2-28 見知らぬ場所
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ぼんやりと像が結ばれ、跳ね起きた。
跳ね起きた瞬間、左の脇腹に激痛が走り、思わず短く悲鳴を上げて倒れ込んでいた。寝台に寝ていると理解したけど、それよりも痛みが激しく、自然と体を曲げてうずくまるしかない。
息をするだけでも痛みが走る。
じっとしてどうにか落ち着くのを待ち、今度はそっと姿勢を変え、そろそろと息を吸って、吐いた。
骨ではなさそうだけど、内臓は間違いなくやられている。
どうしても呼吸が乱れてしまい、咳き込むだけで刺すような痛みが襲ってくる。
長い時間をかけて、どうにか寝台の上で起き上がり、周囲を見た。
ジューナと一緒にルスタピアに来た時に取った宿の部屋ではない。しかし内装からして、紫紺騎士団の砦ではなさそうだ。どことなく優雅で、調度品に贅が見える。窓にはレースで編まれたカーテンが引かれ、今は日が差している。
光が赤く染まっている。夕日だろうか。部屋に時計はない。
また咳、そして痛み。
呻いているところで、いきなり前触れもなくドアが開いた。
若い女性で、私を見るとほころぶような笑みを見せる。
「どうやら死んではいないわね」
……表情とは裏腹に、辛辣なことを言うじゃないか。
「ここはどこですか?」
声を発するだけでも痛みが酷い。
ここがどこかを聞く前に、医者を連れてきてほしいと頼むべきだったか。
女性が私の前に来て、顔を覗き込んでくる。近くで見ると女性は思ったよりも若そうだ。二十代前半くらいに見える。
瞳がちょっと変わった光り方をしていて、色が変わっていくようだった。流動的な反射。
「思ったよりも幼そうね。我らがボスにやられたところはどう?」
「えっと、すごく痛んで、お医者さんを呼んでもらえますか?」
「わかったわ。うちの医者は死ぬしかないものは放り出すから、そのつもりでね」
バシッと肩を叩かれ、痛みが走って思わず声を漏らしてしまった。
可愛らしいこと、と笑ってから彼女はひらひらと手を振ると部屋を出て行った。
その背中を見送ってから、そう、やっぱりここは紫紺騎士団の砦ではないのか、と考えた。彼女の服装は非常にラフで、とても兵隊には見えない。しかも凝ったデザインで上等な衣類に見えた。しかも残り香があり、香水をつけているようだ。
香水をつける兵士なんて、いないだろう。
でも、なんの仕事をしているのか。
数分待つと、老人が部屋に入ってきた。今度はちゃんとドアをノックしてくれたけど、「どうぞ」というだけでもしんどかった。
老人の服装は白い服を着ていて、一応は医者に見えるが長い髪の毛は真っ白で、伸ばしている髭も真っ白。なので、頭が巨大な毛玉みたいに見える。
その老人は私の腹に服の上から触れ、「フゥム」などと言って、ゆっくりと移動させる。
変なことをしそうでもなかったけど、念のために警戒していると、すっとその皺だらけの手が上に上がってきたので、反射的に手首を掴み止めた。
毛玉の中に埋もれている瞳がこちらを見る。
「診察だ。手を離せ」
「いえ、今のは性的な嫌がらせです」
「違う、診察だ。離せ」
「いえ、違います」
こういう時は自然と声が出るのだから、不思議だ。
老人は鼻を鳴らすと、ちょっと手首を捻り、私の手を振り払った。
「なら、この老人は必要あるまい。邪魔したな」
そんないじけ方をしないでも……。
「すみません、ちゃんと治療してください」
「したぞ。まだ治療してほしいのか?」
ちょっと驚いて、自分の手で脇腹に触れてみた。
痛くない。さっきまであんなに痛かったのに、今はちっとも痛まないのだ。
自分でもわかるほど目を見開いて老人を見ると、「まだ治療するか?」と確認され、どう答えることもできない。私が黙り込んでいると老人は「それではな」と今度こそ部屋を出て行った。
私はもう一度、自分の状態を確認した。
脇腹は痛まないし、他にはどこにも痛みはない。
恐る恐る、立ち上がってみる。どこも痛まない。まっすぐに立てる。
呼吸をする。大丈夫。深く吸って、深く吐く。大丈夫だ。
さて、と扉に向き直ろうとすると、急に人の気配がした。
勢いよく振り返ると、例の大男、私を打ちのめした斧使いの男が、開いた扉の横に寄りかかって立っていた。
「変な呼吸法でも身につけているのか」
そんなわけ、あるか。
「いえ、その」
言い訳する必要もないけど、礼を言う必要はあるだろうか。
その前に聞いておこう。
「あなたは、どなたですか?」
フムン、と男性が頷き、部屋へ入ってくる。やっぱり見上げるほど大きい。私の頭の先は彼の胸あたりにしか届かないだろう。
目の前に立ち、彼が身を屈めることで視線の位置を合わせた。
「俺はコルト・フレアソードというものだ」
「あなたは、紫紺騎士団の方でしょうか」
そう見えるかね、と彼が自分の服を摘まんで見せる。
彼が身につけている衣類は、もちろん大きさからして特注だろうけど、それにしては控えめながら高級品に見える。複雑な染め方をされ、さらに細かな刺繍が入っている。
こんな服を身につける兵士はいないし、軍人でもそうはいないだろう。
「どこの人間だと思う?」
そう確認された時には、おおよその答えは出ていた。
「傭兵でしょうか。それも、相応の傭兵隊、もしくは、傭兵団」
「それくらいの常識はあるらしい。ここは神鉄騎士団のルスタピア支部だ」
ガツンと頭を殴られたような衝撃があった。
神鉄騎士団?
今の人類圏で、国をまたいで活動する巨大な傭兵組織が八つあって、八大傭兵団などと呼ばれる。
そのうちの一つが、神鉄騎士団である。
ルスタピアに支部があってもおかしくはないけど、なんで私がここにいるのか。
「医者の治療はうまくいったか?」
いきなり聞かれて、そうか、彼が私を蹴りつけたから、感触で負傷のほどもわかっただろう。
「ええ、その、今は痛みません」
「そいつはよかった。あの老人はちょっとその、いやらしいが、問題はなかったかね」
ありません、と答えたけど、笑われてしまったので彼は本当のところを察したようだ。
「お前が眠っている間にあったことを話そう。と言っても、ほんの半日のことだがね」
ま、座れ、とコルトが言うので、私は寝台に腰掛けた。彼は部屋の隅にあった椅子を持ってくるけど、彼と比べるとものすごく小さく見える。座ると今にも分解しそうな軋み方をして、どうにか持ちこたえた。
そんなことにはお構いなしに、悠然とコルトは足を組んだ。椅子が文字通り、悲鳴をあげる。
「紫紺騎士団は、お前を諦めた」
そっけない口調だった。
しかし、諦めた?
「藤の傭兵隊のメンツは俺たちが立てた」
どういう意味だ?
コルトは表情を変え、嬉しそうに笑っていた。
私はきっと、不安そのものの顔をしていただろう。
実に対照的な感情がそれぞれにあった。
(続く)




