2-5 覚えている価値もない
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冬になっても、私はカンと稽古を続けた。
ミテアの街はそれほど冷え込む場所ではないが、昼間でも息が白く染まり、夜になれば手足の先が痺れてくる。
そんなことは、稽古をしない理由にはならなかったし、カンも特別に言い立てたりもしなかった。
秋も終わる頃からカン自身も棒を持つようになった。
私は一度、真剣を振ることを脇に置いて、故郷での稽古のように訓練用の棒で技を磨いていた。
時にはカンと打ち合うこともあるけれど、打ち合うというより、私が軽く打たれるだけだ。
私にはカンに対抗する技量はなく、一方でカンは私を打ち据える気もない。
圧倒的な力量の差。
ファクトというものをここまで強く意識したことはなかった。
ほとんど稽古をしていないようなカンが、幼いとはいえ何年も棒を振り続け、親友と打ち合った私よりも上なのだ。
ずっとファクトは何かの補助のようなものだと思っていた。故郷でもそういう大人が大半なのだ。
例えば少しだけ腕力が強いとか、そういうものだと勘違いしてしまうのも、無理のないことか。
超一流のファクトを持つものは、レオンソード騎士領のような辺境で、燻ったりはしない。
自分が認められる場所へ行き、相応の生活をする。もちろん、その背後には相応の働きがあるのだ。
私はカンに剣術を教えてもらいながら、自分に宿っている二つのファクトのことを、度々、考えた。
イレイズのファクトは、まともに試したことはないけれど、全くないわけではない。
身振りなどの先にあるものを、消滅させるファクト。リツの前で見せたように、石を消すなどという小さいことではなく、やろうと思えばきっとひとつの建物を倒壊させるようなこともできるはずだ。
問題は加減、制御で、経験値を積めばなんとかなりそうだ。
では、ランサーのファクトはどうなのか。
こちらはどうしても抵抗が、強い抵抗が私の中にあった。
ずっと剣を極めようと思っていた。ここで剣ではなく槍に転向するのは、決して間違ってはいないはずだ。
それでもすぐにできないのは、あの首筋に刺青のある傭兵、あの男のことがあるからだった。
槍を持てば、あるいは圧倒できるかもしれない。コテンパンに叩きのめせるかもしれない。
でも私は剣で勝ちたかった。
もっと言えば、剣も相応に使える槍使い、そうなりたかった。
戦場で常に槍が手元にあり続けるということはないだろう。
槍がなくなったら何もできません、では、戦士として、傭兵としてはやっていけない。
そんなことを考えて、私はほとんど言い訳まみれになりながら、カンから剣術を習った。
稽古は一日に二時間も時間がなく、そこはカンも翌日の仕込みもあるし、早くから起きだす関係で、長く稽古したいという私のわがままを押し通すことはできなかった。
不思議だったのは、カンが週に一度、必ず私に休むように言って、その日は剣はもちろん、訓練用の棒を持つことさえも禁止したことだ。
なんでそんなことをするのか、私には飲み込めなかった。
時間を無駄にしているとは言わないけど、私の体力には余裕があるし、疲労も感じてはいない。
それでも、とカンは私を休ませた。
冬が深くなり、どっと雪が降って翌朝には周囲は真っ白に染まった。
雪をかくように言われ、私は棒の先に板を取り付けただけのもので、雪をどかしていった。
その日、昼過ぎに傭兵らしい三人組がやってきて、食事をし、そこに遅れて二人組が合流した。
ハッとした。息を飲んだ。
その二人のうちの一人が、例の刺青の傭兵だった。
刺青をしている傭兵は珍しくないが、あの首筋の刺青は見間違えようがない。
私は正直、少し怯えた。
一方、傭兵はすでに私のことは何も覚えていないように、注文を聞きに行った時も、料理を運んだ時も、何も私には声を向けなかった。
会計の銭を受け取り、男たち五人組は笑い合いながら、真冬の往来へ消えていった。
私のことは、忘れているらしい。
何も知らない小娘のことなんて、覚えている価値もない、ということか。
服を切り刻んだことも、どうでもいい、ということか。
腹が立つはずが、どうしてか、納得しているような自分がいる。
私は弱いし、ただの一人きりの小娘で、傭兵どころか、まだ一人の人間にすらなっていない。
いつかになれば、私は彼に謝罪させられるかもしれない。でもそれは今ではない。
今できることは、とにかく、自分を磨くことだけだった。
ファクト云々ではなく、それとは関係ない自分自身を、見いださなくては。
その日の夜も、建物の裏手で私はカンと棒をとって打ち合った。
変幻自在のカンの棒の動きは読める。棒が瞬間的に移動することはない。どれだけ速くても、棒が消えているわけではない。
複雑な攻防があり、間合いが一度、離れる。
いや、離れたと見せかけて私は即座にもう一度、突っ込んだ。
カンが即座に応じる。
ただ、僅かに動きに隙ができた。遅れ、というべきだろうか。
ここしかないことを、直感が告げる。
私の手元が些細な動きをする。ちょっとだけ手首を返すだけだ。
棒の先がカンの手首に当たる。
それほど強く当ててはいなかったが、それでカンの動きがさらに遅れた。
私の棒がカンの肩へ落ちかかった時、しかし彼は動きを修正し、逆に私の脇腹を打ち据えていた。
これまでで初めての、強い打撃だった。
屈み込んだ私の前で、息を乱しながら「すまない」と掠れるような声でカンが言う。
私は歯を食いしばって立ち上がり、もう一度、棒を構えようとしたけど、「疲れたよ」とカンが笑みを見せるので、さすがに棒を下げた。
脇腹は痛む。
同時に手には、カンを打った手応えがある。
かすかに、弱い一撃だとしても。
今日は寒いな、と誤魔化すようにカンが言った。
そうですね、とやっぱり私も誤魔化すように、応じていた。
(続く)




