2-15 いて良い場所
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ミテアの街に戻り、藤の傭兵隊の支部の建物に入ったところで、いきなりシグに腕を掴まれた。
振り向こうとした瞬間、強烈な衝撃に私は転倒していた。
起き上がろうとすると、シグがのしかかってきて、もう一撃、頬に強烈な拳を叩きつけてきた。私の頭が床に衝突し、鈍い音が遠くでした。
クラクラする私の前で、シグが他の傭兵に羽交い締めにされて引き離された。
「シグ、頭を冷やしておけ」
その声はファンナの声だった。起き上がった私を、彼が手招きする。表情はやっぱりどこか笑っているように見える。
「来い、ユナ」
促されて、どうにか立ち上がった。ガクッと膝が曲がるのを、もう一度、力を込めて足取りを意識してファンナについていった。シグの方は、見ることができなかった。
建物の二階のファンナの部屋で、私は直立した。
ファンナは具足をつけたまま、椅子に腰掛け、こちらを横目に見る。
「魔物を前にして手を抜くとは余裕だな」
すみません、と答えたけど、うまく声にならなかった。
私が魔物に噛み殺される寸前、ギリギリの瞬間に、魔物の眉間に突き刺さった短剣を投げたのは、ファンナだった。見覚えのある投剣だったから、即座にわかった。
彼が現場に来たのは、どうやら風邪の欠員を埋める気だったようだ。
「死ぬつもりだったのか? ユナよ」
やっぱり答えることが、すぐにはできなかった。
死にたかった。
楽に、簡単に、命を終わらせたかった。
「生きているのが、つらいのか?」
そう促すファンナの声は決して優しくないし、責める色さえ帯びているのに、私は心に熱が差し込むような気がした。
生きている人間、生きようとする人間の、その心の熱。
私の心はいつの間にか、冷え切っていたのだ。
死んでいるように。
「死にたいなら、勝手に死ね、ユナ。周りを巻き込むな」
短剣を取り出し、ファンナが爪を整え始めた。次には、手が翻っている。
私は反射的に首をかしげ、耳元を刃が走り抜ける。音が背後でして、振り返ると壁に短剣が突き立っている。
「殺してやってもいいと思ったが、死にたくはないらしい」
答えられない。
鼻を鳴らしたファンナが、こちらを正面に置くように椅子の位置を変えた。
「お前はうちの、というか、俺の部下では相当に使える。使えるが、危うすぎる。傭兵としてというより人間としてな。多くを背負い込んでいるからかもしれないし、ただ心が脆弱なだけかもしれない。今のままだと早晩、ちょっとした間違いであっさり死ぬだろうな」
「私を、使ってください」
反射的に口をついた言葉は、まるですがるようだった。
まっすぐに私を見て、「無理だな」とファンナが笑う。薄気味の悪い、人を食ったような笑みだ。
「お前は刃物で言えば、よく切れる刃物だが、切れすぎる。危なすぎるな。俺の手には余る」
「よそへ行け、ということでしょうか」
「そんなにここに未練があるのか?」
未練。
ないわけではない。
ルッカを切ってしまった。カンも切った。イクも死なせた。彼らのために、私がここにいなくてはいけないのではないか。
失われてしまった全てを、どうやって償っていけばいいんだろう。
ここで、藤の傭兵隊で死ぬ以外の方法で、何をすれば償えるのか。
「シグの気持ちがわかるか? ユナ」
そう促されて、私はぐっと顎を引いた。
彼は私を叱ったのだ。私の愚かさに怒ったのだ。それはわかる。わかりすぎるほどに。
なら良い、とファンナがまた横を向き、新しい短剣で爪の先をなぞり始める。
「話は終わりだ。シグに謝っておけ。あいつは心が広いし、優しいから、許すだろう」
どう応じることもできず、突っ立っている私に、行け、ともう一度、ファンナが言う。
一礼して、部屋を出て、ゆっくりと一階の広間に向かった。
入ると、傭兵たちがほんの数秒、沈黙し、元通りに戻る。私はシグを探したけど、そのシグが真っ先に席を立ち、こちらへ詰め寄ってきた。
目の前に立った彼が、こちらを睨みつける。
「ごめん」
私がそう言うとシグが手を伸ばし、私の襟首を掴む。
でも、それだけだ。殴りつけてくることもない。
ただ厳しい表情を私に向け、睨み付けてくる。
私が黙っているからだろう、シグが低い声で「二度目はないぞ」と言った。口調が普段とは別人で、それがまさに、今の一言がシグの本音なんだと教えてくれていた。
「ごめん」
もう一度、どうにかそう言うと、シグは手を離し、つかつかと元のテーブルに戻っていった。振り返ることはない。出迎える傭兵たちの数人が、私におどけた様子を見せていた。
私はそっと広間を出て、建物の裏手に出た。
外に立って、風が私を包み込んだ時、自然と涙が流れた。嗚咽は少しもないのに、ただ涙だけが、頬を伝っていく。
まるで私の目から流れているんじゃないみたい。
タバコの煙の匂いがする。あの男性は今もいるのに、何も言わないのか。
私は一度、目を閉じた。
戦うしかない。
戦うために、私はここにいる。
でもここは、私がいていい場所なのか。
答えは少しも見えてこない。
料理の匂いが漂ってきて、私は顔を上げた。いつの間にかタバコの匂いは消え、視線を周囲に向けても、誰もいない。もしかして、初めから誰もいなかったのか。まあ、それもどうでもいいことか。
建物に戻って、食堂に入った。
傭兵たちはめいめいに食事をしている。空いている席を探していると、手を振っているシグが視界に入った。もう普段通りの、穏やかな表情に戻っている。
そういう切り替えができるのが羨ましいけれど、それは外見上のことだけで、今もシグの内面では、激しい葛藤や抑えきれないほどの怒りがあるのかもしれない。
私の中にあるどうしようもない負い目のように。
私はできるだけ笑顔を作ろうとして、失敗して、それでも努力だけはして、料理を受け取ってシグたちがいる方へ歩いて行った。
(続く)