2-12 決闘
◆
進み出てきたのは、間違いなくカンだった。
人違いではない。
怖い顔をしているけど、カンだ。
でもなんでそんな顔を?
「ユナ、お前がルッカを切ったのか?」
何を言う間もなく先にカンがそう言い放ったので、私は頭を打たれたような衝撃を心に受けた。
ルッカを切ったことで、カンが怒る理由は、そう多くはない。
常連客だった、というわけではないのだ。
そう、なら、兄弟……。
「ルッカの兄として、お前を切る」
するりと、カンが剣を抜いた。
傭兵たちは止めようとしない。
これが敵討ちだと、みんなが認めているのか。それとも、実はルッカを切った私をまだ受け入れていないのか。
相応の復讐であり、私がどうするか、見定めているのか。
私とカンの間にいた傭兵たちが場所を空ける。
その空白地帯をゆっくりとカンが進んでくるのを、私は、ゆっくりと迎え撃つように、やはりまっすぐに進んだ。
言葉はない。
言いたいことはいっぱいあるのに、今は、何も言えない。
カンの足が止まり、剣が構えられる。具足はつけていない。それは私も同じ。
呼吸が自然と乱れているのは、私だけだ。剣は左手に下げているけど、鞘に入ったまま。右手は柄にも触れていない。
切るべきか。
しかし切られるという選択肢はない。
切らないで済ませることは、可能か。
答えが見つからない。
思考が絡まって、解きほぐそうとすればするほど、混乱する。
さっとカンが踏み出してきた。
ああ、なんてことだろう。
私は彼の技を知っている。
知り尽くしている。
すれ違った。そこへ追撃してくるのも、わかっている。
何ヶ月も、私は彼の薫陶を受けたのだ。
ファクト特有の、鋭くて、洗練されているけれど、しかしそれ以外がない、スマートな剣術。
避け続けた。
カンは剣を振り続けるけど、私を掠めることもない。
踏み込んでいき、私は肩から彼の胸にぶつかる。
まともに受けるのを半身になろうとするカンだけど、僅かに遅い。
肩がぶつかり、よろめき、牽制の振りも私にはとても届かず、姿勢を変えるまでもなかった。
再びカンが構えを取る。
殺さずに済ませられる。
でもカンがそれでは済まさないことが、ギラギラと殺意を灯す瞳が示している。
それでも私は、カンを殺したくない……。
間合いが詰まった。
もう目を閉じていても、カンの剣の筋はわかる。
ここへ来る、というところに刃が来た。
今なら、気を失わせるだけで済ませられる。
体が自然と動いていた。
動いてしまった。
最後の瞬き一つもない一瞬で、カンの剣の筋が、変化した。
嘘。
剣術を、剣技を崩してきた。
予想外のところに切っ先があり、次には私が打撃を踏み込もうとした動きもあって、回避は不可能だった。
咄嗟に右手が、柄に触れる。
ダメだ。
ダメ。
ダメ!
私は剣をわずかに抜いた。その刃を前に押し出した時、カンの剣の切っ先が私の腹部を刺し貫いていた。
ぶるりと背筋が震える。同時に、カンも震えていた。
私の剣は完全には抜かれていない。
ただし、刃はカンの左胸に脇腹から差し込まれ、肋骨の間を抜けるように食い込んで見えなくなっていた。
どちらも動かない。お互いの体に刃をめり込ませたまま、停止していた。
カンが何かを言おうとして、血を吐いた。その血液が私の顔に吹きかかり、ぬるりとしたものが顎へ伝い、滴っていく。
私もほとんど同時に血が喉元を駆け上がり、咳き込み、その衝撃で私は一歩、下がった。
腹で剣が引っかかり、カンの手から力が抜けた一方、私の手にはまだ力があったけど、それでどうなるわけでもない。ただ私の腹部にはカンの持っていた剣が引っかかり、手から離れた柄が宙に浮いた。
そして私が下がったせいでカンの胴体から私が柄を握りしめる剣が抜け、血が一瞬だけ吹き出し、やっぱりその勢いに押されたように、カンが仰向けに倒れた。
私一人だけが血まみれになり、ただ立っていた。
誰かが何かを叫ぶ。
視界が暗くなっても、私は立っているようだった。
息を吐き、血を飲み込もうとして、喉が震えて、吐き出すしかできない。
意識がふっつりと途切れた。
次に気づいた時には、私は見知らぬ場所にいた。
どこだ?
起き上がろうとしても、視界がぐるぐると回る。横になっているはずなのに、まるで体が揺れているみたいだ。
ぬっと見知らぬ男性の顔が視界に入ってきた。
「意識はどうかな」
声が遠くで聞こえる。首を横に振るだけでも、グラグラと世界が揺れているような気がする。
わかった、という声も遠い。私は一度、目を閉じた。閉じた時にはもう眠っていた。
カンの声がした気がした。
カンの声だ。
それと、イクの悲鳴。
イクが声を発するわけがないのに。
彼女は、私を詰ることもできない。罵倒することも、できない。
私が、カンを殺しても。
ハッとして、目が開いた、その時にはもう意識の揺れはなくなっていた。
上体を起こすと、お腹の真ん中に違和感があった。引きつっているような気がする。
寝台の上で、周囲を見るとどうやらどこかの病院のようだった。戸棚がそれっぽい。こういう部屋は故郷の屋敷にもあった。医者が常に詰めているのだ。
ゆっくりと寝台を降りようとして、でも足に力が込もらない。
ため息を吐くと、息が生臭い。
そう、腹を刺し貫かれたんだ。
着ている服が白い服に変わっていて、私はその裾をめくってみた。
腹部に大きな傷跡ができている。これが引きつっている原因か。しかしまるで何週間も経ったように傷跡が塞がっている。普通の治療ではこうはならないから、医療にまつわるファクトを使う医者なんだ。
服を戻してしばらくすると、前に見た男性が部屋に入ってきた。こうしてしっかり見ると、男性の服は医者のそれだ。
「起きたな。痛みは? 意識におかしいところは?」
いきなりそう言われて、「いえ、痛みはほとんどありません。意識も、鮮明です」と反射的に答えていた。
よかろう、と男性は頷いてから、食事を用意するが何が食べたい、と確認してきた。
「野菜、それと、お粥。あと水を下さい」
「栄養の付くものを食え」
ため息を吐いて、男性は退室していった。
私は足に力を込めようとしてうまくいかず、床に倒れたら起き上がれそうもないので、もう一度、寝台に横になった。
どれくらいが過ぎたか、男性が戻ってきた。お盆を持っていて、その上にはちゃんと、蒸した野菜と粥、水の入った瓶があった。
彼は体を起こすのを手伝ってくれた。そのお礼でもないけど、私は持ってきてくれたものを全部、胃に収めた。水も全部、飲み干した。
「あと五日はここにいてもらおう。会社の方にはそう伝えておく」
ありがとうございます、と頭を下げてから、聞かなくてはいけないことを、聞いた。
「あの、私と一緒に誰か、運び込まれましたか」
男性は顔をしかめると、「お前のような重傷者が何人もいてはたまらんな」と応じた。
いない、ということだ。
ではやはり、カンは……。
私が黙り込んだからだろう、もう男性は私の言葉に対しては触れず、「水をとにかく飲みなさい。血液を失いすぎている」と短く言って部屋を出て行った。水を取りに行ったようだ。
寝台にまた横になり、私は手足の感覚がじわじわと確かになっていくのを感じた。
私は生きている。
悲しいほど、私は生きていた。
(続く)