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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
57/213

2-15 いて良い場所

     ◆



 ミテアの街に戻り、藤の傭兵隊の支部の建物に入ったところで、いきなりシグに腕を掴まれた。

 振り向こうとした瞬間、強烈な衝撃に私は転倒していた。

 起き上がろうとすると、シグがのしかかってきて、もう一撃、頬に強烈な拳を叩きつけてきた。私の頭が床に衝突し、鈍い音が遠くでした。

 クラクラする私の前で、シグが他の傭兵に羽交い締めにされて引き離された。

「シグ、頭を冷やしておけ」

 その声はファンナの声だった。起き上がった私を、彼が手招きする。表情はやっぱりどこか笑っているように見える。

「来い、ユナ」

 促されて、どうにか立ち上がった。ガクッと膝が曲がるのを、もう一度、力を込めて足取りを意識してファンナについていった。シグの方は、見ることができなかった。

 建物の二階のファンナの部屋で、私は直立した。

 ファンナは具足をつけたまま、椅子に腰掛け、こちらを横目に見る。 

「魔物を前にして手を抜くとは余裕だな」

 すみません、と答えたけど、うまく声にならなかった。

 私が魔物に噛み殺される寸前、ギリギリの瞬間に、魔物の眉間に突き刺さった短剣を投げたのは、ファンナだった。見覚えのある投剣だったから、即座にわかった。

 彼が現場に来たのは、どうやら風邪の欠員を埋める気だったようだ。

「死ぬつもりだったのか? ユナよ」

 やっぱり答えることが、すぐにはできなかった。

 死にたかった。

 楽に、簡単に、命を終わらせたかった。

「生きているのが、つらいのか?」

 そう促すファンナの声は決して優しくないし、責める色さえ帯びているのに、私は心に熱が差し込むような気がした。

 生きている人間、生きようとする人間の、その心の熱。

 私の心はいつの間にか、冷え切っていたのだ。

 死んでいるように。

「死にたいなら、勝手に死ね、ユナ。周りを巻き込むな」

 短剣を取り出し、ファンナが爪を整え始めた。次には、手が翻っている。

 私は反射的に首をかしげ、耳元を刃が走り抜ける。音が背後でして、振り返ると壁に短剣が突き立っている。

「殺してやってもいいと思ったが、死にたくはないらしい」

 答えられない。

 鼻を鳴らしたファンナが、こちらを正面に置くように椅子の位置を変えた。

「お前はうちの、というか、俺の部下では相当に使える。使えるが、危うすぎる。傭兵としてというより人間としてな。多くを背負い込んでいるからかもしれないし、ただ心が脆弱なだけかもしれない。今のままだと早晩、ちょっとした間違いであっさり死ぬだろうな」

「私を、使ってください」

 反射的に口をついた言葉は、まるですがるようだった。

 まっすぐに私を見て、「無理だな」とファンナが笑う。薄気味の悪い、人を食ったような笑みだ。

「お前は刃物で言えば、よく切れる刃物だが、切れすぎる。危なすぎるな。俺の手には余る」

「よそへ行け、ということでしょうか」

「そんなにここに未練があるのか?」

 未練。

 ないわけではない。

 ルッカを切ってしまった。カンも切った。イクも死なせた。彼らのために、私がここにいなくてはいけないのではないか。

 失われてしまった全てを、どうやって償っていけばいいんだろう。

 ここで、藤の傭兵隊で死ぬ以外の方法で、何をすれば償えるのか。

「シグの気持ちがわかるか? ユナ」

 そう促されて、私はぐっと顎を引いた。

 彼は私を叱ったのだ。私の愚かさに怒ったのだ。それはわかる。わかりすぎるほどに。

 なら良い、とファンナがまた横を向き、新しい短剣で爪の先をなぞり始める。

「話は終わりだ。シグに謝っておけ。あいつは心が広いし、優しいから、許すだろう」

 どう応じることもできず、突っ立っている私に、行け、ともう一度、ファンナが言う。

 一礼して、部屋を出て、ゆっくりと一階の広間に向かった。

 入ると、傭兵たちがほんの数秒、沈黙し、元通りに戻る。私はシグを探したけど、そのシグが真っ先に席を立ち、こちらへ詰め寄ってきた。

 目の前に立った彼が、こちらを睨みつける。

「ごめん」

 私がそう言うとシグが手を伸ばし、私の襟首を掴む。

 でも、それだけだ。殴りつけてくることもない。

 ただ厳しい表情を私に向け、睨み付けてくる。

 私が黙っているからだろう、シグが低い声で「二度目はないぞ」と言った。口調が普段とは別人で、それがまさに、今の一言がシグの本音なんだと教えてくれていた。

「ごめん」

 もう一度、どうにかそう言うと、シグは手を離し、つかつかと元のテーブルに戻っていった。振り返ることはない。出迎える傭兵たちの数人が、私におどけた様子を見せていた。

 私はそっと広間を出て、建物の裏手に出た。

 外に立って、風が私を包み込んだ時、自然と涙が流れた。嗚咽は少しもないのに、ただ涙だけが、頬を伝っていく。

 まるで私の目から流れているんじゃないみたい。

 タバコの煙の匂いがする。あの男性は今もいるのに、何も言わないのか。

 私は一度、目を閉じた。

 戦うしかない。

 戦うために、私はここにいる。

 でもここは、私がいていい場所なのか。

 答えは少しも見えてこない。

 料理の匂いが漂ってきて、私は顔を上げた。いつの間にかタバコの匂いは消え、視線を周囲に向けても、誰もいない。もしかして、初めから誰もいなかったのか。まあ、それもどうでもいいことか。

 建物に戻って、食堂に入った。

 傭兵たちはめいめいに食事をしている。空いている席を探していると、手を振っているシグが視界に入った。もう普段通りの、穏やかな表情に戻っている。

 そういう切り替えができるのが羨ましいけれど、それは外見上のことだけで、今もシグの内面では、激しい葛藤や抑えきれないほどの怒りがあるのかもしれない。

 私の中にあるどうしようもない負い目のように。

 私はできるだけ笑顔を作ろうとして、失敗して、それでも努力だけはして、料理を受け取ってシグたちがいる方へ歩いて行った。



(続く)

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