1-5 手探り
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帰り道で俺のことに注意を向けるものは少なかった。
それよりもレオンソード騎士家の一人娘であるユナが、ダブル・ファクトで、しかもイレイズなどという特別なファクトを持っているということが、話題の中心だった。
これでレオンソード騎士家も騎士家らしく、優秀な戦士を久方ぶりに輩出できる、という視点が大半だった。
一方で、領主であるユナの父親は進退きわまった、という話も漏れ聞こえてくる。ユナがあまりにも戦士の素質を持っているがために、ただの政略結婚の駒というわけにはいかなくなった、という見方だ。
まぁ、ユナはユナで大変だろうけど、俺もあまり平静ではなかった。
リライトなどと言われて、どういう能力なのだろう。
屋敷を出たところで、数人の少年たちが集まり、腕相撲をしているところに出くわしたのはついさっきだ。
「リツも混ざれよ」
そう言われて加わったが、そこにいる四人ばかりは、全員が「ストロング」のファクトを受けたものばかりで、どれだけ俺が本気を出しても、ピクリとも奴らの腕は動かなかった。まるで巨大な岩を片腕で押している気分だった。しかも動く気配すらない。
ついさっき、ファクトを与えられたばかりなのに、もう使いこなしていることになる。
ほとんど体ごと吹っ飛ばされて、倒れている俺を奴らは愉快そうに笑っていた。
「で、お前のファクトはなんなの?」
訊ねられたけど、よく分からない、と答えるしかなかった。本当にわかっていないのだけど、彼らは俺が口にできない恥ずかしいファクトを授かった、と解釈したようで、嬉しそうに笑っていた。
しかしとにかく、俺は俺のファクトについて考える必要があった。あったが、考える材料がない。
洗礼辞典にない以上、すべてが手探りだ。誰も開発していない、習得していない技なのである。
家に帰ると母が待っていたが、普段通りだった。食事が用意されていて、しかし母は洗礼については何も聞いてこなかった。母のファクトはファストだけど、すごく力が弱く、何の役にも立たなかったとずっと前、言っていたのをやっと思い出した。
ファクトで人を判断するべきではない、というのが母の経験上の意見なんだろう。
だから息子の俺のファクトも、ただのファクトで、それで俺が変わるわけでも、日常が変わるわけでもない。そういうことなんだと思う。
日が暮れてから、俺は家の裏手で棒を振った。
普段通りと何も変わらない。
三百回、振っている間は心が全くの平静に戻るのは不思議だった。
振り終わり、初夏の夜気の中で額を手の甲で拭う。
と、視界に違和感があった。
裏手に生えている小さな花に、何か、数字のようなものが重なって見える。
目が霞んでいるのかと思ったが、そうでもない。
歩み寄って、じっとその数字を見た。
一桁の数字、六だ。
七、と無意識に考えたが、その瞬間に目の前の数字が七になった。
十、と考えてみる。十に変わる。
途端に、花がブルブルッと震えると茎が伸び、葉がいくつも増えたかと思うと、つぼみが膨らむ。瞬く間に花開き、一気に四つに花が増えた。
な、なんだ?
数字のことを考えると数字が変わる。数字が変わると、花が育つ。
数字をどこまで上げられるか、試してみたい気になった。
ただ、それはやってはいけない、と考えている自分がいる。
どうするか、考えているのも危険と判断して、僕はその花をつかんで根元から引っこ抜いていた。
数字は色が薄くなっていき、そのまま消えた。
ただ、手の中には異常に成長した花があって、つまり、夢を見たわけでもない。
実際に花は成長した。ならあの数字も、幻ではない。
古代語でいう、リライト。
えっと、書き換え?
俺のファクトが、花を成長させたのか?
それってつまり、俺の能力は花を育てるってこと?
あんまりじゃないか? それは……。
家に戻り、花は適当に根元を切って花瓶に挿しておいた。
その日はゆっくり休み、翌日、早朝から走りに出かけ、そのまま畑へ出た。他の小作人たちも、すでにユナのことを聞いていて、休憩の時はその話ばかりしていた。
「リツはどうだったんだね」
初老の仲間の男性の言葉に、その場の全員の視線が俺に向けられた。
「よく分からない」
「なんだ、隠すつもりか?」
まだ若い小作人のからかいに、大人たちは笑っている。
「本当にわからないんですよ」
「まさか、オートクチュール?」
「らしいんですけどね」
そう言った途端、ぴたりと場が静まり返ってしまったので、俺が逆に慌てた。
「いや、大したことはないんです、花を育てられるくらいで」
花? と全員が訝しげな顔になる。
そりゃ、信じられないよな。俺も信じていない。
「もうちょっと試して、分かってきたら、教えますから」
そんな風にして、どうにか追及を免れたけど、花を育てられるってことは、植物も育てられるのかな。自分でも自信が持てないけど、ありそうなことだ。
その日の夕方、いつも通りにユナがやってきて、剣術の稽古をした。
稽古が終わってから、「ランサーじゃねぇ」とユナが手ぬぐいで汗をぬぐいながら言った。
「セイバーが良かったけど、うまくいかないわね」
「ランサーのファクトなんだから、練習すればすぐに一流になれるよ」
ランサーやセイバーなどのファクトの持ち主は、その武芸に特別に秀でるために、行く行くは師範や指南役などになる可能性がある。それこそ超一級なら、普通の人間が人生をかけて身につける技を、ほんの数年で体現することもあるのだ。
「もう一つはどんな感じ?」
確認すると、ユナは少し俺から離れると、稽古をしている空き地の隅に転がるこぶし大の石を持ち上げ、宙に放った。
何をするのかと思ったら、さっとユナが片手を振る。
音も何もなかった。
ただ、小さな石の欠片が落ちてきて、でも、とても元の石の量ではない。
「イレイズ。物体消去のファクトよ」
何事もなかったように言うが、これはとんでもないことだった。
軍隊や傭兵団から誘いがくるのは間違いない。しかもこのイレイズの上に、ランサーのファクトもある。
ユナは、戦士としての素質を持っていたんだと、はっきりわかった。
しかし彼女は物憂げに、じっと地面に散らばる石の欠片を見ているのだった。
その様子に俺はどう声をかけるべきか迷って、しばらく、黙っていた。
(続く)