2-24 友達のこと
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なかなか、ジューナは言葉を口にしなかった。
「実力は認める。精神力も、相応に身についている」
その言葉のかすかな震えは、何を意味するのだろう。
私には読み取れない何かに気づいたのか、ファルナがかすかに首を傾げる。
「では何が足りない?」
何も、とジューナは言った。その時、急に彼は普段通りになり、そっとタバコを取り出すと身を乗り出して、焚き火の炎でタバコの先を炙った。
「何も足りなくはないな、ファルナ。ユナは完璧だ」
「なら、紫紺騎士団へ送り込むぞ」
「本人の意思を聞け」
やっとファルナが私の方を見た。その瞳はどこかジューナとは違う光り方をしている気がした。
「行くか? それとも、行けと命令するべきか?」
答えるとして、どう答えればいいのか。
私がほんの数瞬、黙ったからだろう、ジューナが助け舟を出してくれた。
「いきなり決めるのも無理があるだろう。俺とユナで話し合っておく。ただ、紫紺騎士団へ編入させるなら、間違いなくユナだ。ここで、小さな傭兵隊の一人として終わらせる人材ではない」
そこまで言うか、とちょっと驚いた。
それを言い始めたジューナこそ、藤の傭兵隊にいるような人材ではないはずだ。
結局、ファルナはジューナの言葉を受け入れたのか、話題を変えて、どうでもいいことをジューナと話していた。夜更けまで話している二人のそばにいたけど、なかなか終わりそうもないので、私は一人で先に眠った。
翌朝、目が覚めるとテントの中にはジューナが寝ているだけで、ファルナはいない。
そっと外へ出ると、ファルナの背中が見えた。すでに太陽が上がろうとして、稜線が明るく、空も濃紺から淡い色へと変化を始めていた。
その方向をただ、ファルナは見ている。
「お前の」
いきなりの声は、私に向けられたものだ。
「素性を聞くことはしなかった。そういう奴は今、大勢いる。傭兵になって身を立てるなどという簡単な目標を目指しているのではなく、いずれは英雄になろうというような、そういう連中だ。お前もその一人だろう?」
はい、と私が答えると、だと思った、と渋い声でファルナが応じる。表情は見えない。でもきっと、不愉快そのものだろう。
「傭兵なぞ、ただの消耗品だ。技があれば生き残れる、力があれば生き残れる、運があれば生き残れる、そういうことを誰もが考えるが、技も力も運も、簡単に人を見放す。それに、傭兵が死のうと、その死を悲しむものはごく限られている。死ねば、次が補充され、また死ねば、また補充だ。残酷だな」
何の話か、考えたけど、あるいは傭兵をまとめるものの愚痴かもしれなかった。
「ファルナさん、それは、兵士でも同じではないですか」
「兵士とは、国のため、故郷のため、家族のために戦う存在だ。しかし傭兵は違う。報酬のため、銭のために全てを賭している。愚かだ、あまりにも愚かすぎる」
すっとファルナが振り返った。
太陽が上がってきた。
逆光になってファルナの顔は見えなかった。
「お前は故郷のことを、家族のことを考えないのか? ユナ」
問いかけの口調はいつも通りでも、そこに含まれているものは重い。
「考えることはありません」
「誰のことも考えないのか?」
誰のことも、ということではない。
私は一度、目を瞑った。
浮かぶ顔が一つ、ある。
「友達のことを、考えます」
ほう、とファルナが小さな声で言った。
私はどうにか言葉にした。
「幼馴染で、剣術の真似事をしていました。私が傭兵になると言っても、彼は止めなかった。両親は反対しても、あいつだけは、理解してくれた。私が故郷から逃げ出す時も、見送ってくれた」
沈黙がやってくる。
その沈黙を、柔らかい声が終わりにした。
「良い友を持っているのだな。羨ましいことだ」
こちらにファルナが歩み寄ってきて、すれ違う時に軽く肩を叩いた。
彼はそのまま燠火のそばに屈み込み、火を大きくしようとしている。
私はその背中をただ見ていた。
リツは今、どこにいるのだろう。何をしているのか。
平穏に、無事に生きているだろうか。
それとも私が踏み出したように、リツもどこかへ向かって一歩、二歩と歩いているのか。
ジューナが起き出してきて、軽い朝食の後、ファルナは去って行った。二人でそれを見送った後、いつも通りに午前中は体力を作るための調練として、一人で原野を走り続けた。
昼に食事をすることは滅多にないが、この日は簡単ながら、料理が出た。干し肉と野菜、米を煮たものだ。
煮えている鍋を挟んで向かいあい、ジューナが紫紺騎士団について話し始めた。
ルスター王国における位置付けや立場、どれだけの実力で、どういう性質を持つか。
彼が気にしているのは、私の出自に関するもので、紫紺騎士団に入るとなるとどうしても探索されるだろう、ということだった。
両親はもう私を諦めているだろう。
ただ、迷惑をかけることになるかもしれない。
「お前は兵士になりたいか、ユナ」
そう訊ねられ、しかし答えははっきりしていた。
「私は戦いたいだけです」
「何のために?」
それはもう決まりきっていた。
最初から、一つしかない。
「自分のために」
そうはっきりと答えると、ちょっとだけジューナは目を見開き、次は余裕のある笑みに表情を変えた。
「なら、兵士は不向きだな」
「でも、ファルナさんの顔を立てるためには、私が兵士になるのも仕方ないですよね」
「そんな気持ちで来られたら、紫紺騎士団も迷惑するだろう。ただ、ファルナの顔を立て、紫紺騎士団の顔を立て、その上で別のところへ行く、という発想もある」
どんな発想か、すぐに思いつかなかった。
「とにかく、ルスタピアへ行け、ユナ。それが良いだろう」
王都ルスタピア。
ルスター王国の中心地か。
「ファルナのことは気にするな。俺がうまくやっておく。春になる前に、ミテアへ戻るとしよう」
そんな簡単な言葉で、私の王都行きは決まってしまった。
私自身には何が起こるのか、まったく見えていなかった。
兵士になるのか、それとも別の道があるのか。
どういう道筋になるのだろう。
原野を吹き渡る風は、いつの間にか少し、熱を帯びるようになっていた。
(続く)




