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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
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1-6 朝日の中で

     ◆


 夏の盛りの早朝、俺は一定のペースで山の中を駆け巡っていた。

 すでにコースが定まって長い時間が過ぎているので、獣道のように俺の走る道筋がついている。

 木の根を飛び越え、大きな岩を回り込み、倒木の下をくぐる。

 木々の間を抜けたら、河原に出て、そこに沿って進む。

「おーい! リツ!」

 急に声がして、俺は足を止めた。

 頭上から、と振り仰ぐと、川が遥かな時間で作った崖の上に、立っている人物がいる。

 まだ夜明け間近という頃合いで薄暗いのだけど、それがユナだとすぐにわかった。

 こちらでも手を振り返し、道筋を変えて崖になっている岩を這い上がった。崖と言っても緩やかな傾斜だし、張り出している岩が多いので特に技能は必要ない。

「まるで猿みたいじゃない」

 崖を上がりきった俺を出迎えて、ユナが口元を隠して笑う。そういう所作は、まるでお嬢様みたいだ、と言ってやろうかと思ったけど、それを言うより前に、気になることがあった。

「どこかへ出かけるわけ?」

 ユナの服装は、稽古着ではないし、屋敷にいるときのちょっとした贅を凝らした服装でもない。

 あまり見たことはないが、旅装、に見えた。

 しかし周りに人はいない。荷物も持っていない。

 では旅装ではなく、そういうオシャレ、ということだろうか。

 そんな疑問が即座に俺の思考を巡ったが、ユナははぐらかすように「似合う?」とその場で姿勢を変えている。

「まあ、似合うけど、どういう風の吹き回し?」

 こちらも遠回りに質問できる辺りに、長い友情の一部が見え隠れする。

 ただこの時、ユナはその友情で育まれた近しさを、わずかに嫌ったようだった。

「どういう風の吹き回しもないわよ。ちょっとここまで遊びに来ただけ」

 嘘だ、というのはわかる。

 でも、どうして嘘をつくのか、本当は何をしているのか、それがわからない。

 瞳をじっと見ようとしたけど、ユナはそっぽを向いていた。

「もうすぐ夜が明ける」

 急にそう言われて、彼女の視線を追うと、山の木々が小川のせいで切れている場所、その向こうに遥か彼方の稜線が見える。

 その稜線が紫から、あっという間に白く染まっていく。

 綺麗、とユナが呟いた。

 山際から太陽が覗いた。眩しいほどの鮮やかな夜明けだった。

「まだ走るのよね、リツは」

 そういうユナの方を見ると、彼女はまだ朝日を見ていた。朝日も美しいけれど、ユナもまた美しいことを、意識しないわけにはいかなかった。

 今まで、そんなことを思ったことは、ほとんどなかった。

 幼馴染の中の幼馴染で、誰よりも親しい、姉とも妹とも言えないけど、そういう存在だったのだ。

 俺はユナともっと話すべきことがあるのではないか、という疑問が刻々と心を占めていくのを感じた。

 訓練用の棒を向けあって剣術を高める以上の、もっと別の何かが、二人の間で交わされるべきだったかもしれない。

 それはあの、五歳の日の前からするべきことだったのか。それとも十歳のあの旅の剣士にあった時、もしくはその前に、しておかなくてはいけなかったのか。

 そして、十五歳を迎えた今は、もう手遅れなのか。

「リツ?」

 ユナがこちらを見ていた。

 大きな瞳がキラキラと光を反射している。

「まだ走るよ。習慣なんだ」

 そう答えながら、こんな話をしていていいのか、と頭の中で何かが叫んでいる。

 その叫びは彼女には決して聞こえない。

 嬉しそうにユナが笑い、「リツは真面目だしね」と言って不意に歩み寄ってくると、ポンと俺の肩を軽く叩いた。

「まあ、頑張りなさい。またね」

 目の前でユナが身を翻した。

 そう、彼女は髪の毛を伸ばしていて、稽古の時はいつもひとつに結んでいたけど、それ以外の時は下ろしている。

 今の彼女は、髪の毛を一つに結んでいた。

 そんなところに、彼女が普段と違うということを見出すのは、変だろうか。

 ユナが離れていく。

 俺は岩場に立ったまま、彼女の姿が森の中に消えていくのを見送っていた。

 まだ迷っている、何かに後ろ髪を引かれている自分を無視するために、俺は崖を素早く降りて、元のコースに戻って走り出した。話をしていた時間を取り戻すために、普段より早いペースで駆け抜け、朝日の中、一度、家に戻った。

 母は先に食事をしていて、普段より帰宅が遅れた俺を「何かあったの?」と確認してきただけで、叱りはしない。そういう人なのだ。

 その母に、ユナと会ったことを話さなかったのは、何故なのか。

 崖の上にいたユナの服装や髪型、瞳の光、そんな全部が、俺に何かを示しているのは、考えすぎか。

「ちょっとね」

 それだけ言って、俺は急いで食事をした。

 母と二人で畑に出て、ひたすら農作業に打ち込んだ。若い者が集められて、山を切り開いていたのは一ヶ月前で、今はどうにか棚田を作ろうと試行錯誤していた。

 地面を掘り返して岩を取り除いたり、棚を作るための石組みに使える石を運んだり、とにかく力作業だった。

 十五歳になる小作人の息子は他に二人いて、一人がストロングのファクトを受けたので、その剛力ぶりには目を瞠るものがある。俺ともう一人は負けじと必死になったけど、あまりにも力に差がありすぎた。

 昼食が済んだ頃、馬が駆けてくるのが見えた。

 小作人の中でも実際の仕事を取り仕切るリーダーが、そちらへ駆けていく。馬に乗っているのは遠目に見て、レオンソード騎士家の使用人のようだった。服装が小作人や商人とはまるで違う。そもそも馬に乗っているのだ。

 俺は作業へ戻ろうしたが、すぐに小作人のリーダーがやってきて、「ここにいるもので、ユナさんを見た奴はいるか?」と全員を見回した。

 視線が俺で止まるが、反射的に首を横に振っていた。

 そうか、とリーダーは使用人の方へ戻っていき、使用人はまた馬で駈け去った。

 その日の夕方、俺との稽古にユナはこなかった。

 そして母が、ユナがどこかへ消えてしまったらしい、と言ったのは、一人で稽古をして家に戻った時だった。




(続く)

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