2-10 幻
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私はルガのところで剣を返してもらった。
そのルガも付いてきてので、藤の傭兵隊の支部の裏手にある空間にシグを先頭に三人で移動した。その間、ルガとシグが何か話している。ルッカがいなくなったことに関する話らしく、私は居心地が悪かった。
裏庭は物干しなどがいくつもあり、今は少しの服が干されている。
傭兵の一人らしい男がタバコを吸いながら座り込んでいたのが、興味深そうにこちらを見始めた。
「じゃ、腕前を拝見しよう」
楽しそうにシグが言って剣を抜き、次にはこちらに切っ先が突き出されている。
久しぶりに体を動かすのに、すんなりと剣を扱うことができた。
鞘から抜く暇はないが、受け流す。
そこから連続の突きにも対応し、弾き、受け流し、そして上体を反らして避け、思い切ってシグの横手に飛び込んで、地面を転がりながら剣を抜いた。
抜きざまの振りで足を狙うが、さっとシグが宙に飛ぶ。
予想していたので今度は私が剣を突き出すが、手元に引き寄せられたシグの剣が余裕を持って弾いた。
着地したシグが私と向かい合う。
言葉はない。
間合いが消える。
私は片目を失った形だけど、状態は良く見えた。遠近感が曖昧になっても、剣は点ではなく線である。慣れれば対処できる。
ぐっとシグの剣が私の剣を絡め取ろうとする。
こちらからも剣を捻り、お互いにぐるぐると剣を手元の動きだけで回すような形になった。
違和感と同時に、私の手から剣が弾き飛ばされていた。
なんだ? 錯覚ではなく、いきなりシグの剣の動きが早くなったのだ。
今のは技ではない。ファクトか。
考えている間にも、シグの斬撃を回避し、転がり、間合いを取るけれど、間に合わない。
刃がピタリと私の首筋に触れる寸前に停止する。
私の剣が軽い音を立てて地面に落ちた。
視界の隅で、タバコを吸っていた傭兵が、ふぅっと何事もないように煙を吐いた。
私は目の前にいるシグを見ているだけだ。シグも私を見ている。
探るというより、お互いに威圧しあうような強い視線のぶつかり合いは、そのまま闘気のぶつかり合いだった。
「それくらいにしておけ」
ルガがぬっと横へやってきて、シグはそれで剣を引いた。
私は一礼して、そばに転がっている剣を拾い上げた。刃の様子を確認し、刃こぼれがいくつかある。ルッカを切った時の欠けもあるだろう。
「研ぎ師もうちにはいる。あとで見てもらえ」
憮然としたルガの言葉に、私は頷いて鞘に剣を戻した。シグも自分の剣を見てから、鞘にそっと刃を差し込んだ。その表情がさっきとは一転、ニコニコとしている。
「きみの技は、ファクトじゃないよね。セイバーのファクトっていうのは、もっと洗練されていてね、すぐわかるよ。きみの剣はどこか泥臭いな」
「そう、ですか」
隠すつもりもないけど、自分の剣術がどういうものか、自覚がなかった。
セイバーのファクトを使うものも、カンくらいしかよく知らない。ファクトはそれぞれの属性のようなものはあっても、その練度は個人によって違う。
その辺りにシグは詳しそうだ。年齢は私と変わらないようでも、やっぱり傭兵なのだ。
「シグの技も、その」言葉を選ぶけど、ちょうどいい表現がない。「不思議だったけど」
「え? そう?」
「剣をもぎ取られた時、変な感触があった」
私の言葉に反応したのはシグではなく、ルガだった。口元を隠しながら笑っている。
それもあってか、シグも笑いながら「手の内を読まれるのは迂闊だったな」と言った。
やっぱりファクトなんだろうけど、まさに手の内だから、詳しく聞くものでもないだろう。
私にとってのイレイズのファクトのようなものだ。
「ユナ、お前のファクトは?」
ルガがそう言って、俺はな、とすぐに続ける。
「「ストロング」だよ。俺のファクトはな、単純な筋力強化だと思っていてくれ」
「私は、えっと……」
言うべきかどうか、迷った。
やっぱりファクトを話すのは、難しい。
それでどういう目で見られるか、変わるからだ。
私がなかなか答えずに黙っているからだろう、シグが助け舟を出してくれた。
「僕はファクトを言わないでおこう。そうすればユナもちょっとは気が楽じゃない?」
救われた思いでシグに頷いて、それからルガを見ると「俺だけ暴露大会かよ」と顔をしかめている。
それを見たとき、唸るような音が鳴った。
どこからって、私のお腹からだ。
シグは目を丸くして、ルガは平然と「飯でも食ってこい。食堂には何かあるだろう」と顎をしゃくる。案内するよ、とシグがまた先に立って歩き出した。ルガも一緒に建物に入ったが、すぐにどこか別の方へ行ってしまった。
食堂は例の広間とは違う場所で、閑散としている。テーブルについているのは二人組が一つだけで、こちらを見るけどあまり気にしていようではない。ただ、さっとシグに手を挙げ、シグもそれに応えていた。
食堂の奥に調理場があるようで、そこにシグが声をかけ、すぐに何かの皿を持ってきてくれた。
「肉しかないけど、ま、食べて」
皿の上にあるのは煮込んだ肉で、少しだけ野菜も入っている。
当方では当たり前の箸を手にとって、料理を口へ運ぶ。
途端に、生臭い匂いが辺りに濃密に立ち込めた気がした。
脳裏に、ルッカの死体が浮かぶ。いや、私は死体を見ていない。これは幻、幻覚だ。
でも幻覚だとしても、感覚は感覚だった。
手で抑えようとしたけど、無理だった。
嘔吐した私のすぐ横にシグが来て、背中を撫でてくれた。
「ごめん、無神経だった」
シグの声が聞こえても、返事をしたくても、どうしてもえづいてしまう。
落ち着いた時には、吐瀉物はシグが片付けてくれていて、私の前には水の入ったグラスだけがあった。
食堂にいた二人組は姿を消している。
思わずため息を吐いてしまった。それにも「大丈夫?」とシグに心配されてしまった。
私はただ頷いて、一度、目を閉じた。
もう生臭さはしない。
ただ、忘れることはできそうもない。
(続く)