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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
55/213

2-13 背負う

      ◆


 とにかく水を飲むように、そう繰り返し言われた。

 肉を食べるようにとも言われたけど、私が食べようとしないからだろう、医者はすぐに出すのをやめたようだった。

 肉の匂いを嗅ぐだけで、私は具合が悪くなる。

 あの血の生臭い匂い、肉を引き裂く手応え、弾力がよみがえって、強く歯をくいしばるしかない。

 意識をはっきりと取り戻して五日で寝台から降りることができた。

 病室の床に立った時になって、自分の体がだいぶ軽くなっていると理解した。血液を失った分は取り戻しても、体は細くなっていた。傷を治すことに体の肉が自然と使われたんだろう。

 私が立ち尽くしたまま窓の外を見ていると、扉が開く音がして医者がやってきた。特に驚きもせずに「ふらつきはあるか?」とだけ確認してきた。

 私がないと言うと、医者はただ頷いた。私の下の世話を看護師がしなくて済む、とでも言いそうだったけど、そういうことも言わなかった。

 食事が少し遅れて運ばれてきて、運んできた看護師に続くように体格のいい男性もやってきた。私は彼をじっと見据え、彼もこちらをまっすぐに見た。

 ルガだった。いつもより険しい表情で、瞳には鋭い光がある。

 それを前にしても、私は怯えることはなかった。

 まるで感情がすっぽりと抜け落ちたように、心の中に何もないのだ。

 私はそっと寝台に腰掛け、料理の乗ったお盆を受け取った。看護師が出て行くと、乱暴な動作でルガが椅子に腰掛けた。医者が何か言おうとしたが、ルガに睨まれ、不服そうだったけど退室した。

 部屋には私とルガだけになった。

「食事をしながらでも、聞いてくれ」

 すみません、と短く応じて、私は匙を手に取り、粥の器を持ち上げた。

 ルガが抑制された声で話し始める。

「まず、ルッカとカンの関係だが、兄弟だ。元は騎士家の一つの出身で、カンが次男、ルッカが三男に当たる。今は長兄がその騎士家をまとめている」

 粥を口に運びながら、私はルガの表情を見るけど、平静のままだった。

「その騎士家、ミング家では今回の件については不問にすると言っている。ルッカは傭兵として縁が切れているし、カンもやはり、絶縁状態だったらしい。だからお前が何らかの理由で公に命を狙われたり、捕縛されて裁きを受けることもない」

 何も言わない私に、唸るようにルガが言う。

「あれはあくまで私的な決闘であり、お前がやったことは、正当防衛だ。どうだ、嬉しいか?」

 嬉しい?

 まさか、と思ったけど、私は何も言わなかったし、手は粥を口へ運び、茹でた野菜を口へ運ぶ動きを止めなかった。

 沈黙。居心地のいいものじゃない沈黙。

「カンに剣術を習っていたんだな」

 急にルガが話題を変えたけど、私は反応することができなかった。

 カンに剣術を教わった。その技で、私はカンを切った。

 でも、そう、最後にカンは私の知らない技を出した。技を出すとうよりは、技を崩した、と表現するべきだ。

 私が稽古で繰り返し目の当たりにした、最適な筋を走るはずの剣を、彼は無理やりにずらした。

 あれは予想外だった。

 ただ、どう考えても、私を殺して、自分も死ぬ、そういう相討ちに筋に過ぎない。

 こうして全てが終わってしまえば納得はできる。

 カンは私を殺せればなんでもいい、と思ったのだろう。

 弟の仇を取れるなら。

 たとえ自分が死んでも構わない、と。

 私は無意識にため息を吐いていた。カンほどの使い手が、なぜ評価されないのか。周りにも、そして彼自身にも。

 私なんかを倒すために自分の命を投げ出すなんて、損失しかない。

「あの筋には、驚いたよ」

 ルガが淡々と言葉にする。

「お前をなんとしても殺すんだという意志が見えた。一方のお前は、カンを切らない事を考えただろう? 違うか?」

「違いません」

 言葉が出ていた。ちょっとだけ、野菜の欠片が飛ぶ。

 気にした様子もなく、ルガが笑った。突き放すような笑いだ。

「余裕を見せすぎたな、ユナ。殺すつもりでいけば、あるいはカンは助かったかもしれない。お前の甘さが、危うくお前を殺しかけたし、カンを殺したんだ」

 かもしれない。

 私に非がある。

 手を抜いたわけではないけれど、決断をしなかった。勝負の場で、弱さを見せた。

 そこを突かれて重傷を負い、大事な人をこの手にかけた。

 甘すぎる。

「まだ傭兵を続けるか?」

 そう言われて、しかし私は即座に頷いていた。

 カンの剣術のことは、考えなかった。もうあの技はこの先、発展することはない。使い手も、理解者も、消えたのだ。後に残ったのは私という、あの技を勝手に変化させた、出来損ないの後継者だ。

「よかろう。ファンナさんもお前を評価しているよ」

 すっとルガが立ち上がり、一度は背中を向けたのを「ああ、そうだ」とこちらに向き直った。

「カンの妻という女性がいたが、知っているな?」

 コクリと頷いた時、予感がした。

 嫌な予感。

 悲しい話、苦しい話がある、という予感。

 果たして、ルガはそのままのことを口にした。

「亡くなっているのが発見された。自ら命を絶ったようだ。カンの後を追う、というだけの書き置きがあってな。それ以上の理由は、誰にも分からん」

 今度こそ、ルガは退室していった。

 私の手はブルブルと震えていた。もう空になっている器が手からこぼれ、軽い音を立てて床に転がった。

 イクも、私が殺したようなものか。

 償うことなど、できない。

 背負うしかない。

 そしてこの手にある、この身にある血の汚れを、いつまでも背負うしかない。

 戦うとは、こういうことなのか。

 人の死を背負うようなものなのか。

 これから先のことを考えるのは怖かった。

 それならいっそ、どこかで、全てを投げ出してしまえば……。

 終わりに、できれば……。

 どこかで甲高い声がして、ピタリと震えが止まった。

 鳥の鳴き声だ。人の悲鳴ではない。

 手がまた、震え始めていた。



(続く)

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