2-4 型
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秋がやってきた。
私は相変わらず、カンの店で給仕をしながら、夜に短い時間、剣術の型を繰り返していた。
焦っているのだろうか。型といっても徐々に落ち着かなくなり、自分でも何が正しいのか、本来の形がどういうものだったか、それが分からなくなってきた。
ミテアの町には剣術道場などはなく、傭兵たちはそれぞれの仲間内で技を磨いているようだ。
門外不出の技などはないとしても、部外者が容易に踏み込めるものではない。
こうなってやっと、私が最初に取った行動が暴挙だったとわかりもした。
傭兵たちに挑む力量が私にはなかった。
服を切られたこと、手玉に取られたことは恥ずかしいとしても、受け入れられる自分も今はいる。
カンはいつかの夜の後、もう私に出身地や剣術については何も言わない。
だから、ある夜、夕食の席でいきなりイクが紙にスラスラと文字を書いて、こちらに見せた時はかなり驚いた。
その紙には「カンさんに剣術を教えてもらいなさい」とあった。
私が視線を紙からイクに向けると、彼女は穏やかに微笑んでいる。
食事のすぐ後で、まだカンもその場にいてお茶をすすっていた。
その彼が湯呑みをテーブルに置いて、イクの方を見た。
「この娘の幸せを考えてやれ」
カンはイクだけに見せる穏やかで優しい口調で、短く言った。
もう一度、イクの手が紙に文字をしたためる。
「少しくらい、やってあげてください。この子のためになるはずです」
しかしなぁ、とカンは笑っていたが、真面目な顔になると私の方に向き直った。
「俺は剣術というものが好きじゃない。だから丁寧に教えることも、細部を伝えることもできない。全部はユナ、お前が学び取るしかない。それでいいか?」
私は反射的に無言で頷いていたけど、しかし、イクは何を考えたんだろう。
この食堂の主人、まだ三十になろうかというくらいの若い男性が、私に何を教えられると踏んだのか。
お茶を飲んでから、カンは私と一緒に建物の裏手に出た。
私は剣を持ってきていて、カンは何も持っていない。
「貸してみろ」
カンがこちらに手を伸ばしたので、私は自分の剣を手渡し、距離をとった。
「よく見ていろよ」
すっとカンが腰を低くして、居合の構えを取る。
そこからは怒涛だった。
剣が鞘から抜き放たれ、斜めに走った次には急降下。
カンの姿勢が変わり、落雷の振りと同時に次の動きが始まり、三段突き。
刃が複雑な軌跡を描き、何らかの型なのだろうけど、私には知識がなさすぎてまったくわからない。
何度、カンが剣を振ったのか、刃は鞘に音を立てて戻ったことで、意識がやっと追いついた。
「これが剣術というもの、らしい」
カンが呼吸をやや乱しながら、剣をこちらに渡してくる。受け取る私の手は、ちょっと震えていた。
「らしい、というのは、どういうことですか」
確認する声さえも、どこか震えている。抑えようとしても抑えられないほど、カンの技は冴え渡っていた。
達人級の剣術を披露したカンは、肩をすくめるけれど、まだ肩で息をしているのはどこかちぐはぐな様子に見える。
「俺のファクトが、あの動きを知っている。俺のファクトは、セイバーだ」
よくあるファクトだ、とカンは笑いながら付け加えたけれど、私はとても笑えなかった。
セイバーのファクトを持つものは多くいるし、その中でも一流のものは自然とどこかしらで剣術を指導するような立場になる。
カンにはその素質がある。
間違いない。
それがどうして、食堂なんかをやっている?
「この通り、体力がない」
私の疑問を読み取ったように、カンが言った。
「俺を試験した騎士家の男は、技は一流でも軟弱でダメだと俺を追い払った。だから、俺は剣術っていうものを信じちゃいない。俺は剣術はやらないと決めた」
もったいない、惜しい、と言えないのは、カンが感じた屈辱が分かるからかもしれない。
あの傭兵隊で、弄ばれた時の屈辱。
似ているだろうか。近いだろうか。
答えの出ない問いだ。
やっとカンの呼吸が整ってきた。
「俺は誰かに剣術を教えたことはない。だからうまく伝えられるかは、わからない。自分の力量もどれほどなのかは、よく知らない。だからユナ、全てはお前次第だ」
頷いて見せると、カンもわずかに顎を引いた。
「疲れるから、二日に一度、俺はお前に技を見せる。動きを教えもする。それをものにして形にするのはお前次第だ。いいな?」
「はい」言葉ははっきりと音になった。「努力します」
あまり根は詰めるな、とカンは言った。
その夜、私は彼が見せてくれた動きをなぞろうとして、カンによる細かな指導を初めて受けた。剣を振るだけでも、多くの要素がある。剣の位置を決める腕の位置があり、腕も手首、肘、肩と角度がある。さらに上体の捻り、下半身の構え、重心の調整と、剣を振ることひとつに、全身が関係している。
少しすると、カンは「あとは自分で確かめろ」と建物に戻って行ってしまった。
私はいつかの夜とは違って、その姿を見送るだけではない。
一人きりでも、剣を何度も振った。
まだ何も身についていない。むしろ今までがむしゃらに身につけた技のせいで、阻害される動きさえある。
でも今は、目指すべき形が見えている。
見えるということは重要だ。目指す先があるのだから。
私は呼吸を整えながら、ゆっくりと剣を動かした。
まだ、冴えなんて少しもない。
今はまだ、なくてもいい。そう思えた。
(続く)




