。ついでにハムエッグを頼んでいた。意外に健啖家なようだ。
他にも客がいたし、次々と入ってくるが、やはりみな身なりがよく、銭を持っていそうだ。
私自身は銭を持っていないけど、ホークの奢りだとして、どれくらいの料金か不安にもなる。
「お腹いっぱいになった?」
サンドイッチ、サラダ、ハムエッグ、ミルクティーを二杯、全部をきっちり食べたホークが確認してきた時、私はやっとサンドイッチを食べ終わったところで、サラダはまだ半分はあるし、ミルクティーも冷えてはいるが半分はカップに残っている。
「はい、十分です」
急かされたと判断して、素早くサラダを口に入れて、ミルクティーを一息に飲むと、ちょっとだけホークは嫌そうな顔をした。落ち着いて食え、か、ちゃんと味わって食え、もしくは、サラダとミルクティーの組み合わせは最悪だ、といったことを言いたげだった、と思う。
急かさないで欲しかった……。
席を立って、支払いはホークが持ってくれたけど、二人合わせて三〇〇〇イェンだったので、さすがに目を白黒させてしまった。
一人の食事でも一〇〇〇イェンあれば、かなりの量を買える。パン一つで一〇〇イェン、お茶だって一杯二〇〇イェンはあれば、十分な量が手に入る。
つまりこの店は、量より質で、そしてそういう嗜好の人間に向けた店なのだ。
ホークが今だけ気取ってこういう店を選んだ、というわけじゃないのは、会計の時に店員と仲良さそうに話していることでわかる。常連客が見せる独特の雰囲気だった。
王都の傭兵は、私が知っている傭兵、イメージしている傭兵とはだいぶ違うようだ。
店を出るとホークは王都にいくつかある大時計の方を見て「もう開いているかな」と言いながら通りを歩き出した。どうやら神鉄騎士団の建物に戻るようではない。
「どこへ行くんですか?」
背中に問いかけると、彼女が振り返り、こちらを指差した。
「ありきたりなジャケット、ありきたりなシャツ、ありきたりなパンツ」
順繰りに服を指差されて、思わず自分でも確認したけど、特に汚れているようでも、破けているようでもない。傷んでもいない。
私が視線を返すと、ホークが大げさにため息をついた。
「あなた、そんな格好でいて、恥ずかしくないの?」
「ええ、まあ、あまり気になりませんけど」
真っ正直に答えると、ホークが顔をしかめる。何か言っちゃいけないことを言っただろうか。
「神鉄騎士団はね、大手の傭兵団よ。そこの傭兵が、仮にもそんな無個性で、何の飾り気もない、質素な服を着て戦場に立つことを許されると思う?」
「でも、新人ですし」
「新人だろうと、許されないわ。ほら、行くわよ」
くるっと向き直り、ズンズンとホークが歩いて行ってしまうので、私は小走りに追いかける以外に選択肢はない。意見も無理だ。
連れて行かれたのは呉服店で、店主はやっぱりホークと知り合いのようだった。
「四〇万イェンくらいで、衣装を整えてやって」
私が驚愕するのをよそに、店主はニコニコと頷くと、巻尺を取り出して寸法を測り始めた。
採寸が終わると生地をどうするか、糸はどうするか、刺繍は入れるか、どんな模様がいいか、などと聞かれたけど、こんな店に入るのは初めてだ。故郷でもなかった。助けを求めてホークを見ると、彼女は不機嫌さを一層増した様子で、次々と店のものに注文を伝えた。
一時間もここで過ごし、着物は三日後には届けます、となった。
料金は半分を先払いで、ホークがここで二〇万イェンを払うのか、と見ていると、紙にペンを走らせ、それを渡している。
小切手だった。
「じゃ、次ね」
呉服屋を出て、王都の街頭を進む。もうすでに太陽は高い位置にある。通りはまるで人で埋まっていて、祭か何かのようだ。こんな場所が世界に、ルスター王国にあるなんて、信じられないほどだった。
ホークが向かった先は武具店で、しかし店構えはこぢんまりとしている。
もうどうとでもなれ、と思ってホークに続いて中に入ると、中年の男性が出てきて、やっぱりホークは「五〇万イェンが予算よ」と言っている。
店員は平然として、やっぱり採寸をして、私に注文を聞き始める。具足を作ってくれるようだから、今度はさすがにホークは私の意見を引き出すようにしてくれた。
動きやすいように、とか、ここは小さく、ここが頑丈に、細かく注文をつけたけど、店員は嫌そうな顔はしないし、素材も次々に戸棚から取り出して、確認してくる。
ただの具足にここまでこだわったことはないし、そもそも、こんなに自由に具足を選んだこともない。
色とか模様、飾りまで聞かれて、さすがに適当でいいと言おうとすると「意見を言いなさい」とホークが叱りつけるように言う。
私は結局、色も指定したし、飾りまで自分で選んでしまった。
店を出ると既に昼時である。
「あの、ホークさん」
時計の方を見ている彼女に声をかけると、やっぱりどこか不機嫌そうにこちらを横目に見る。
「服と具足で、一〇〇万イェンくらいですけど、私、そんなに払えません。稼げるとも思えません」
「払えない、と思うなら、どうやったら払えるか、考えなさい。稼げないと思うなら、傭兵になんてならないことね。稼いでなんぼよ、傭兵なんて。みんな、そうしている。さ、お昼ご飯を食べたら、次は武器よ」
まだ買い物をするのか……。
既に疲れ切っている私だけれど、ホークはタフだ。少しも消耗していないように見えた。
食事もまた例の如く、高級な店だと、それもまた気が詰まるな。
そんなことを思った私の心を読んだように、あそこで食べましょう、とホークは大通りに出ている屋台に進んでいった。豚肉の塊が回されながら焼かれている。匂いだけでもよだれが出そうだ。
焼かれた豚肉を薄く削いで、野菜と一緒に、小麦粉を焼いて作った薄い皮に巻いたものを、ホークが手渡してくる。
「こういうものもたまには悪くない」
言いながら、唇の端についたマスタードを、彼女が指でそっと拭う。
その時になって、彼女が口紅をさしているのに気付いた。
何かそういうところにこだわりがあるのかもしれない。
とにかく、次は武器か。
太陽の日差しは、すでに春のように暖かかった。
(続く)




