2-27 生と死の狭間
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気持ちは瞬間で切り替えられた。
高い集中が、世界の動きを緩慢にさせる。
斧はそれでも早い。空気を裂く音さえも置いてけぼりにして、向かってくる。
受けるか、避けるか。
避ける。
半身になって斧が至近を通過するのを観察。
巨大な刃が地面に衝突すると、えぐれ、土が跳ね飛ばされる。
その幕を突き破って、横薙ぎが来た。
後ろへ跳ねる。
男は斧の勢いのまま体を一回転させ、先ほどよりも重く、強い横薙ぎを繰り出してきた。
跳躍、ただ跳ねるのでは足りない。
足を斧にかけ、そこを蹴り、高く舞い上がる。
もちろん、それだと着地ぎわを狙われる。
そのセオリー通り、男着地点を予想して突っ込んでくる。
さっと槍を地面に突いて、呼吸をずらす。
私のすぐ下を斧の巨大な刃が走り抜け、やっと私は地面に戻る。
演技だろう、大げさに口笛を吹いてから男が構えを解いた。
「身が軽いな。雑技団か何かの出身か?」
おどけているけれど、目は本気だ。
さっきまでは少し、手を抜いていたんだろう。
この男の手の内は、はっきり言って何も見えない。
どう崩すべきか、どう崩せるか、見えないままだった。
私は集中を高めるために、槍を大きく振って、構え直した。
それだけで呼吸が落ち着く。そういう訓練をしてきたのだ。
間合いに関してはほぼ互角。しかし打撃力では、こちらが圧倒的に不利。速度はやはり互角。
ファクトを、イレイズを、使ってみるか。
集中し、まずは視線に乗せる。
「おっと」
軽い声に、私は愕然としていた。
男の斧を狙ってイレイズを発動させたのを、男がさっと斧を引いたのだ。そのせいで私のイレイズは不発で終わった。
ニヤニヤとした人の悪い笑みが向けられる。
「そんなに視線に力を込めているんじゃ、すぐわかるわな」
それがきっかけだったように、男が突進してくる。
出し惜しみはない!
私は男の進路を塞ぐべく、無数のイレイズによる破壊座標を展開する。
対応は、驚くべきものだった。
男の斧が地面にぶつかり、そのまま大量の土砂がこちらへまき散らされる。
そこに私がイレイズを発動したため、その破壊が起こる空間は、土砂が消えてなくなるという形で驚くほどはっきりと見て取れた。
その隙間を素早く男が縫ってくる。
なら槍に乗せて、斧を破壊するまで!
こちらから間合いを詰め、斧を狙って槍を突き出す。
「だからさ」
男が言いながら、斧の軌道を変化させ、こちらの槍をかいくぐる。
「そんなに気配に滲ませているんじゃ、バレバレだよな」
まるで蛇のように曲がりくねった軌道を描いた斧が、私の頬をかすめる。
間合いを取ろうにも、すでに近すぎる。
すでに土砂はない。
見ることなくイレイズを発動。
これには男が慌てた様子で後退した。一発だけがかすめて、彼の着物の肘のあたりがほつれていた。
しかし戦闘に支障はない。
「意外にやるのはわかった。ただまだまだ荒削りだな」
男が長い柄を振って、斧の巨大な刃を地面に突き立てた。
それから黙って見ている三人の男の方を見ると、さっきとは違い、陽気さの欠片もない冷たい声で言った。
「殺しちまっていいのかね。それとも生かしておくべきかな」
好きにしろ、と一人が答えた。
肩をすくめて、男がこちらに向き直る。
冷気が、周囲を吹き抜けた気がした。
太い指がゆっくりと柄を握り直し、斧を引き抜く。
「ま、生きるか死ぬか、自分で決めろ」
ぐっと腰が下がり、男が跳ねるように飛び出してくる。
反射的にイレイズをデタラメに連射した。
なぜ見えるのか、どういう仕組みなのか、男の小刻みなステップがそれをことごとく避けていく。
間合いはあっという間に消える。
斧の横薙ぎを槍で受け流す。鈍い痛みが腕に走り、槍の表面で火花を上げながら斧が滑る。どうにか勢いを逃した時には、手がビリビリと痺れていた。
もちろん、これで終わりではない。
飛燕の如く素早く翻った斧は、頭上に振り上げられている。
こちらの姿勢は先ほどの受けで、完全に崩れ、足の位置からして完全な回避は不可能。
その回避に賭けるか。
受けるとして、受け止められるか。
男の目には明白な殺意。手加減の要素はない。
生と死の狭間に、私はいる。
そして生き残るか、死ぬか以外に、ここを抜け出す道筋はない。
斧が落ちてくる。
審判の時だ。
私は受けを選んだ。
些細な力加減、槍を構える位置、姿勢の微調整、全てが刹那の間に算出された。
斧が槍に落ちた。
まるでそれは落雷で、甲高い破砕音が鳴り響いた。
手元で槍が二つに折れる。
男の表情にほんのかすかに、何かが差した。
槍は折れた。
折れることで斧の勢いをわずかに緩めた。
そして折れた槍はそれぞれに両手にある。
私を断ち割るはずだった斧は半身になった私の前を過ぎていき。
その間に私は決定的な踏み込みをして。
柄を半分失った槍の穂先が、男の胸元に突き込まれ。
強烈な横からの衝撃。
回し蹴りだ、と気付いた時にはあまりの強烈な打撃に、私の体は地面を二転三転し、どうにか止まった時には意識が朦朧としていた。
空を見上げているのに、まるで自分が空を見ているようではない。自分が空に浮いているような気さえした。
遠くで声が聞こえるけど、すぐに聞こえなくなった。
視界も暗くなり、負けた、ということだけがはっきりと頭に残り。
細く息を吐いた時に、意識さえも抜け出していったようだった。
闇。沈黙。
(続く)




