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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
49/213

2-7 紙一重


      ◆


 藤の傭兵隊の支部の建物に入ると、ほんの一瞬、私に視線が集中し、しかし会話も何も停止しなかった。

 前と同じように、私は無視されている。

 視線を巡らせて、あの刺青の傭兵を探した。

 いた。

 二人の男と話して、笑い合っている。

 呼吸を整えながら、私は彼に歩み寄った。二人のうちの一人がこちらに気づき、何かを囁く。それで刺青の男が振り返った。

 ニヤニヤと笑って、「俺に御用かな、お嬢ちゃん」と言うと、他の二人が下品に笑った。

 遊んでいる暇など与えるものか。

 銀光が走った。

 私は剣を振り抜いた姿勢で動きを止め、二人の傭兵は椅子を蹴倒して立ち上がった。

 刺青の男だけがゆっくりと立ち上がり、まだ鞘に収まっている剣を持っていない方の手、空いている手で胸元を撫でた。

 服が切れている。しかし皮膚は切れていない。

「今の一撃で」

 男がゆっくりと鞘から剣を抜いた。

 殺気が押し寄せてくる。

「俺を殺しておくべきだった、と後悔するぞ、小娘」

 私も構えを取り直す。

 曲がった刀がすっと横に振られ、次にはまた横に振られる。撹乱する剣術なんだろう。

 何度も何度も眼前を刃が行き来する。目で追えば、誘導されて隙を突かれる。

 しかし目の前の刃物を無視するのには精神力が必要だった。

 音もなく男が間合いを詰めるのと同時に、曲刀の軌道と速度が変化する。

 体を傾ける。

 後に残された金髪の一房が切り離され、宙に舞った。

 すぐに次が来る。

 避ける。際どい。

 三度目、こちらから反撃しようとした瞬間、本能的に身を引いていた。

 先の二回よりも早い一撃が来た。飛び退いた私の鼻先を切っ先が掠める。今のは際どかった。

 ただ安堵している暇もない。

 もうそこから先は数える暇はない。考えることさえも、できなかった。

 激しい一方的な連続攻撃は、不規則で、それは剣の振りの角度、速度の他に間合いの変化さえも加わり、極端に読みづらい。その上で牽制の振りさえも混ざれば、理論的な対処などできない。

 頼りになるのは、カンとの稽古だけだ。

 剣術のセオリーを徹底的に叩き込まれた私はかろうじて回避を続けていた。

 剣を繰り出す余裕はまだない。姿勢が作れないし、反撃の姿勢を作ればそこを狙われる確信があった。攻めの姿勢と回避の姿勢を両立させるのは、至難である。

 男が何か、間違いを犯すのを待つしかない。

 体力勝負だ。

 私の服が切り裂かれる。ただ、一筋だけだ。男の顔がかすかに歪む。今のが、本気の振りだろうか。

 目まぐるしく立ち位置を変える。

 背中に何かが当たる。テーブルだ、と視界の端で見る。六人掛けの大きなもの。傭兵たちはそばにはいない。離れている。

 私は思い切ってテーブルの上に転がった。食器を跳ね飛ばし、その私を捉え損ねた曲刀がテーブルを部分的に断ち割る。

 ほんの刹那だけ、私と男の間にテーブルが位置することになった。

 全力で私はテーブルを蹴りつけた。テーブルが男に向かってひっくり返る。

 まさか曲刀でテーブルを完全に両断は出来ない。もし両手で使うような大剣を持っていればそういう力技もできただろう。

 しかし今、男にそれはできない。

 テーブルを支えるか、右か左へ、避ける。

 賭けるというほどではない。

 私は左手へ跳んだ。

 男は果たして彼にとっての右手側、私の正面に飛び出してきた。

 曲刀を横に振っていたのだ。もし逆に飛び出すと、私に背中を向ける時間が長くなったはずだ。右手側なら、背中を向ける時間の大半をテーブルの陰に位置取れる。

 合理的な判断。

 だからこそ読めた。

 私の剣が突き出され、男が初めて目を見開いた。

 横へ跳び退こうとするより私の一撃が早い。

 湿った音と、肉を切る手応え。

 男が息を飲み、それでも勢いのまま床に転がり、さっと構えを取り直す。

「姑息なことを」

 深く息を吸い、細い呼吸でそう言いながら、男の頭が揺れる。しかし崩れはしない。

 男の左胸が赤く染まっていく。

 私はじっとそれを見ていた。

 まだやるか? もう決着はついている。

 そうは思っても、男が剣を捨てるまでは油断できなかった。

 これは決闘かもしれないが、正々堂々の決闘ではない。最後に立っているものが勝者で、もしかしたら両方が倒れているということもある。

 命の最後に、道連れを選ぶかもしれない。

 距離をすっと取ったのは、何故なのか。

 ダメだ。

 思ったけど、遅い。

 男の右手がしなる。曲刀を持っている手。でも間合いは広いし、男は倒れないので精一杯。

 では、何故?

 頭を逸らした。

 何故か。

 直感だ。

 光が弾けた。

 次に激痛と同時に、視界の半分が赤く染まった。

 遅れて頭に衝撃。足が滑り、尻餅をつくように倒れた。

 何がそうさせるのか、私はすぐに姿勢を取り直した。

 痛みが思考を乱す。

 額を切られているのか。でも、何に?

 頬を液体が流れる。血液だ。

 視界は半分が激しく滲んであやふやだった。

 それでも刺青の男は倒れ込み、動かなくなっていた。

 勝った、のか。

 立ち上がろうとした時、何かが私の上に覆い被さってきた。

 傭兵たちだ。私は剣を奪われ、手足を拘束され、縛り上げられた。そして広間の真ん中に転がされ、二十人ほどの傭兵に囲まれた。起き上がることもできず、ただ彼らを私は睨んだ。

 頭が痛い。傷のせいだ。

 勝った人間に何故こんなことをする。仲間を切ったからか。しかし私は卑怯なことはしていない。

 もし死ぬのが嫌なら、剣など持たなければいい。

 そう考えたところで、不意にカンのことが頭に浮かんだ。

 彼は剣を捨てた。それは死ぬのが嫌だという臆病と、どこが違うのか。

 わからない。理屈も理由も、人の数だけある。

 しかし、心に冷たいものが流れた。

 死んだり死なせたりする世界は、こんなに寒いところなのか。

 傭兵たちは何も言わない。

「その娘か」

 傭兵たちの中から、細身の男がやってきて、しゃがみこんで私の顔を覗き込んだ。どこか、蛇みたいな男だった。服も蛇の皮のように不気味に光って見える。そういう生地だとしたら、悪趣味だ。

 その男が顎をしゃくると、傭兵の男二人が私を抱え上げた。

 ちらりと床に広がっている血溜まりが見えた。

 あの傭兵の男は、死んだのか。

 私が、殺したのか?



(続く)

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