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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
59/213

2-17 後悔する時機


      ◆



 日は完全に暮れた。

 火が起こしたのもファルナなら、燃やす草もファルナが器用に切って集めてきた。

 私はただ見ていた。ファルナは器用だなぁ、と思いながら。

「あそこの木から枝を払ってこい。蛇でも取ってくれると更に助かる」

 いきなりそう言われて、彼が指差す方を見ると、背景の闇に同化して見えづらいが、野原に細い木が一本だけあり、どうやら枯れているらしい。季節の問題ではなく、枯れ木だろう。

 木に足早に駆け寄り、剣で枝を払った。一抱えくらいの薪を手に入れるのと引き換えに、枯れ木はほとんどの枝を失ってしまった。

 ファルナの元へ戻ると、彼は草で火をどうにか維持し、私の持ってきた枯れ枝を要求する。一抱えを丸ごと渡すと、彼が適当に火に放り込み、ちゃんとした焚き火になった。

「蛇はいたか?」

「いるわけないですよ」

 思わず軽い調子で答えてしまったが、彼は我らがボスだった。反省する気持ちで頭を下げると、「お嬢様には酷だったかな」とファルナは立ち上がった。

「何か探してくる。お前はここにいろ。火をちゃんと見ていろよ」

 そんな言葉を残して、ファルナはすぐに焚き火の光の範囲を抜け、夜の闇の中に消えていった。何か、ってなんだろう。本当に蛇がいるんだろうか。こんな野原に?

 私はじっと焚き火を眺め、炎がひとりでにゆらめき、ほんの一時も同じ形にならないのを目で追っていた。

 どれくらいが過ぎたのか、のっそりと闇の中からファルナがやってきた。

 手に何か持っていると思ったら、ウサギのようだった。光の中で、うさぎって結構、小さいものだなと思った。故郷でもウサギは何度も見たけど、もう記憶の彼方だった。

 座り込んだファルナが、短剣を抜いて、あっさりとウサギをさばいた。

 木の枝が通されたウサギの生々しい肉が、焚き火にかざされる。

「肉を食わないと聞いていたが」

 血で汚れた手を草で拭いながら、ファルナが言う。

「今日はこれしか食べるものはない」

「糧食の餅があります」

「食える時に食う、それが必要なことだぞ」

 私が黙ったからだろう、ファルナも黙った。

 パチパチと薪が音を立て、ウサギの肉が少しずつ色を変えていく。時折、ファルナが肉の向きを変えた。

「俺は昔、殺人鬼と世間で呼ばれる立場だった」

 いきなり、ファルナがそう言ったので、私は焚き火を挟んだ向こう側にいる、声の主を見た。

 彼は薪が燃えている様を見ている。

「もちろん、無差別にじゃない。世間に顔向けできない連中を相手にした、処刑人だよ。商人、役人、悪党、いろんな奴がいたが、依頼されればきっちりと仕留めた」

 私がうんともすんとも言わなくても、ファルナに気にした様子はない。

「正しいとか、間違っているとか、そういうことを考えることはなかったな。お前のように考え込んだりはせず、ただ命令の通りに、報酬さえもらえれば切り続けた」

「どうして、傭兵に?」

「よくある話だ。うちのボスにスカウトされた。もっと別の生き方がある、とな」

 ファルナがボスという相手は一人しかいない。藤の傭兵隊の総隊長だ。私もまだ会ったことはない。ファルナはその人物の直下にある三つの隊のうちの一つの隊長だった。そのファルナの下に三隊があり、一つをルガが指揮しているとなる。

「俺は別に、生き方などどうでもよかったが、まあ、魔物を切ったり、傭兵同士で戦うのも悪くあるまい、と考えただけだった。これ以上、追っ手から身を隠したり、懸賞金目当ての探偵やら暗殺者やらに狙われるのも、面倒だったこともある」

「自分が」

 言葉が自然と口から出ていた。

「自分が殺した人のことを、考えなかったんですか?」

 ファルナが殺したという人物は、きっとみんな、何かしらの誤りを犯したんだろう。

 しかし、だから殺す、などと簡単に片付けられるわけがない。

 人の命をそんな簡単に、自由にできるものか。

 私が知らずに睨みつける先でも、ファルナは平然とウサギの肉の向きを変えた。

「俺が殺した奴らは、何も思わんだろう。死んでいるからだ。俺に殺されたのもその程度の存在だった、ということだ」

「どんな存在でも、生きています」

「生きていた、ということだ。生きている間に、何かを怠った。だから俺に始末される。俺を否定して批判するのは、お門違いだと思うな。自分の不徳を呪ってもらうしかない」

 ファルナが何を言いたいのか、直感的にわかった。

 最初、ルッカは私を殺さず、本当に軽い辱めで放り出した。

 あの時、ルッカが私に別の対処をしていれば、全てが変わった。

 ルッカが死ぬこともなく、カンもイクも、今も生きていたかもしれない。

「生きている奴はとかく後悔したがるが、俺はこう思っている」

 ゆっくりとファルナの目が私の瞳を真っ直ぐに見た。

「後悔するのは死ぬ寸前でいい。今、この時は、全てを信じ切って、自信を持つしかないんだよ。どうせ間違ってきたし、今も間違っているし、これからも間違うだろう。そういう間違いまみれの中で、少ししかない信じることができるものだけを、大事にするんだ」

 分からなくはない。

 ただ、無責任ではないか。私は死ぬ寸前に後悔するなどということが、できるのか。

 今、たった今、この時に私は、過去の誤りの償いをしたいのだ。

 死を目前にして、果たして、償えるのか。

「生きるということが償いでもある」

 まるで私の心を読んだように、ファルナが言った。

 その手がウサギの肉を少しだけ焚き火に近づけた。肉から脂が滴り、火に落ちると小さな音を立てる。

 肉が美味そうだ、と久しぶりに思う自分がいる。

「死にたいと思っている人間は、ある時には強い。強いが、命を無駄にする。命を無駄にしない人間も、ある時には強いものだ。結局、どちらも強く、弱い」

 ウサギの肉が炙られている光景を、私は見ていた。

 すっと枝が地面から抜かれ、こちらに差し出される。思わず受け取っていた。

 もう一つのウサギの肉には、私が見ている前でファルナが豪快にかじりついていた。

 私はウサギの肉を口へ運んだ。

 生臭さはない。むしろ香ばしい。

 噛み付くと、肉汁が唇の端から滴った。

 こんなに美味いものだったのか。

 生きているということが、不思議と意識された。死や悲しみ、絶望とは違う、喜びからくる生の実感だった。

 ファルナが小さな骨を焚き火に吐き出しているので、私もそれを真似た。行儀が悪いけど、ここにいるのは私とファルナだけだ。

 あっという間にウサギの肉はなくなり、枝は焚き火に放り込んだ。

「さて、ゆっくり休め。明日は仕事があるから、さっさとミテアに帰るぞ」

 ごろりとファルナが横になる。そう、これは調練ではなく、歩哨に立つこともないのだ。

 私も横になり、夜空を見上げた。

 星がいくつも瞬いている。月の光は、周囲を柔らかく照らしている。

 死者の声が、遠くから聞こえてくる。

 眠りに落ちればきっと、もっと声高に、彼らは主張を始めるだろう。

 燠火の暖かさが、何故かはありがたく感じた。



(続く)

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