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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
7/213

1-7 夕日の中で

       ◆



 レオンソード騎士家の当主である、「騎士様」とも呼ばれる領主様が俺のところへ来たのは、ユナが消えた日の三日後で、時刻は夕方の作業が終わった頃だった。

 やや肥満体のこの領主は人がいい性格と見るか、どこか気弱と見るか、見る人によって判断は分かれる。それでも領地の経営に致命的な間違いはしないのは、立派と言える。

「リツ、話を聞きたいのだが」

 領主様は俺にも丁寧な口調でそう言った。彼の元で小作人をまとめている豪農の方が、よほど傲慢に見えるほど、領主様は控えめだった。

 はい、と返事をして、彼の背中を追っていく。供のものを二人連れていて、一人は守備隊の男だ。顔を知っているので、こっそりとその剣士が俺に肩をすくめた。

 どこへ行くのかと思うと、新しく作っている棚田の前だった。座る場所などない。

 突っ立ったまま、領主様が俺を見た。

「娘のことを、本当に何も知らないのかね、リツ」

 責めるようでもなく、問い詰めるようでもない。柔らかく、自然な口調だった。

「何も存じ上げません」

 俺は軽く頭を下げた。視線を合わせないのには都合が良かった。

 しかし領主様は返事をしない。こうなると、いつまでも頭を下げているわけにはいかない気もしたが、ぐっと耐えた。

「あの子と剣術の稽古をしていたのは、知っている」

「はい、稽古をしていました。誰も指導するものはいませんでしたが」

「私が止めていた、と聞いたら怒るかな、リツは」

 止めていた?

 思わず顔を上げると、情けなさそうに領主様はよく肉の付いた顔に苦笑いを浮かべている。

「大人たちが誰も、きみと娘に剣術の稽古、武術の稽古をつけないように、私が止めていた。そういうことだよ」

 ああ、なるほど。

 腑に落ちた。

 この人は、ユナを剣士にも、戦士にも、英雄にもさせるつもりはなかったのだ。

「本当なら、娘の剣術はただの子どもの遊びで終わるはずだった。それがなぜ、こうなったのだろう」

 視線が俺を外れて、棚田の方へ向けられた。

 夕日が遠くの峰々に沈んでいく、その強い赤い光が、領主様の横顔を照らす。

 それを見たとき、なぜか、あの朝日の中のユナの横顔を思い出した。

 領主様とユナは、やはり父と娘なのだと、強く感じた。

「ファクトがどうなろうと、私はあの子を、平和な世界に置いておきたかった。剣と剣を合わせたり、組打ちをしたり、化け物などと殺しあってその血にまみれるような場所には、置きたくなかった。これを親心というのだと今になればわかる」

 どう答えることもできず、俺は領主様の横顔を見ていた。

 彼はただ、出来たばかりの棚田が夕日を反射するを見ていた。まさに今日、水路が仮に出来上がり、水を引いて石積みがうまく機能するか、試していたのだ。

 今の領主様は、それを確認しているようにも見えるが、心中では、様々な思いがあるのは間違いない。

「あの子が何を望んでいたのかを、私はよく知らない。私も色々な話をした。妻もだ。きっと私にも妻にも、言えないことはあっただろう。そしてそれをリツ、きみには言ったかもしれないと私は思っている」

 視線がこちらに向き直った。

 自然と言葉が口をついた。

「ユナは、昔、両親を見返してやると、言っていました。五歳になる前だったと思います」

「どうやって見返すと言っていた?」

「両親の言う通りに性別は女を選んで、その上で武術の稽古をして、やがては女傭兵になる、そう言っていました。だから俺は、ユナと剣術の稽古をしたんです」

「五歳か。大昔だな」

 十年は前のことになるのに、俺にはあの時のささやかな場面が色鮮やかに記憶されていた。

 崖の上で、俺たちは話したのだ。

 遠く広がる山間の景色を見ながら、未来を語ったのだ。幼い、五歳の子ども同士でも、俺たちには俺たちの未来があった。俺はまだ何も見ていなかったけど、ユナは遠い場所を見ていたということになる。

 あの日から十年後の今になって、ついに始まる新しい世界を見ていたんだろう。

「何か、きみに言っていたかな、ユナは。失踪する前の日も剣術の稽古をしたのだろう」

「何も聞いていません」

 嘘をつくことがこれほど辛いのは、初めての経験だった。

 俺には父親がいない。目の前にいる人はユナの父親で、ユナがどう思っていたかは知らないけど、俺は何度となく、父親という存在に憧れていた。

 俺は領主様のことを詳細に知っているわけではないし、親しく接したわけでもない。だからどこかには欠点があり、どこかには理解できないものがあり、どうしても馴染めない部分もあるだろう。

 しかし今、領主様はユナの父親で、ユナのことを思っている、ユナのことだけを思っているのは、俺の錯覚でも勘違いでもない。

 まるで俺は、いて欲しくても決して目の前にいない父親を、騙している気持ちになった。自分の父親をだ。

 領主様は俺をじっと見てから、時間を取らせたな、と肩を叩いた。軽く、しかし優しげな力の込め方だった。

 そこはあの崖の上で、ユナが叩いた場所と同じ場所だった。

 領主様と二人の供のものが去っていき、俺は一人で家まで歩いた。すでに小作人たちはそれぞれの家に戻って夕食の最中だろう。そうでなければ、少しでも生活を楽にするために内職をしているか。

 周囲が真っ赤に染まっていたのが、急に暗くなり、あっという間に闇が周囲を包み込んでいった。

 それは俺の未来から急に光が消えたような、そんな印象を胸中に生じさせていた。

 ユナはもういない。

 ユナは、自分の未来を自分で決めた。十五歳で、それをやったのだ。

 無謀なことは承知の上。何の保証もないのも承知の上。苦労は当然、承知の上だろう。

 もしかしたら、破滅も、絶望も、命を落とすことさえも、想定しているのかもしれない。

 いったいどうしたらそんな決断ができるのか。

 俺は頭上を振り仰いだ。

 もう空は真っ暗で、星が瞬いている。

 ユナも今頃、どこかで星空を見上げているのか。

 そこは、どこだ?

 俺は少し歩調を早めて、家に向かった。

 今はちょっとでも明確な、暖かい光が見たかった。

 逃避だとしても。

 一時のことだとしても。




(続く)

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