2-16 遠駆け
◆
調練で馬で遠駆けに出た。
季節は秋の真っ只中で、木々はもう緑から赤や黄色に変わっているし、原野の草もくすんできた。田畑では、稲が穂を垂れているのが印象深い。
ルガ隊九人で半日ほどを駆け回り、ミテアの街へ戻ってきた。
支部に戻り、ルガがファルナに報告へ行っている間に、隊のものは素早く風呂に入り、着物も変えて、広間で雑談を始めた。
私は一人で裏手へ出て、自分の時間を過ごそうとしたけれど、例のタバコを吸っている男性がこの時も一人で座り込み、紫煙を燻らせていた。
気にしないことにして、私はまっすぐに立ったまま、空を見上げた。
雲はどこか掠れている。
「死ぬ気は失せたか」
いきなり声をかけられて、緩慢にそちらを見た。
タバコを指で挟んで、男性が座り込んだままこちらを見上げている。
「いいえ」
正直な言葉に、男性はわずかに嘲笑するように口角を上げた。
「仲間を巻き添えにしない、ということは学んだと見える」
「ええ、そうですね。私のせいで傷を負ったり死んだりするのは、間違っています」
「一人きりで戦場に立ったら、どうするね」
今度は私が笑みを見せる番だった。
それこそ、皮肉げな笑みだっただろう。
「最後まで戦って、生きているなら生きているし、死んでいるなら、その時は死んでいるでしょう」
「戦うのが好きだ、と言いたいのか?」
「そこだけが私の生きる場所だと、思い定めようとしています」
男性が何かに満足したのか、私から視線を外し、口元にタバコを移動させた。タバコの先が少し赤くなり、煙がふぅっと細く吐き出される。
その様子を観察したけれど、続く言葉はない。
私の方から彼の素性を確認しようと思った時、裏口が空いて、傭兵の一人が私を呼んだ。ルガが呼んでいるというのだ。
男性に頭を下げ、私は建物に入った。
用事というのは簡単なもので、予定が変更になり、明日にも遠駆けに出るという。馬を新しいものに入れ替える関係で、仕入れた新しい馬の様子を見るようにというファルナからの指示らしい。
シグが私のそばへ来て、馬の調教というほどじゃないけど、と前置きして、新しい馬に乗るのに慣れているか、確認された。
「あまりやったことはないけど、難しいの?」
「いや、うちでは調教済みの馬を買っているはずだから、大して難しくはないさ。でも、もしもはある。落馬して使い物にならなくなる奴もいる」
「馬が?」
冗談が通じたようで、人間がだよ、と笑ってシグは私の肩を拳で軽く殴った。
翌日、馬が十頭やってきて、ルガ隊は九人だけどと思っていると、軽装のファルナが出てきた。彼が十人目らしい。
「行こうか、諸君。今日は長い一日になるぞ」
嬉しそうにファルナがそう言うと、傭兵たちもよく事情が飲み込めないようだったが、とにかく馬に乗り、ルガを先頭に駆け出した。ファルナは隊の真ん中にいて、比較的、私に近い位置だった。
ミテアの街を出て、一路、南へ走る。
途中までは街道だったのが、間道に入っていって、進路は自然と南東、それよりも幾らか東寄りという向きに変化した。
太陽が頭上にあり、だいぶ時間が経っているけれど隊が止まる気配がない。馬はルガが先頭で指示を出すのに合わせて、疾駆したり並み足になったりして、潰れないようには配慮されているが、どこまでいくのだろう?
ルガが大きく手を振ったので、全員が馬をゆっくりと止めて、下馬した。
「休憩だ。三十分だけだ。そこからは一時間、馬を引いて歩く」
指示に反論したり、疑問を示すものはいない。傭兵と言っても、そのあたりは兵隊に近い。上官の命令、指揮官の命令は絶対なのだ。
それがたとえ、調練であろうと。
私はまず自分の乗っている馬に水を与え、少し塩を舐めさせた。そのあとは馬は自然と一面に生えている草を食み始めている。秣も持っているが、温存するべきと判断した。
傭兵が食べるものは遠駆けの時に携行する糧食で、硬い餅のようなものだ。小さく噛みちぎって何度も噛み続けていると、これで意外と空腹はしのげる。他の傭兵たちも黙ってこの乾物をかじり、水を飲んでいる。
なんでこんなことをしているのか、聞きたい気持ちもあったが、ルガは平然としているし、ファルナに至っては寝転がりながら食事をしている。
そういう余裕を見せられると、これは計画されていることなのだとは想像出来る。
三十分はあっという間に過ぎ去り、全員が手綱を引いて歩き始めた。
どちらへ向かうかは、ともするとわかりづらくなるが、遠くに見える山々、特に西にある大山脈の位置を把握できれば、おおよその自分の向いている先がわかる。
一時間ほどが過ぎると、ルガの指示で全員が鞍に飛び乗る。休息の時間から馬は鞍を下ろされていないけど、こういう負荷も馬には必要ということか。あるいは、戦うに当たって傭兵に必要ということだろうか。
馬は最初は並み足で、次に疾駆して今度は北西へ駆けた。原野なので、遠慮なく地面を蹴り立てて十頭が進み、途中で耕作地に差し掛かると向きを変えていく。さすがに田畑を荒らすようなことはありえない。
太陽がだいぶ低いところに降りてきて、横からの日差しが強くなった。
「ルガ」
ファルナが突然、ルガに声をかけた。十頭は固まっているので、馬蹄の重なり合いに負けない声だった。
ルガが身振りで副隊長の傭兵に先頭を譲り、ファルナの横へ下がってきた。
二人が何か話し合い、ルガは先頭へ戻って行った。
いきなりファルナがこちらを見た。
「ユナ、ついてこい」
いきなりそう言われ、ファルナが群れを離れて行った。
私はルガの背中を見て、彼が肩越しに振り向いてハンドサインを出すのを確認した。複雑だったが、ファルナについていけということだ。
シグに目配せするけど、シグも困惑している。
ファルナはその間にも離れて行ってしまう。私は思い切って隊を離れ、ファルナを追った。彼はどんどん北向きに走っていく。
日が暮れ始め、原野の真ん中を私とファルナが切り裂くように走っていく。
月が上がり、三日月が白く空に光る頃、ファルナが馬の脚を止め、下馬した。私もそばで馬を降りる。
「馬の世話をしてやれ」
もうファルナの顔もよく見えないほど暗い。
「ここでどうするのですか?」
思わず訊ねる私に「夜営だよ」と返事があった。
……夜営?
しかし、食事はどうするんだ? それにこれは元から、計画されていたのか?
そんな顔をするな、とまるでこちらが見えているように言いながら、ファルナは馬から鞍を外した。
私は考えることを脇に置いて、馬からそっと鞍を外してやった。
ブルブルッと何も知らない馬が体を震わせた。
(続く)




