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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
48/213

2-6 戻ってくるか?


     ◆


 春が来たというような暖かい日が続いた。

 私とカンの稽古は、徐々に稽古らしくなりつつあった。

 お互いに棒を構え、向き合い、構えを変え、立ち位置を変え、しかし打ち込もうとはしない。

 その二人の間合いは唐突に消え、次にはすれ違っている。

 どちらの棒も相手を捉えない。

 完全なる拮抗というものがあれは、今の私とカンの間にあるものがそれだった。

 夜の空気はまだ冷え切っているが、棒を構えているだけで全身が熱くなる。

 最後にカンに棒で打たれたのは、どれくらい前になるのか。

 私の棒がカンに触れたのも、もう数え切れないものの、今では滅多にない。

 どちらからともなく息を吐き、それを合図にして棒を下げる。

 建物の中に戻ると、イクが温かいお茶を用意してくれているようになった。視線で「どこかに怪我はない?」と問いかけられるのに、私は笑顔を返す。

 あの冬の日、初めて私の棒がカンに触れたあの時、カンの反撃の一撃を受けた私の脇腹は、紫色に変色していた。

 それに気づいたイクは、数日、カンに対して怒りを見せて、しかし何も言えないので態度でそれをはっきりと主張した。

 結局、私がうまく取り成したけど、カンも困り果てていた。

 通りではもう雪はほとんど消えているから、数ヶ月の冬は終わったのだと景観も訴えている。

 傭兵たちは時折、店に来る。顔ぶれは次々と変わる。

 ミテアの街のそばで魔物の大規模な顕現があったのは、冬の一日で、ミテアにいる傭兵が連合を組み、これへ対処したということがあった。

 あの日の夜、カンの店に来た傭兵たちはどこか落ち込んでいて、普段の陽気さは鳴りを潜めていた。最初、全員がグラスを手にして、小さな声に合わせてそれを掲げた。その様子を見て、誰かが死んだんだな、と私は気付いた。

 魔物と戦うことは傭兵の役目の一つで、今ではむしろ人間相手に戦うより、魔物と戦うのが傭兵の仕事になっている。

 魔物と戦って、それで死んで、何が残るのだろうかと、私は考え始めた。

 例えば国同士で戦えば、領地を奪うとか、賠償金を支払わせるとか、そういうことがあるかもしれない。もっと小さなところでは、故郷が敵に蹂躙されるのを防ぐ、というような納得もできるかもしれない。

 でも魔物相手の戦闘は、何も残さない。

 誰かを守っているはずが、誰を守っているのだろう。銭は手に入っても、それはまるで草刈りをした報酬をもらっているようなものだ。

 何より、仲間が死んでしまうことを、どう頭の中で整理できるだろうか。

 傭兵なんだから死ぬのが当たり前、という発想が果たして、できるのか。

 傭兵たちは翌日にはもういつも通りに戻っていたけど、私はなかなかあの歴戦の男たちが見せた、切なげで、重い空気を忘れられなかった。

 首筋に刺青のある傭兵も、何度も店に来ているけど、私には気付きもしない。

 私が一流の剣術を身につけつつあることも、きっと知らないだろう。

 春になると咲くという花があり、その町中にある木々の枝先で蕾が膨らみ始めたのは、私がミテアに流れ着いておおよそ半年後のことで、カンはついに私に棒を持って向かい合うことをやめる、と言い出した。

「もうこれ以上は、俺の手には負えないよ」

 そんな言葉が添えられていた。

 セイバーのファクトに匹敵する技量とは、どれほどのものなのか。

 試す相手はいない。

 いや、試せるだろうか。

 私はカンの言葉を受けた翌日、給仕の仕事をしながら、ずっと考えていた。

 店を閉めた後も、答えは出なかったけど、その日、イクが紙にスラスラといつも通りに美しい字を書き、食事の最中の私とカンに見せた。

「ユナさんを養子にできるかしら」

 そんな文字だった。

 養子。

 カンが笑いながら「年齢が近すぎるな」と言って、それにはイクも笑った。カンの口調が決して否定的ではなかったからだ。

 それから「どう?」というようにイクがこちらを見て首を傾げた。

「私は、その」

 答えるには、昼間の間、ずっと考え続けて、それでも答えの出なかったことに、結論を出すしかなかった。

「私は」

 言葉にするための気力を、全身から絞り出した。

「私は傭兵になります」

 イクの表情がその一言で曇った。カンは何も言わず、ただかすかに俯いた。

 さらさらとイクが言葉を書く。紙に「どうしても?」と書いて見せてくるのに、私は頷いた。

 それからカンの方を見て、「明日は休みをもらえますか」と確認した。カンは黙って私を見て、じっと細めた目をこちらに向けて動かなくなった。

「戻ってくるか?」

 それがカンの言ったことで、どういう意味だったのだろう。

 傭兵になれなければ、ここへ戻ってくるか、という確認だったのか。

 傭兵になっても、元の、今の日常に復帰する気持ちはあるか、ということか。

 もっと単純に、戦場から無事に生きて戻ってくるか、というだけだろうか。

 私はうまく答えられず、しかし何も反応しないこともできず、ぐっと顎を引くことで、返事に変えた。

 翌日の朝、カンは私に「今日は自由にしろ」とだけ言った。

 朝食の用意をしていたイクが手を止めて私を、そしてカンを見たけど、何も言わない。何か伝えようと思えば、彼女は紙に文字を書いただろう。でもそれをしなかったということが、何も言わない、ということなんだとわかった。

 身支度を整え、腰に剣を帯びて私は通りへ出た。

 カンの店のすぐそばにも大きな木があり、そこで幾つか、桃色の花が咲いていた。

 私はそれに背を向けて、歩き出した。




(続く)

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