表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
61/213

2-19 犠牲


      ◆


 人間とは、と急に声がして、誰が喋ったか、わからなかった。

 嗄れていて、変な発音だった。

 騎士級の魔物が一人きりでこちらへやってきて、彼の口が動いていることで、彼が喋っているのがわかった。

「人間とは、不思議な力を使う。三十体の奴隷が、二人に倒されるとは」

 私はどう応じることもできず、シグは武器がないままで、どうにか隙を探ろうとしていた。すぐそばに魔物が持っていた粗末な剣がある。劣悪なものだが、武器がないよりはいい。

 しかしそれを手に取る隙を作るには、私が騎士級を一時的に、一人きりで抑えておく必要がある。

 ただ、そこで凌げれば、二対一で、勝機は生じるかもしれない。

 全てが曖昧、というよりは、私とシグの敗色しかない。

 それでも戦うのが、傭兵だった。

「武器が欲しいのか?」

 騎士級が足を止め、首を傾げる。思わず唾を飲み込んでいた。

 殺気などという生易しいものではない。

 死神を前にした気分だ。そして自分の死が確定しているという絶望は、全身から力を奪い、今にも心を砕きそうだった。

「手に取れば良い。そして向かってこい」

 そういう魔物に、まるで促されたようにゆっくりとシグが落ちている剣を手に取った。

 刹那だ。

 槍が飛んだ。

 投げたというほどの予備動作もなく、まるで槍自体が意志を持って飛んだようだった。

 シグがそれを掴み止める。

 掴み止めるが、穂先は胸を貫いている。

 叫んだのは私だった。

 地面を蹴り、イレイズを連発する。

 武器を持たない騎士級の魔物がひらひらと動き、不可視の破壊を回避していく。

 しかしそれは牽制に過ぎない。

 間合いが消える。

 剣を繰り出す。

 魔物の手が、刃を跳ね返す。生物的ではない感触、まるで金属の板を打ったようだ。

 すっと魔物の手が上がり、槍がひとりでにシグから引き抜かれ、次には魔物の手に戻った。

 剣術と魔物の槍の勝負になる。

 もちろん、イレイズで常に狙う。

 剣筋に乗せるなどという生易しいことはしない。視線の先を徹底的に消去していく。

 そのはずなのに、魔物は全てのイレイズを避けてしまう。

 くそ、視線、瞳の位置から逆算されているのか。

 剣に乗せてもいるが、そちらは槍で捌かれる。

 騎士級の魔物と一対一で渡り合うのも奇跡だが、今はその奇跡では足りない。

 勝たなくては、死んでしまう。

 シグはまだ倒れている。生きているのか。もう、事切れたか。

 槍の動きが加速し、私の肩を掠める。騎士級の魔物には余裕がある。

 カンの事が脳裏に浮かんだ。

 剣術の筋を外せば倒せるかもしれない。

 相討ちということだ。

 勇気が必要だった。

 思い切って、剣の筋を乱した。

 果たして騎士級の魔物は躊躇しなかった。

 槍が一直線に私の胸に向かってくる。こちらの剣も魔物に突き進んでいるが、わずかに遅い。

 相討ちで、終われるか。

 影が差した。

 誰かが割り込んだ。

 誰かじゃない、シグだ。

 彼の背中から胸に、槍の穂先が抜ける。

 すでに血まみれのシグはこちらを体の正面に置いていて、そして自分の胸を突き破ってきた槍の穂先を、両手で掴み止めた。

 槍が急停止したのは、シグのファクトによるものか。

 そのシグの口が血を吐きながら、何か言った。

 ずっと、連携してきた。呼吸はわかりすぎるほどにわかっている。

 理解するのに、言葉はいらない。

 視線を合わせるだけでいいのだ。

 考える余裕はなかった。

 私は最大出力のイレイズのファクトを、自分の正面に叩きつけた。

 シグの姿が一瞬でかき消え、その向こうで刹那だけ、騎士級の魔物が目を丸くしているのが見て取れた。

 その姿さえ、やはり私のファクトの破壊に飲み込まれた。

 耳がキンとして、本当に何も聞こえなくなり、視界は漂白され、そして光が駆け抜けた後、冬の原野の地面に、抉られたような溝ができていた。

 シグはいない。騎士級の魔物もいない。

 ただ、抉れた痕跡に、魔物が使っていた槍が転がっていた。

 血で、汚れている。

 私はそれを見てから、周囲を確認した。

 傭兵たちが倒れている。全部で、五名。無残な死体だった。

 逆に、魔物の死体は一つもない。顕現した魔物の常で、消えてしまったのだ。

 何が五人を襲ったのかもわからない、奇妙な戦場だった。

 遠くを馬が駆けている。こちらへ来るようだ。

 私は自分の手が握っている剣を鞘に戻した。しかし簡単には切っ先が入らず、何度かやり直し、やっと収納できた。

 できたが、今度は指が柄から離れなかった。指がこわばって、どうしても解けない。

 馬は全部で三十頭近い数のようだ。馬が地面を蹴立てる音が、迫ってくる。

 私が俯いているところに、真っ先に近づいてきたのは、ファンナだった。

 叱責されるか、詰問されるかと思った。

 だけどファンナは、私を抱きしめた。

 私はただ抱きすくめられたまま、まだ剣の柄を握りしめて離そうとしない、自分の手のことを考えていた。

 それから何があったのか、よく覚えていない。

 藤の傭兵隊の一員の馬に一緒に乗せてもらっている場面や、ミテアの街に戻った場面、医者が怪我の有無を聞いてきた場面、風呂に入れられて女性の傭兵が髪を洗ってくれている場面、そういう断片はあっても、欠落ばかりだった。

 はっきりと意識がクリアになった時、私は自分の部屋の寝台で目を覚まして、起き上がって窓を開けると、朝日が差し込んで、一晩、眠ったことがわかった。

 同じ部屋のもう一つの寝台を見る。

 誰よりも親しく、誰よりも信頼し、無二の戦友にして、最高の相棒は、そこにはいない。

 寝台は空っぽで、人が使った気配は、どこか空虚に感じられた。

 支度をして食堂へ行くと、食事をしていた傭兵達がピタリと黙り、私を見たのがわかった。

 恐れと、不安、だろうか。

 料理を受け取り、一人で食べた。

 ルガはもういない。私はこれから、どうなるのだろう。

 誰も何も指示しないし、声もかけてこないので、食事が終わると裏庭へ行った。

 物干しには何枚も、真っ白いシーツが干されていた。

 それを見てから、視線を上に向ける。

 冬の空は高い、と誰かが言ったけど、その通りだった。

 吸い込まれそうな青。空気は澄み渡っている。

「生き延びたな」

 いきなりの声も、今の私を驚かせることはできなかった。

 例のタバコの男性が座り込んで、こちらを見ているのが気配でわかる。

 何も言わないまま、しばらく私は空を見ていた。

 目尻から一筋の雫が、耳の方へ落ち、顎へ伝っていく感触があった。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ