2-6 戻ってくるか?
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春が来たというような暖かい日が続いた。
私とカンの稽古は、徐々に稽古らしくなりつつあった。
お互いに棒を構え、向き合い、構えを変え、立ち位置を変え、しかし打ち込もうとはしない。
その二人の間合いは唐突に消え、次にはすれ違っている。
どちらの棒も相手を捉えない。
完全なる拮抗というものがあれは、今の私とカンの間にあるものがそれだった。
夜の空気はまだ冷え切っているが、棒を構えているだけで全身が熱くなる。
最後にカンに棒で打たれたのは、どれくらい前になるのか。
私の棒がカンに触れたのも、もう数え切れないものの、今では滅多にない。
どちらからともなく息を吐き、それを合図にして棒を下げる。
建物の中に戻ると、イクが温かいお茶を用意してくれているようになった。視線で「どこかに怪我はない?」と問いかけられるのに、私は笑顔を返す。
あの冬の日、初めて私の棒がカンに触れたあの時、カンの反撃の一撃を受けた私の脇腹は、紫色に変色していた。
それに気づいたイクは、数日、カンに対して怒りを見せて、しかし何も言えないので態度でそれをはっきりと主張した。
結局、私がうまく取り成したけど、カンも困り果てていた。
通りではもう雪はほとんど消えているから、数ヶ月の冬は終わったのだと景観も訴えている。
傭兵たちは時折、店に来る。顔ぶれは次々と変わる。
ミテアの街のそばで魔物の大規模な顕現があったのは、冬の一日で、ミテアにいる傭兵が連合を組み、これへ対処したということがあった。
あの日の夜、カンの店に来た傭兵たちはどこか落ち込んでいて、普段の陽気さは鳴りを潜めていた。最初、全員がグラスを手にして、小さな声に合わせてそれを掲げた。その様子を見て、誰かが死んだんだな、と私は気付いた。
魔物と戦うことは傭兵の役目の一つで、今ではむしろ人間相手に戦うより、魔物と戦うのが傭兵の仕事になっている。
魔物と戦って、それで死んで、何が残るのだろうかと、私は考え始めた。
例えば国同士で戦えば、領地を奪うとか、賠償金を支払わせるとか、そういうことがあるかもしれない。もっと小さなところでは、故郷が敵に蹂躙されるのを防ぐ、というような納得もできるかもしれない。
でも魔物相手の戦闘は、何も残さない。
誰かを守っているはずが、誰を守っているのだろう。銭は手に入っても、それはまるで草刈りをした報酬をもらっているようなものだ。
何より、仲間が死んでしまうことを、どう頭の中で整理できるだろうか。
傭兵なんだから死ぬのが当たり前、という発想が果たして、できるのか。
傭兵たちは翌日にはもういつも通りに戻っていたけど、私はなかなかあの歴戦の男たちが見せた、切なげで、重い空気を忘れられなかった。
首筋に刺青のある傭兵も、何度も店に来ているけど、私には気付きもしない。
私が一流の剣術を身につけつつあることも、きっと知らないだろう。
春になると咲くという花があり、その町中にある木々の枝先で蕾が膨らみ始めたのは、私がミテアに流れ着いておおよそ半年後のことで、カンはついに私に棒を持って向かい合うことをやめる、と言い出した。
「もうこれ以上は、俺の手には負えないよ」
そんな言葉が添えられていた。
セイバーのファクトに匹敵する技量とは、どれほどのものなのか。
試す相手はいない。
いや、試せるだろうか。
私はカンの言葉を受けた翌日、給仕の仕事をしながら、ずっと考えていた。
店を閉めた後も、答えは出なかったけど、その日、イクが紙にスラスラといつも通りに美しい字を書き、食事の最中の私とカンに見せた。
「ユナさんを養子にできるかしら」
そんな文字だった。
養子。
カンが笑いながら「年齢が近すぎるな」と言って、それにはイクも笑った。カンの口調が決して否定的ではなかったからだ。
それから「どう?」というようにイクがこちらを見て首を傾げた。
「私は、その」
答えるには、昼間の間、ずっと考え続けて、それでも答えの出なかったことに、結論を出すしかなかった。
「私は」
言葉にするための気力を、全身から絞り出した。
「私は傭兵になります」
イクの表情がその一言で曇った。カンは何も言わず、ただかすかに俯いた。
さらさらとイクが言葉を書く。紙に「どうしても?」と書いて見せてくるのに、私は頷いた。
それからカンの方を見て、「明日は休みをもらえますか」と確認した。カンは黙って私を見て、じっと細めた目をこちらに向けて動かなくなった。
「戻ってくるか?」
それがカンの言ったことで、どういう意味だったのだろう。
傭兵になれなければ、ここへ戻ってくるか、という確認だったのか。
傭兵になっても、元の、今の日常に復帰する気持ちはあるか、ということか。
もっと単純に、戦場から無事に生きて戻ってくるか、というだけだろうか。
私はうまく答えられず、しかし何も反応しないこともできず、ぐっと顎を引くことで、返事に変えた。
翌日の朝、カンは私に「今日は自由にしろ」とだけ言った。
朝食の用意をしていたイクが手を止めて私を、そしてカンを見たけど、何も言わない。何か伝えようと思えば、彼女は紙に文字を書いただろう。でもそれをしなかったということが、何も言わない、ということなんだとわかった。
身支度を整え、腰に剣を帯びて私は通りへ出た。
カンの店のすぐそばにも大きな木があり、そこで幾つか、桃色の花が咲いていた。
私はそれに背を向けて、歩き出した。
(続く)




